From Hakusan Enjyouji to KonnyakuTera

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 今回は白山神社で毎年行われている あじさい祭りにあわせて小石川の史跡めぐりをした。 小石川はその名の通り小石の多い小さな川が多く流れていたためと言われている。 実際播磨坂に至る千川通りはかって千川と言う川が流れていたことの名残である。小石川はまた徳川家ゆかりの地で 途中には5代将軍綱吉が幼少の頃過ごした白山御殿跡地にある小石川植物園もあったが 結構暑くなってきたので植物園を全て周わるのは断念した。


日時: 2011年6月14日
交通: 都営三田線 白山駅、 帰り 都営三田線 春日駅 
ルート: 円乗寺〜大円寺〜白山神社〜小石川植物園〜石川啄木終焉の地〜伝通院〜善光寺と善光寺坂〜源覚寺
徒歩約 5キロ

白山駅を出て旧白山通りの反対側の方に行くと 円乗寺門前に八百屋お七地蔵尊がある。 この辺りは昔「指ヶ谷」と言われていたそうだ。写真はTさん提供。
円乗寺(天台宗)はビルの谷間にある。八百屋の娘お七は近くの寺を火元とする火事でこの寺(近くにある吉祥寺と言う説もある)に避難したが そこで寺小姓の吉三郎(これも諸説あり)と知り合い恋の炎が燃え上がった。 お七は浅はかにも火事になれば また吉三郎と会えると思い つけ火をして捕らえられた。 火は直ぐ消し止められたが 当時は放火は重罪で 鈴が森の刑場で火あぶりの刑に処された。 お七若干15歳の頃の話である。江戸時代の悲恋物語の代表格で各種芝居や浄瑠璃等の台本に取り上げられている。
本堂前に八百屋お七の墓があるが、回向院のねずみ小僧次郎吉の墓と同じようにお守りとして石が削り取られている。縁結び、火除け、芸道上達のご利益があるとかで参拝客の手向ける花が絶えない。 尚この墓は寛政年間 お七を演じた歌舞伎役者岩井半四郎が建てたと言う。
参道にある地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6地蔵。 人間は上から二番目で 死後はまたその内のどれかに輪廻すると言うが人間より下には行きたくないものである。
円乗寺の手水鉢の龍。白龍弁才天と記した立て札があり後ろに龍塚がある。
この後近くのやはり お七に関係のある ほうろく地蔵で有名な大円寺に向かう。
大円寺(曹洞宗)の山門。門前に工事用のネコのようなものが置いてある、ここも東日本大震災で被害があったのだろうか。写真はTさん提供。
これが焙烙(ほうろく)地蔵、火あぶりの刑を受けたお七を供養するために建てられたと言う。 昔はこの皿のような焙烙で豆を煎ったりして懐かしいと言っているメンバーがいたが 自分は初めて見た。 奉納された焙烙には病の回復を祈願して具体的な病名(首から上の病気が多い)と名前、歳、地域名等が記されているが、皆かなり深刻な病名で 奉納した人達の必死さが伝わってくる。
お地蔵さんの頭にも焙烙をかぶせてあった。お七の罪業を救うため 熱した焙烙を頭にのせ自ら灼熱の苦しみを受けた身代わり地蔵尊と言われる。写真はEさん提供。
境内にあった子育て地蔵尊。写真はEさん提供。
この寺は立派な石が沢山ありよく整備されていた。
境内に咲いていた花菖蒲を一枚。
水瓶と本堂。本堂脇の窓枠には願い事を記した絵馬が多数掛けられていた。
大円寺の墓所には幕末の兵学者 高島秋帆等の墓がある。写真はTさん提供。
白山神社鳥居。紫陽花の名所であじさい祭りが行われていたが平日なので人はそれ程多くはなかった。この神社は加賀の国一宮の白山神社を勧請したものと言われている。
変わった白い紫陽花の向こうに参拝者を写す。向こうには真っ赤な紫陽花も咲いているが、境内には色々な種類の紫陽花が植えられている。
目がらんらんと金色に輝く狛犬と紫陽花。
ゆりも咲いていた。
境内の紫陽花、ソフトフォーカスで。
岳紫陽花。
ハイポーズ、境内では猿回しのイベントもあった、洗足池から来たのかな。写真はHさん提供。
白山神社の裏門から下りて 白山通りを横切り蓮華寺坂、御殿坂を下り小石川植物園に向かう。
小石川植物園の鬱蒼とした森林。この辺りは自然のまま手を加えない木々が茂っている。
この地は5代将軍綱吉が幼少の頃過ごした白山御殿と呼ばれた下屋敷跡である。 8代将軍吉宗が設置させた目安箱に医者の小川笙船(映画赤ひげの主人公として有名)が入れた意見書が採用され小石川養生所となったもの。 江戸時代の庶民は病気になっても医者代や薬代もままならないのを見かねた笙船が養生所設立を願い出たものである。この小石川養生所は現在は東大大学院の研究施設となっている。
変わった幹をした木だったので一枚。
メタセコイヤも背が高いがこの木も高くまで伸びている。この植物園には「精子発見のイチョウ」、「ニュートンのりんごの木」(万有引力の法則を発見するきっかけになった木の子孫)や「メンデル葡萄」(メンデルの法則で有名なメンデルが研究に使っていた葡萄を移植)などがある。
道を覆うようにして伸びている木。植物園のこの辺りは目黒の国立自然教育園に似ている。
日本庭園の前に小さな菖蒲園があった。
日本庭園方面を望む。
蓮が手前にあればモネの庭。暑くなってきたので植物園の山の方に行くのはパスして 播磨坂方面で食事をしようと言うことになる。
播磨坂にあったレリーフから片目をつぶってウインクしているような猫が顔を出していた。
この近くに石川啄木の終焉の地があると言うので探すが 近所に住む人が教えてくれたのだが 昔啄木が住んでいた場所の痕跡は現在ではまったく残っていないと言う。
この辺りでは食事をする所も営業時間帯でないので見つからない。
母子像と散歩中の母と子。播磨坂は桜の時期両脇に桜並木が続いて素晴らしいと言うので今度来てみたい。
食事をあきらめて播磨坂の途中で横道に入り伝通院に向かう。
伝通院(浄土宗)、本殿前は工事中。この寺は上野寛永寺、芝増上寺、護国寺等と並び徳川ゆかりの寺である。伝通院と言う寺名は家康の生母 於大の方の法名であり、屋根瓦に三つ葉葵の葵の御紋が刻印されている。
寺の関係者がスカイツリーが見えるところがあると言う、確かにビルの隙間から東京スカイツリーがわずかに見えた。
これは家康の生母 於大の方の墓。この他二代将軍秀忠の姫で豊臣秀頼に嫁いだ千姫や三代将軍家光の正妻孝子の墓がある。かなり大きな墓所で佐藤春夫や柴田錬三郎などの有名人の墓もあった。
伝通院から善光寺坂を下っていくと善光寺が左手にある。 もと伝通院の塔頭で縁受院と称したが、明治になって信州の善光寺の別院となって善光寺と改称したという。
源覚寺に行く途中見つけたネコのイラストを描いた細長いビルと細長い人。
源覚寺(こんにゃく寺)。こんにゃく(苦厄)を食べてくれる閻魔王坐像を祀る。眼病を治癒する御利益があると言う。 その昔眼病を患った老婆の願いを聞き入れて 閻魔様が自分の目を一つあげて老婆の眼病を治したという言い伝えがあり 老婆は自分の好物であったこんにゃくを絶ち こんにゃくを閻魔様に供したと言う。 以後こんにゃくを奉納して目の病を治そうとする参拝客が後を絶たないため こんにゃく寺と言われるようになったと言う。この本殿の中に安置されている檜で作られた閻魔王坐像には右目がないと言うがよく分からなかった(目が割れているだけだとも言う)。
歯痛を治すと言われる塩地蔵尊。塩を盛って歯痛が治ったらお供えすると言う。随分歯痛が治った人がいるように思えるが、実際は体の痛い部分に塩をかけると痛みがとれると言うことで多くの参拝客が塩を振りかけている結果のようである。
結局春日駅の近辺で遅い昼食を取り お茶をして今日の散策は終了。

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