Edo Nihonbashi cruise by boat

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前々回 「愛宕山から新橋・浅草」の江戸散歩の時 日の出桟橋から水上バスに乗って隅田川を浅草まで下ったが、その時今度は日本橋川舟めぐりをしてみたいと書いたが、実現したので掲載します。 あいにくの天気で途中雨も降ってきたが 電気ボートで 普段見ることの出来ない視点から東京の川辺を眺めてみることが出来たので面白かった。 ガイドさんの飽きさせない江戸の川や橋についての説明も良かったので あっという間の1時間だった。今度暖かくなったら神田川や日本橋川の上流の方もクルージングして見たいと思った。 尚 今回の舟めぐりはNPO法人「江戸東京再発見コンソーシアム」が運営している電気ボートによる「お江戸日本橋舟めぐり」を利用しました。また写真は船の窓越しに撮っているので鮮鋭度が若干落ちていたり窓の映りこみがありますがご了承下さい。 

日時: 2010年 11月15日
ルート: 常磐橋防災船着場前〜日本橋川〜隅田川〜亀島川〜常磐橋防災船着場前   時間: 約1時間

出発時間よりだいぶ早く着いたので常磐橋付近を散策。
橋より常橋を望む。ボートに乗ってからガイドさんに聞いた話では 自分が今立っている橋は一番古いもので常磐橋と石を含んだ漢字になっているが 向こうに見える常盤橋は皿を含んだ漢字で 反対側にある新常盤橋も皿を使っている。 皿のような割れやすい橋では困るので磐にしたとか。
常磐橋より日銀方面を望む。常磐橋は両国橋が出来る前までは江戸一の大橋であったそうだ。この辺りの石垣には諸大名が普請したため石垣の中に各藩の刻印石が刻まれたものがあると言うが 自分はあまり良く見えなかった。
ここが常磐橋側の常磐橋防災船着場前。江戸東京再発見コンソーシアムはNPO法人東京中央ネットが主催し建設技術研究所 国土文化研究所が事業担当しています。舟めぐりの他 街めぐりコース(ランチつき)、舟めぐりと街めぐりのショートコースがセットのもの等があります。
まだボートが戻ってこない。今日はかなり水位が高く満ち潮のようだ。
ようやく前のコースのボートが戻ってきた。 このボートは電気で走るため騒音がすくなく 以前乗った隅田川の水上バスよりはかなり船体が低いので江戸時代の猪牙船に乗っているような感じだろうか。一応ライフジャケットを装着するが今まで使ったことはないようだ。
確かに この常磐橋は磐と言う漢字を使っている。
首都高下の日本橋川より一石橋を望む。一石橋は橋の両脇に後藤庄三郎と後藤縫殿助の邸宅があったため後藤(五斗)二つで一石という洒落でつけられたもの。この橋からは一石橋も含めて八つの橋(銭亀橋、道三橋、日本橋、江戸橋、常盤橋、呉服橋、鍛冶橋)を見ることが出来たため「八ッ見の橋」とも言われていた。一石橋のたもとには迷い子のしるべが今も残っている。
日本橋は残念ながらお化粧直しの最中で青いシートが張られていた。先日ここで日本橋・京橋まつりで大江戸活粋パレードが行われており この舟めぐりクルージングを知ることになった。
日本橋横の かっての魚河岸を三越を背景にして望む。川の反対側には晒し場があった。広重の東海道五十三次の一枚「日本橋」では犬が居る辺りがそれを示唆しているそうだ。
江戸橋より三菱の日本最初の倉庫(現在はトランクルーム)の建物を望む。 以前近くを歩いたとき随分レトロな建物だと思っていたが、川から眺めると建物が船(戦艦?)の形をしているのが良く分かる。
江戸橋ジャンクションあたりか。江戸橋のたもとには江戸橋広小路という「日除け地」があったそうだ。江戸時代は火事が多いので寺社などを郊外に移し日除け地を作ったもの。上野広小路のように現在も名前が残っているものもある。
鎧橋。昔鎧の渡しがあったところに橋が架けられた。名前の由来は奥州討伐に向かった源義家が船を出すために 風波を自分の鎧をささげて神に祈り鎮めたというもの。周りは兜町で証券取引所がある。 当時川を渡るためには軍事上橋を作らず渡しが主流であったが、明暦の大火(振袖火事)後 橋が多く作られるようになった。尚 明暦の大火の原因は前回の江戸散歩の本妙寺で書いたように諸説がある。
茅場橋。 広重の江戸名所百景の「鎧の渡し小網町」で日本橋川沿いに白壁の建物がずらっと並んでいるのが分かるが、江戸時代日本橋川沿いには問屋が多くあり菱垣廻船で酒を大阪方面より運んでいたので下り酒(大阪の酒のほうが上等とされていた)と言い、ガイドさんによれば 大阪の食い倒れ、京都の着倒れに対して江戸では酔い倒れとか言うそうだ。
湊橋(みなとばし)。海に近いせいか ユリカゴメが沢山橋の上に並んでいる。
ユリカモメが浮かぶ湊橋より豊海橋を望む。ユリカゴメは別名都鳥(みやこどり)。
豊海橋(とよみばし)はライトアップするとなかなか素敵な橋だそうだ。今度夕方行ってみようと思った。
  豊海橋を湊橋上から眺める。 ボートからの眺めとは一寸違うようです。 写真はTさん提供。
永代橋。この辺りが永代島と言われていたので永代橋と呼ばれているが、徳川幕府が永代続くようにと言う意味もこめられているとか。隅田川に出るとさすがに大きな船も行き交っており横波が来ると横揺れで木の葉のように揺れる。
隅田川大橋より清洲橋を望む。
清洲橋(きよすばし) スカイツリーを背景にして。青い看板が少々目障り。 この橋はドイツのケルンにあった橋をモデルにした優美な形をした橋だ。
ここまではスカイツリーを見せるためのサービスで ボートはユーターンして亀島川方面に戻る。
永代橋、中央大橋と 高層マンション リバーシティー21.ガイドさんによれば有名人も住んでいるとか。
リバーシティー21と中央大橋。
中央大橋をくぐり亀島川に向かう。隅田川テラスにも紅葉が始まったようだ。
中央大橋の中央部にある このモニュメントはフランスの当時パリ市長であったジャック・シラクから寄贈されたそうだが 橋の上からは何か良く分からなかったが、ボートから見るとメッセンジャーと言う彫刻の名称の意味が分かるように思う。
隅田川はフランスのセーヌ川と友好河川で提携しており中央大橋はフランスのデザイン会社に設計を依頼しており この主塔には日本の兜を意匠したデザインがなされているということだ。自分は琴の琴柱(ことじ)のことかと思った。最近上信越自動車道の碓氷峠の辺を走っていたらこれと似たような陸橋があった。
紅葉がそろそろ見頃。 隅田川沿いの紅葉狩りもおつなもの。
この水門は川の水位を調整しているそうだ。この下をくぐり亀島川に入る、信号が青なのでくぐれそうだ。
南高橋。前方の赤い橋がが高橋。
高橋。 字を見ただけでは人の名前と勘違いしてしまう。この辺りは船どまりになっているようだ。
高橋から舟泊まりをみる。
亀島橋。前方の大きなビルはホテルのようだ。
新亀島橋。 ごちゃごちゃした所だがスカイツリーが見える。
この辺りは停泊できない場所らしいが不法停泊、不法投棄(お金がかかるのでそのままにしているらしい)が多いようだ。川の水が緑色に見えるが これは川の植物の色が見えているためで水自体は
無色透明で臭いもしないようだ。ガイドさんが実際に水をビンに汲んで証明して見せた。さすがに飲めるとは言わなかったが。
霊岸橋。雨が少し強くなってきた。ここの先からまた日本橋川に入る。
もう一度 日本橋の中央柱の麒麟を下から見て 常磐橋防災船着場前に着く。下船した後 昔日銀出身の方と仕事で日銀に行った帰り 必ず近くの砂場と言う蕎麦屋に寄ったのを思い出してメンバーと昼食をする、店の中が随分変っていたので驚いた。
今回の江戸散歩は およそ一時間なかなか普通では味わえない舟旅でした。江戸時代の河は随分埋め立てられてしまったが 今も残っている河は これからも大切にして 美しくもっと有用に出来たらと思う。

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