From Gyouninzaka to Megurofudouson

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今回は目黒の行人坂から目黒不動尊を経て安楽寺、五反田と我々にとっては近場の散策であったが、個人的には数日前登山で左足を捻挫と打撲傷で痛めた後で びっこをひいての散策だったので近場で良かった。ところが意外に皆も近場なので逆にあまり来たことがないと言うことでちょうど良かったかもしれない。 それにしても神社仏閣の階段を上り下りする時は苦労した。 

 

日時: 2011年10月11日
交通: JR 山手線 目黒駅、 帰り JR 山手線 五反田駅 
ルート: 行人坂〜大円寺〜太鼓橋〜ばん龍寺〜海福寺〜目黒不動尊〜安養院〜蛸薬師〜氷川神社〜安楽寺
約3.5キロ

目黒駅から行人坂を下ると途中に天台宗の大円寺がある。この坂はかなり急だが結構車や人の通りは多い。行人坂はかって目黒不動に行くための参道で、坂の両脇には茶店(富士見茶屋)が多くあり たいそうな賑わいだったと言う。また夕日と紅葉が見事で「夕日の岡」とも呼ばれていた。紅葉を前景に夕日が沈むダイヤモンド富士が見れたのかもしれない。
大円寺に入るとすぐ左手に五百羅漢石仏群が並んでいる。 これは明和9年の大火(行人坂火事)の火元となった大円寺が死者を供養するために建立したものである。この寺はこの他色々な石仏がありそれだけでも見ごたえがある。
大円寺は江戸三大火事の一つと言われる「行人坂火事」の火元となったことをとがめられて(寺の無宿坊主 真秀が放火したと言われる)76年間も再建を許されなかったが幕末になって薩摩島津家の菩提寺として再興され、火事による犠牲者を」供養するために五百羅漢の石仏群が作られたと言う。
そばの小さな池には河童が鯉にきゅうりを与えているような置物があったので本物の鯉を前景に一枚。
五百羅漢の石仏群の前には火事で顔がとろけたような「とろけ地蔵」が建っている。悩みごとをとろけさせてくれると言う。写真はEさん提供。
五百羅漢石仏群の前には鮮やかな菊の花が添えられていた。
この五百羅漢の石仏群は皆顔の表情がそれぞれ違っており 見ごたえがある。 以下少し見てみよう。
写真はEさん提供。
無心に祈る僧。
この僧はちょっとはにかんでいるようにも見える。
何かたしなめているような僧。
筆をもてあそび思案している僧。
七福神のような像もある。実際 大円寺は山手七福神のコースに入っている。写真はHさん提供。
病の平癒を願って金粉を塗ると御利益があると言う薬師如来。
耳たぶの飾りにも金粉。金粉は寺で売っている。
鬼瓦も負けてはいない。
山門横の稚児地蔵。
大円寺を出て行人坂を下ると目黒川に出る。 広重の江戸名所百景で「目黒太鼓橋夕日の岡」と言う題で冬景色が描かれた太鼓橋だが 今は昔の面影はない、背景は目黒エンペラー、広重もビックリ。
目黒川に架かる権之助坂下の新橋方面を望む。目黒川に架かる橋と春の桜と秋の紅葉は絵になる。紅葉にはまだ早いようだ。
中目黒方面の高層ビルを背景に。ゴルフ練習場がちょっと目障り。
川に映った高層ビルを逆さにすると モネ?
写真はHさん提供。
太鼓橋を過ぎて山手通りを横切ると、ばん龍寺がある。山手七福神の一番目の寺で(岩窟に珍しい岩屋弁財天がある 弘法大師の作と言われる)、ここには地蔵の顔におしろいを塗って祈願すれば美人になれると言う「おしろい地蔵」がある。実はこの時は見つからなかったのだが 後日Tさんが再度訪れ撮ったもの。おしろいを塗ったくられてみるも無残な顔になっている。美人願望も凄まじいものがある。ホラー映画にでも出てきそうである。
気分治しに ばん龍寺の手水鉢に金魚一匹。
よく見かけるがプラスチックみたいな植物もあった。
小さな庭だが 熊ん蜂もいた。
もと本所にあった五百羅漢像を移したと言う五百羅漢寺にいく途中の山手通り沿いにあった彫像。この彫像の脇から横道に入って海福寺に向かう。
海福寺は黄檗宗(おうばくしゅう)の寺でインゲン豆を日本にもたらしたという隠元が開山したものだが、ちょうど黄檗(きはだ)色の家の壁が見えたので それをバックに釣鐘を写す。この釣鐘の下の部分が波打っているのは珍しいのだそうだ。
この寺には大きな石榴(ざくろ)の木があり 実が熟してはじけていた。珍しいので一枚。
この寺の朱塗りの山門は四脚門(門柱が四本ある)で江戸中期の代表作と言われている。また境内には永代橋崩落横死者供養塔などがある。
隣の五百羅漢寺は参観料を取るようなのでパスして目黒不動尊に向かうことにする。
目黒不動尊の仁王門手前に白井権八と小紫の比翼塚(めおとづか)がある。白井権八は吉原の遊女小紫と恋仲になり吉原通いの金欲しさに辻斬りをして鈴ヶ森刑場で処刑されたのだが、小紫もその後を追い権八の墓前で自害したと言う。その悲話は「後追心中」として歌舞伎などで取り上げられ人気を博した。写真はTさん提供。
目黒不動尊本殿。現在本殿に上る男坂は工事中で隣の女坂から上ることになる。目黒不動尊は江戸五色不動の第一として、目白不動(新長谷寺)、目赤不動(南谷寺)、目黄色不動(最勝寺)、目青不動(教学院)とともに庶民の信仰を集め、富くじ興行の場としても有名であり江戸郊外の行楽地として人気があった。
また三代将軍家光が鷹狩りに来た時よく訪れ目黒御殿とも言われた。石階の下には伝説の「鷹居ゑの松」の標柱がある。
目黒不動尊は開山の慈覚大師が独鈷杵を地面にさしたところ滝泉が湧き出て 行者の水垢離場になったというもの。そのため目黒不動尊は滝泉寺と言われる。
水垢離場横にある水垢離堂(勢至堂)。写真はTさん提供。
男坂前のやさしい顔の狛犬。縁起では狩犬を当山の使者とするというのだがちょっと頼りない。 他に頭をたれた狛犬など一風変わった狛犬が見受けられる。写真はEさん提供。
水垢離場左手にある前不動。この左右には頭をたれた狛犬が鎮座している。
女坂の途中にある役(えん)の行者像。足や顔は触られピカピカである。
目黒不動のガードマン。
本殿裏手にある大日如来像。
大日如来像の周りを四天王が守る。
写真はTさん提供。
これは増長天か?
写真はTさん提供。
北方を守る多聞天の後方には目黒清掃工場の煙突が見える。裏の墓地には甘藷栽培で有名な青木昆陽の墓がある。
目黒不動尊を後にして蛸薬師に行く途中にあった安養院の山門と変った狛犬。
狛犬と言うよりはインド仏教美術の影響を受けた獅子像であろう。
三匹の蛸に乗った薬師如来像が安置されているという蛸薬師に寄る。如来像は通常は一般に公開されていないようだ。 蛸は多幸に通じ開運、疫病除けの御利益があると言う。写真はTさん提供。
不動前駅商店街で昼食後 駅を過ぎて五反田方面に向かうと氷川神社があった。
写真はTさん提供。
氷川神社の横には安楽寺があり、以前行った源覚寺(こんにゃく寺)にもあった塩掛け地蔵がここにもあった。背が高いせいか顔は大丈夫だが腰から下が塩で溶けたようになっている。塩恐るべし。
写真はTさん提供。
安楽寺には目黒不動尊前の比翼塚に対して白井権八と小紫の連理塚(男女の深い契りを弔う塚)があった。鈴ヶ森の刑場に幾分近いという理由か この辺りに白井権八と小紫の悲話の跡が多く残っているのは興味深い。写真はHさん提供。

五反田でお茶をして足を引きずりながら帰る。

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