2016年1月13日 以前行ったことのある深川散策をしてみた。深川の散策は この東京江戸散歩で最初に歩いたところなので感慨深い。 以前と同じルートを辿ってみたが、ちょうど時季がら深川七福神巡りの人が大勢いて、我々もさながら七福神めぐりをするようなことになってしまった。それでも以前は気が付かなかったようなことを発見したり、懐かしいこともあり、以前行ったことのあるルートであっても十分楽しめた。 一部旧項目で写真を入れ替えてあるものもあるが、新しい項目には日時を入れてるようにした。 |
深川不動のわらじ守 無病足(?)災を祈願。 深川不動尊(恵比寿神)は江戸時代には富岡八幡宮境内の別当 永代寺だった所。廃仏毀釈で廃寺になったのを明治になって成田山新勝寺の別院として再建したものである。 広重の江戸百景でも当時 永代寺の庭を一般に開放した初日(3月21日)の深川八まん山ひらき を描いている。 |
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おねがい不動尊 自分には しかめ面でウインクしているように見えるのだが。 成田山は交通安全に御利益があるというので、車に貼るお札を買う。(2016,1,13) |
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深川不動門前にある暖簾が粋な店 | |
富岡八幡宮の大鳥居 本殿の上にはここからの景観を意識して建てられたかのような高層ビルが見える。 三年に一度の深川祭は日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭、浅草の三社祭と並ぶ江戸の四大祭で、神輿が力水を浴びながら練り歩く水掛け祭として有名。神輿蔵には佐川急便の社長が奉納したという重さ4.5トンの黄金大神輿が展示されている。 (2016,1,13) |
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富岡八幡宮内にある横綱力士の碑。 結構最近の横綱のもある。 江戸時代には富岡八幡宮の隣に 京の三十三間堂を真似た深川三十三間堂が作られ通し矢が行われていた。 広重も木場を背景に三十三間堂を描いている。 |
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横綱力士の碑銘 表側が北の富士、玉の海など日本人力士の名が刻まれており、裏側は外国の力士ばかりなので これは差別ではないかと思ったら、最近の横綱は皆外国人であることが判明。琴奨菊が横綱になったら この面に記載されるのであろう。(2016,1,13) |
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八幡橋 都内最古の鉄橋で弾正橋と言われた。歩いてみたがなかなかしっかりした作りだ。 | |
八幡橋の下で昼寝していた肥満気味のネコ。近所の人達が餌を与えているため 食っちゃ寝しているせいかこの有様。 | |
7年前に見たネコと似たようなネコを発見。ちょっと痩せているようなので違うかもしれない。(2016,1,13) | |
八幡橋の下には3、4匹のネコが住んでいる。 ネコなので寝泊まりするのは許してほしいと お願いしているようです。(2016,1,13) | |
法乗院閻魔堂のお賽銭箱 ここのお賽銭箱は20個程あり、願い事の種類毎に賽銭箱が違う。「浮気封じ」や「ぼけ封じ」等もある。境内には父の敵を追ってこの地に来たという 曽我兄弟の足跡を残すという伝説の石「曽我五郎の足跡石」がある。(2016,1,13) |
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清澄庭園に行く途中の堀に映っていた建物。深川は木場があるせいか材木運搬用の水郷も多くその結果橋も多い、下町のベニス? | |
信号待ちしていると ちょうど乳母車を押したヤンママ軍団が行進していました。 | |
長寿庵 7年前に入った蕎麦屋さん。店に入ったら女将さんの元気のいい声で、7年前ここで蕎麦を食べたのを鮮明に思い出した。(2016、1,13) |
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ちょっとレトロな通り 現在は古い建物になったが、たぶん昔はモダンな建物のある通りで有名だったのだろう。(2016、1、13) |
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誰かに似ている (答え 柔道の篠原) この辺りは木場に近いので 木材を使ったレリーフを寺壁にしているお寺があった。(2016、1、13) |
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霊巌寺 江戸初期には隅田川の中州を埋めて出来た霊巌島にあったが、明暦の大火でこの地に移ってきたという。浄土宗の寺で「寛政の改革」を行った老中松平定信の墓や、子院の成等院には豪商紀伊国屋文左衛門の墓がある。(2016、1、13) 今回の散策で下記の写真はこの霊巌寺の地蔵尊であることが判明。 |
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寺の名前が確かでないが、清澄庭園に行く途中には心行寺、正覚寺、淨心寺、本立院、霊厳寺等11程寺があった。石仏と建物の対比が面白かったのでスナップ。 | |
下町ではトイレも粋だ。 | |
江戸みやげ屋たかはし 以前ちょん髷を被った人がいるお土産屋さんがあったのを思い出しちょっと寄ってみる。お店のご主人と店の由来など長話をする。江戸情緒のある玩具やお菓子以外に深川めしや佃煮なども売っている。独学で覚えた南京玉すだれの芸で施設を訪れお年寄りなどを慰労したり、店に来る子供達に社会勉強を教えてあげたり 地域社会に貢献していますが、それが自分の生きがいにもなっていると言っていました。(2016、1,13) |
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清澄庭園 紀伊国屋文左衛門の別邸で後下総関宿藩久世家の下屋敷となり、明治に入り三菱財閥の岩崎家の別邸となったところ。(2015,12,16) |
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清澄庭園 清澄庭園は潮入り回遊式庭園であり、池畔に数寄屋造りの茶屋涼亭があり、結婚式などにも使われるという。(2015、12、16) |
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清澄庭園で見かけたちょっと澄ましたサギ。 | |
実は ちょっとおっちょこちょいなサギでした、着地に失敗して危うく落っこちそうになりました。 | |
ダイサギも健在のようです。 (2015,12,16) |
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夕日を浴びる芭蕉庵史跡展望公園の芭蕉像 この芭蕉像は時間により回転するというが、確かめられなかった。近くの芭蕉稲荷には芭蕉が奥の細道に旅立ったという芭蕉庵跡の碑がある。(2015,12,16) |
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清州橋 ドイツのケルン市にあるヒンデンブルグ橋をモデルにした吊り橋。(2015、12、16) |
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芭蕉庵の近くの新大橋(隣の両国橋がかって大橋と呼ばれていたため新大橋として区別した)の黄色い鉄柱を近くのビルと対比する。この辺りは幕府御用船繋留地で安宅丸が繋留されていたことから安宅と呼ばれていた。 ゴッホも模写したと言う 広重の傑作「大はしあたけの夕立」はこの辺を両国浜町方面より描いたものである。 |
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隅田川とスカイツリー 向こうには小名木川も見え、江戸時代は江戸が水上交通都市であったことがうかがえる。(2015、12、16) |
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深川神明宮の神輿舎のシャッターに描かれていたものの内の一枚。全部で9車あった。 深川神明宮(寿老神)はこの地で 湿地帯を埋め立て土地を造成した 深川八郎右衛門が屋敷内に神明の祠を建てたのが創まりと伝えられる。 |
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魚三 深川不動尊から永代通りを渡ると、魚が安くて旨いと評判の居酒屋「魚三」があり、開店前から順番待ちしているという(森下町にも別店舗がある)。 後日実際に行ってみると本当に16時開店前からこの写真の様に並んでいるのにはビックリ。何とか一階のカウンター席に滑りこみセーフ。ただし制限時間2時間一本勝負。 (2016、1、22) |
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門前仲町 門仲には深川不動尊の横の方にも こんなレトロな飲み屋街がある。(2013,6,18) |
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あまり良い写真が撮れなかったが、洗足池駅で降りて自宅に帰る途中池上線路上が真っ赤に焼けていて これが今日(2009、1 ,27)、、一番のショットになりました。 |