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祥雲寺の手前にある香林禅院の立体的な門。 この辺りは臨済宗の寺が祥雲寺を中心に集まっている。祥雲寺の塔頭。 |
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祥雲寺は黒田長政(筑前福岡藩の藩祖)を祀るため子の忠之が創建した菩提寺。この他 秋月藩、久留米藩など諸大名の墓所があるが、「お富、与三郎」で知られる玄治店(げんやだな)のもとになった江戸時代の名医岡本玄冶の墓もある。 写真はTさん提供。 |
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祥雲寺の墓所に形の良い松の木があったので手前の木々で額縁効果。 |
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祥雲寺の墓所には明治に流行ったペストを予防するためネズミ駆除で殺されたネズミの霊を供養するために建てられた鼠塚(動物慰霊碑)がある。 |
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祥雲寺墓所にある大樹。 |
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先ほどの形の良い松と夏の青空。 |
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境内にいた三毛猫。 |
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これも臨済宗の祥雲寺の塔頭で東江寺。 |
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中に入ると隣接するマンションと思われる建物に釣鐘がかかっていた。東江寺のものかどうかは不明。 |
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祥雲寺を出て聖心女子大学横を通った先に東北寺があったので立ち寄る。 これも臨済宗で真新しい伽藍であったが、一般道からちょっと離れているせいか山門は木造で作られている。 江戸の呉服屋白木屋が大檀家だった。 |
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東北寺の墓所とまだ残暑厳しい夏の雲。 |
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如来像も暑そうである。写真はTさん提供。 |
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塙保己一記念館へ行く途中 黒い塀から青い花が一輪飛び出していたので一枚。 |
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塙保己一記念館前の塙保己一の坐像。塙保己一は5歳で失明したが賀茂真淵に国学を学び 「群書類従」(わが国の古書を編纂したもの)を残した。 その膨大な版木がここに保管されている。記念館の方が丁寧に保管されている版木の説明をしてくれたが、失明しているにもかかわらず 門人に古書を講義するとは恐るべき記憶力であったと思われる。事実ヘレンケラーがここを訪れ「わたしは母から塙先生をお手本にしなさい、と言われて育ちました」と語ったそうだ。写真はTさん提供。 |
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塙保己一記念館の隣にある氷川神社に寄る。 本殿に深々と礼をしている小さな子がいた。 この神社では金王相撲が行われ本職の江戸の力士だけでなく近郷の若者も大勢参加したと言う。 |
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氷川神社横の参道をまっすぐ行き、渋谷方面に向かうと金王八幡宮に行き当たる。 この神社は当時この地の豪族河崎基家(渋谷氏の祖)が渋谷城のお守護神として創建したものである。写真はHさん提供。 |
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金王八幡宮境内には源氏に忠節を尽くした渋谷金王丸をしのんだ御影堂がある。また頼朝は金王丸の忠節をしのび鎌倉の館から桜を移植し「金王桜」(一名 憂さ忘れの桜)と名付けた。 |
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渋谷城は西は渋谷川が外堀となり 東南は鎌倉街道に沿う谷に囲まれ城としての立地条件は良かったが、室町後期に北条氏に攻められ落城した。 境内には渋谷城の砦の石が一塊残されているのみである。 |
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金王八幡本殿と後ろの高層ビル。 |
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金王八幡宮は右には東福寺、左手にはこの豊栄稲荷神社があり11基の庚申塔が建っている。暑さしのぎに 近くの青山一番館でお茶と軽食を取る。 |
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国学院大学の方に戻り 長谷寺に向かう途中真っ赤なクラシックなシトロエンがツタのからまる車庫からちょっとお尻を見せていた。 |
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曹洞宗永平寺別院 長谷寺。かなり大きな寺で坂本九やエノケンなどの墓がある。 |
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境内にある地蔵尊。写真はTさん提供。 |
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長谷寺の屋根にあった鬼瓦。写真はTさん提供。 |
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根津美術館横から青山方面に向かう途中見かけた 地中海風の白い壁に赤い屋根とギリシャ風彫像のある家の玄関先。 |