From Minowa Jyoukan temple to Matsuchiyamaseiten

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日時: 2009年12月17日, 2017年5月6日
交通: 営団日比谷線 三ノ輪橋駅、帰り 都営浅草線 浅草駅
ルート:浄閑寺〜一葉記念館〜飛不動〜鷲(おおとり)神社〜吉原弁財天・吉原神社〜見返り柳〜春慶院〜
山谷掘り公園〜待乳山(まつちやま)聖天〜墨田公園  約 4.5キロ

 2017年5月6日 ゴールデンウイーク中に以前(2009年12月17日)行ったことのあるルートを再訪してみた。訪れた時期が分かるように写真には日時を記している。飛不動正宝院には2011年7月に鬼子母神の散策ルートでも訪れてよく覚えていたが、8年前のことなのであまり覚えていない所もあり同じルートを再訪してみるのも面白い。

2009年12月17日 浄閑寺墓所側を走る常磐線。浄閑寺は遊女の投げ込み寺として有名。「生まれては苦界 死しては浄閑寺」(花又花酔)
  2017年5月6日 浄閑寺の三遊亭歌笑塚とその向こうに新吉原総霊塔が見える。メンバーで三代目歌笑を知っている人がいたが、自分は柳家金語楼は知っているが歌笑は知らなかった。
  2017年5月6日 浄閑寺のひまわり地蔵
山谷には当時日雇い労働者が多く、太陽の下で一生を働きぬいて来て一人寂しく人生を終えた人達のために建立されたとある。
  2017年5月6日  江戸時代この辺りは音無川が三ノ輪から山谷掘りへ流れ隅田川へそそいでいたそうだが、今は暗渠となっていいる。音無川に沿って続く土手が日本堤で広重の江戸百景にも描かれており、土手道を進む人と駕籠の先には見返り柳が見えその先に煌々と輝く不夜城が描かれている。
この近くには江戸五色不動の一つ永久寺もあり、以前訪れたことがあるはずだが殆ど記憶になかった。
2009年12月17日 飛び不動に行く途中にあった真っ赤な建物
  2017年5月6日  鯉のぼりと一葉記念館
左手が一葉記念館で以前の散策で入館したので今回はパスした。この近くに本郷菊坂より移ってきて駄菓子・雑貨屋を営みながら小説を書いた一葉の旧居跡があるが現在は碑のみ。
2009年12月17日 飛び不動。空の旅の安全と受験(落ちない)に御利益があるとか。
  2017年5月6日  飛び不動は入谷鬼子母神のルートの散策でも訪れたことがあり、今度で3度目になり同じような写真を撮ることになってしまった。
  2017年5月6日 羅漢さま
羅漢とは悟りを得た人を意味するのだが、自分には良い気分で酒盛りをしているようにしか見えないのですが。
2009年12月17日 飛び不動横の石仏とカメラマン。
  2017年5月6日 上と同じ石仏のようだが、以前と配置を変えたようだ。
  2017年5月6日鷲神社拝殿
吉原弁財天に行く途中、竜泉寺鷲(おおとり)神社に寄る。十一月の酉の市には大勢の参拝者と熊手を売る店が連なる。本家は足立区の花畑の鷲大明神社である。
  2017年5月6日 吉原弁財天の吉原観音
関東大震災の時ここにあった瓢箪池に逃れて溺れて非業の死を遂げた娼婦たちの霊を供養する吉原観音、近くに吉原神社もある。
2009年12月17日 天婦羅の老舗 「いせや本店」
土手通りにあるので「土手の伊勢屋」とも言われ、自分の家のご近所の老夫婦はよくここまで天丼を食しに来ると言う。
  2017年5月6日 今回は「いせや本店」で昼食を取ろうと思ったのだが、ご覧の通りの行列でやむなく隣の蕎麦屋に入る。 お茶は以前も玉の井から待乳山聖天への散策ルートで行ったことがあり、この近くの吉野通り沿いにあるカフェバッハでする。
  2017年5月6日 吉原大門側の見返り柳碑
吉原での遊び帰りの客がこの辺りで後ろ髪を引かれる想いで、この柳の所で遊郭を振り返ったことから見返り柳と言われるようになったそうだ。後ろに小さな柳がポツンとあるが、震災などで何度か植え替えられたものである。吉原はもとは日本橋葦町(現在の人形町の辺り)にあり、葦(よし)の生い茂る所だったので葦原と言われていたが、ゲンの良い吉原に読み替えられたという。しかし明暦の大火により幕府の命により日本橋葦町よりこの地に移されて来たので当時は日本橋の旧吉原に対して新吉原と言われていた。
  2017年5月6日 東禅寺 江戸六地蔵二番
横にパンの木村屋夫妻の座像がある。
   2017年5月6日 春慶院の子育て地蔵。地蔵の左手には伊達藩主伊達綱宗とのラブロマンスで知られる吉原の名妓高尾太夫の墓がある。高尾太夫を名乗った遊女は十一人いたと言われるが、この太夫は2代目である。
  2017年5月6日  山谷掘り公園の苔むした老木
現在は暗渠になっているが、当時遊客は柳橋で猪牙船に乗り、隅田川を下り今戸でこの山谷掘に入り、日本堤を経て吉原大門に向かった。当時吉原は周囲を塀で囲まれており、その周辺は塀がめぐり内側にも忍び返しが付いた黒塀で囲まれ、入り口は大門一か所のみで番人が監視していおり、吉原は完全に外部と隔離されていた。
  2017年5月6日 待乳山聖天
浅草寺の子院であり、本尊は「大聖歓喜天」。境内には奉納する大根があるが、健康で一家和合を祈願するためのもの。
2009年12月17日 待乳山聖天より望む建設中の東京スカイツリー
  2017年5月6日  待乳山聖天より望む完成した東京スカイツリー
2009年12月17日 ミラー越しに映った待乳山聖天の社殿。この待乳山は江戸時代にはもっと背の高い山であったそうだが、隅田川の洪水を防ぐため日本堤築いたため山の土を削り取られ低くなったそうだ。 広重は浅草近辺を多く描いているが この待乳山も隅田川の対岸からの夜景を描いている。
  2017年5月6日 五月晴れの陽気で外国からの観光客も多くスカイツリーをバックに様々なポーズで写真を撮っていた。我々も陽気に誘われて隅田川の土手にあるカフェでビールを飲んで一時を過ごす。
2009年12月17日 墨田公園で見かけた古風な風情を醸し出している神士。モノクロが合いそうだったので変換。
  2009年12月17日 浅草公会堂辺りの夕景。 
2009年12月17日 ちょうど浅草仲見世通りでは羽子板市の初日でした。しかし以前よりは店数が少ないように感じた。
2009年12月17日 こちらは今風のも置いている。ガンダム売約済み、クレヨンしんちゃんや野村監督の後姿も見えます。
  2009年12月17日  スポット照明で怪しげに浮かび上がっている羽子板。

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