From Uguisudani to Kishibojin

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 今回(2011年7月6日)は入谷の鬼子母神門前で毎年7月上旬に行われる入谷の朝顔市に併せて散策ルートを決めたのだが、残念ながら今年の朝顔市は震災の影響で中止となり朝顔市は見ることが出来なかった。 途中の三ノ輪駅辺りで広重が「蓑輪金杉三河しま」という題で鶴を描いているが、昔はこの辺りは湿地帯で将軍家の御狩場として鶴が餌付けされていたような田園地帯だったのだが今はその痕跡を見ることも出来ない。
尚ルートは江戸東京歴史散歩1(学研)を参照しているが夏場の暑い中での散策なのでルートを少々割愛している。2016年7月 前回の散策でルートを割愛していたのと朝顔市が東日本大震災で中止だったので、割愛していたルートを補充するため朝顔市に会わせてもう一度歩いてみた(区別するため日時をカッコ書きで記載している)。


日時: 2011年7月06日, 2016年7月8日
交通: JR 山手線 鶯谷駅、 帰り JR 山手線 上野駅 
ルート: 天王寺(2016)〜芋坂(2016)〜羽二重団子(2016)〜善性寺(2016)〜子規庵(2016)〜元三島神社(2011)
〜御行の松(2011)〜背向地蔵(2011)〜寿永寺(2011)〜千束稲荷(2011)〜飛不動正宝院(2011)〜弁天院(2011)
〜小野照崎神社(2011,2016)〜入谷鬼子母神(2011,2016)〜上野不忍池(2016)  徒歩約 7キロ

天王寺の釈迦牟尼仏

JR日暮里駅の上野寄り出口から左手の坂を上がると谷中七福神・毘沙門天の天王寺がある。天王寺は鎌倉期文永年間に開山した日蓮宗であったが 江戸幕府の命で天台宗に改宗したと言う古刹である。
江戸名所図会には「天王寺」ではなく、改宗前の「感応寺」として載っている。
(2016年7月8日)
  沙羅双樹の実

この寺に鎮座する釈迦牟尼仏は「天王寺大仏」の名で親しまれており、象の近くには沙羅双樹が植えられていて実がなっていた。
(2016年7月8日)
  天王寺の蓮

江戸時代には江戸三大富くじの一つで、湯島天神や目黒不動と並び谷中の感応寺として富突興行で知られていた。また幸田露伴の「五重塔」のモデルで有名な五重塔があったが、昭和32年に男女の放火心中で焼失してしまった。 現在は寺の土地の大半は谷中霊園となり、五重塔跡も谷中霊園の中にある。
(2016年7月8日)
  谷中霊園よりスカイツリーを望む

谷中霊園から芋坂を下り善性寺方面に向かう。
(2016年7月8日)
  芋坂とちびっ子

昔この辺りに里芋畑が広がっていたのでこの名があると言う。
(2016年7月8日)
  善性寺の大黒天

六代将軍家宣の生母長昌院がこの寺に葬られて以来将軍家ゆかりの寺となった。
(2016年7月8日)
  将軍橋

寺の前を流れていた音無川(現在は暗渠)に架けられていた石橋が山門前に移設されている。
(2016年7月8日)
  羽二重団子と王子街道碑

善性寺の前には夏目漱石や正岡子規などが訪れたと言う羽二重団子の店がある。店の側に王子街道の碑があるように 店前の道は王子街道であった。
子規の一句「芋坂も団子も月のゆかりかな」の句碑が店の横にあるが、我々も羽二重団子を食し一服する。
鶯谷駅方面に向かう。
(2016年7月8日)
  子規庵

現在のJR鶯谷駅周辺のケバケバしいホテル街から想像できないが、その昔は「鶯鳴く根岸の里の詫び住まい」と言われるように「鶯の里」や「初音の里」と呼ばれる田園風景が広がる風雅の地だった。
正岡子規がここに草庵を構えたのは明治27年で、子規も「雀より鶯多き根岸かな」と詠んでいる。子規はここで俳句雑誌「ホトトギス」を創刊した。
(2016年7月8日)
  豆腐料理笹乃雪と子規の句碑

正岡子規も訪れたと言う豆腐料理の笹乃雪。笹乃雪の由来は絹ごし豆腐を初めて世に出し、笹の上に積もった雪のようだと評されたことによるとある。
本来のルートでは、この後「御行の松」、「薬王寺」方面に行くのだが 前回すでに行っているので 今回はショートカットして入谷鬼子母神の朝顔市を見に行くことにする。
(2016年7月8日)
   鶯谷駅を降りて駅の直ぐ傍に見えた元三島神社に向かうと なんと歓楽街の中に神社の社が見えてきた。 鶯谷駅は東京に住んでいて多分初めて降りたのではないかと思うが、今回の散策のハイライトのような予感
元三島神社は愛媛県大三島町の大山祇神社を勧請したものであり、下谷七福神(寿老人)としても有名である。 当然歓楽街は後から神社を取り囲むように出来たものであろう。
   神社を出るとラブホテル街。鶯谷駅へのショートカットなのか 意外と通行者が多い。
言問通りのガード下から元三島神社の入り口を望む。
言問い通りを渡って御行の松がある西蔵院不動堂に向かうと こんな所からもスカイツリーのほぼ全容を見ることが出来る。
御行の松(現在は3代目)。広重も描いているそうだが 江戸名所図会によれば昔この辺りは”時雨の岡”とも言われており 別名”時雨の松”とも言われたとある。碑の横には初代松の朽ちた切り株が現在でも展示されている。
音無川跡と思われる道を歩いて背向地蔵まで行く途中見かけたビルの窓と鮮やかなグリーン。
音無川跡の道を進むと 横手に昔は看板を出した商店だったような建物が連なっていた。現在は住居になっているようだ。 
写真はEさん提供。
元は階段があったのだろうが 現在は使われていない(使えない?)2階に入り口がある建物。 このような不要なものがある建造物をトマソン物件と言うとか?(トマソンは昔巨人にいた選手のようなのだが)。 
写真はTさん提供。
薬王寺の背向地蔵(うしろむきじぞう)。伝説ではこの地蔵は日光街道に向かって立っていたのだが 日光街道が地蔵の後ろを通るように変更されたため地蔵の向きも新しい街道に向くように変えたのだが いつの間にかまたもとあった旧街道の方を向くようになっていたそうだ。 そのため背向地蔵という名がついたと言う。
写真はEさん提供。
 
薬王寺の門前にいた柴犬。最初一吼えしたが 番犬としての役目を果したと思ったのか後は知らんぷりで日向ぼっこ、熱中症に注意しましょう。
写真はTさん提供。
薬王寺の手水鉢(?)に映った葉。
寿永寺(布袋尊)。下谷七福神めぐりの一つで他に 弁天院(弁財天)、英信寺(大黒天)、元三島神社(寿老人)、法昌寺(毘沙門天)、飛不動尊正宝院(恵比寿)、入谷鬼子母神(福禄寿)がある。 この布袋様は斜め横から見るとふくよかに笑って見えるが 正面だと目が笑っていないように見えるのだが。
写真はHさん提供。

   千束稲荷。昔この辺りを千束の郷と言い この地の氏神である。
   樋口一葉の「たけくらべ」にも千束稲荷の祭りのことが書かれており、境内には樋口一葉の像がある。
飛び不動。 ここは以前別の散策で寄ったことがある。飛び不動の名は寺の修行僧が本尊を大峯山まで運んでいて寺の本尊が留守の間江戸にいる信者達が一心に祈っていたところ 本尊が一夜にして空を飛んで戻ってきたと言う縁起による。そのため空の安全を守る不動尊として親しまれており、下谷七福神めぐりの一つ。
この童子像は池上本門寺にある童子像に似ていたので一枚。脇の絵馬には飛行機のパイロットや航空学校の生徒の絵馬が多くあったが、落ちないと言う縁起を担いで学校合格祈願の絵馬も多かった。
隣ではいい気分で酒盛りしているような僧侶の像があったので一枚、もちろん高尚なお話をしているのでしょうが。
写真はTさん提供。
小野崎照神社の富士塚。富士山の山開きにちなみ毎年6月30日と7月1日には一般に開放される。
小野照崎神社の境内のネコ。境内には3匹ほどのネコがいついているようだ。
小野照崎神社は平安時代の足利学校の創設者小野篁(おののたかむら)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
ここの例大祭は毎年5月19日に一番近い土日に行われるそうだが大変な賑わいだそうだ(今年は震災の影響で神輿は出なかったようだ)。
写真はTさん提供。
入谷鬼子母神(福禄寿) 正しくは真源寺と称す日蓮宗の古寺。下谷七福神めぐりの一つで「恐れ入谷の鬼子母神」の言い回しでも知られる。
入谷の朝顔市の由来はこの真源寺の近くにある長松寺門前で入谷の植木屋たちが自作の珍しい朝顔を披露したことによるそうだが 現在の朝顔市の朝顔は埼玉辺りで栽培されているらしい。
写真はHさん提供。
  入谷の朝顔市

入谷鬼子母神の朝顔市は毎年7月6,7,8日の3日間真源寺とその周辺で開催される。
この日は最終日であったが、平日なので車道が朝顔市に使用されていないので、ゆっくり写真を撮ることが出来なかった。
(2016年7月8日)
  入谷の朝顔市

朝顔市は現在では入谷が有名だが、江戸時代は下谷(御徒町付近)で大番与力・谷七左衛門が様々な変わり種の朝顔を作りだし有名になったそうだ。
(2016年7月8日)
  入谷鬼子母神(真源寺)

入谷鬼子母神の境内にも朝顔の鉢が所狭しと並べられていた。
この後上野で食事をして不忍池の蓮を撮りに行く。
(2016年7月8日)
どうもこの建物が長松寺のようだが 中には入れなかった。
写真はTさん提供。
上野駅に向かう途中にあったウエスタン北山珈琲店。 この店は知人によれば東京の珈琲店で一番美味いと言うのだが 店の前には「商談お断り、30分以上の長居は無用」とあり お冷も珈琲を一口味わってからでないと出てこないと言うような かなり敷居の高い店である。 3^4年寝かせて熟成した豆を使っているらしいが 自分には濃すぎるように思う。
ようやく上野に着くと 上野公園傍のビルが工事中で西郷さんがニョッキリ。 薩摩の方を望んでいるそうだが 今のところは見晴らしが良さそうだが ビルが建つとどうなることやら。
上野の「翁庵」で蕎麦を食べて お茶をする。
  西郷さんの銅像の近くの変な銅像

どうやら人間が銅像の鎧のようなものを着て立っているようだ。
全然動かないので本物の銅像と見間違える。良く見ると下に賽銭箱が置いてある。
(2016年7月8日)
  不忍池の池の蓮

残念ながらまだ満開には程遠く、少し咲いているものを探して撮る。 
(2016年7月8日)
  不忍池の池の蓮

見渡しても咲いているのは ほんの僅かである。7月後半にならなければ不忍池に一面蓮の花が咲き誇るのは見れないようである。
(2016年7月8日)

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