■ 2000年 北海道新聞社会面・全道版掲載記事 ■
人気デュオ「19(ジューク)」で心一つに
     *学級崩壊 歌が救った*
浜中・散布小*演奏者あすコンサート

【浜中】人気デュオ「19」の曲がきっかけで、釧路管内浜中町の散布小(品○○一郎校長、児童85人)の5年生が学級崩壊から立ち直り、その曲をプロデュースした池間史規さん(41)も出演するコンサートが5日午後2時から、町総合文化センターで開かれる。
同小の5年生15人全員も、コンサートの最後にステージに立って思い出の曲を歌う。

このクラスは、4年生までは授業中に教室を抜け出したり、じっと授業を受けられなかったりする、いわゆる学級崩壊の状態だった。
昨年4月に担任になった鎗○洋教諭(41)は「何か子供たちの心が一つになれるものがあれば」との思いで音楽を提案したが、なかなか興味を示してくれなかった。

昨年11月ごろ、クラスの○○悠大君と○○一成君が「19」のヒット曲「あの紙ヒコーキくもり空わって」という曲に興味を持ったのがきっかけ、クラスが一つになって歌うようになった。
テスト用紙の裏に夢を書き、紙ヒコーキにして飛ばすという歌詞も子供たちの心をとらえた。
その後、次第に落ち着きを取り戻し、授業中に抜け出す子もいなくなり、表情も明るくなった。

鎗○教諭が「19」のCDを見ると、大学生時代の同期生だった池間史規さんが、バックバンドでベースを弾いているのがわかった。
連絡を受け池間さんは「子供たちの心を動かす曲づくりに参加できて涙が出るほどうれしかった」という。

今回、池間さんが子供たちに会うため浜中を訪ねることを知った町内の有志らが実行委員会をつくり、コンサートも開くことになった。
池間さんは、2月29日に来町、子供たちと練習を重ねている。

コンサートでは町内のバンドがステージに立つほか、同小の5年生も、池間さんと一緒に歌う。
阿○君たちは「みんなで一緒に歌おう」と張り切っている。
入場料は700円。 問い合わせは瓜○さん(ペンション・ポーチ)(電)0153-6○-27○○へ。



■ 2001年12月1日 北海道新聞・釧路根室地方版掲載記事 ■
  「19」バックバンドの池間さん 弟子屈から全国デビュー
        *来春ライブ CD自主制作も* 
音楽仲間が手づくり応援
【弟子屈】東京を拠点に活動する一人のミュージシャンが来春、
釧路管内弟子屈町からシンガーソングライターとしてデビューする。
同町内の音楽仲間が、3月に管内4ヵ所で手づくりのライブを行う準備を進めている。
CDも自主制作し、弟子屈町から全国に向けて発信する。

ミュージシャンは人気デュオ「19」のバックバンドを務める「カクタス」のベーシスト池間史規さん。
多くの歌手のツアーに参加し、編曲家としても活躍中だ。
今回、自作曲の「ひかりのうた」など九曲を初めて録音。
同町の元酪農家S科さん、酪農家O沢さん、昭栄小教諭Y水さんらがCDへの収録や
ジャケット制作などで協力している。

池間さんと道東のかかわりは、一昨年から。
浜中町散布小の五年生が「19」の曲を聞いたのをきっかけに、落ち着きを取り戻した。
同小教諭だったY水さんが池間さんと大学の同期だったため、
連絡をとったところ、池間さんが「自分で役立つのなら」と交流が始まった。

Y水さんは今春、弟子屈町昭栄小に転勤。たびたび来町する池間さんと地元の音楽仲間が交流するうちに、「池間さんの音楽を全国に発信しよう」という機運が盛り上がった。

池間さんも「音楽をビジネスで割り切る東京では考えられないこと。
音楽家としてこれほどうれしいことはない」と、デビューを心待ちにしている。


北海道新聞弟子屈支局 Koie Masanobu



2002年3月4日 北海道新聞社会面・全道版掲載記事 ■
  人に詩(うた)あり
          
弟子屈の仲間が支え   亡き恋人よ、僕は歌う
20年以上もの間、たくさんの華やかな舞台を経験した。
昨年は若手人気デュオ「19(ジューク)」の全国ツアーで1年を締めくくった。
多くのミュージシャンの舞台を支えるベース奏者。だが、今年はその肩書きを封印した。

東京在住のベーシスト池間史規さん(42)が2月末、釧路管内弟子屈町の仲間の後押しでCDを出した。
6日から弟子屈など同管内4ヶ所でコンサートを開き、シンガー・ソングライターとしてデビューする。

池間さんは、弟子屈の仲間の気持ちがうれしい。「僕の歌に共感してくれた人が活動を支えてくれる。
こういうのは、確実に売れるものだけを求める音楽ビジネスの世界では、成り立ちにくいことなんです」

仲間の1人が、弟子屈の昭栄小教諭、Y水洋さん(42)だ。
2人は日大時代、ともに音楽のプロの道を目指した。1人はベーシストに、1人は先生になった。

2年前の冬、Y水さんは釧路管内浜中町の散布小で5年生の担任だった。
子ども達が「先生、この曲歌いたい」と持ってきた「19」のCD。そこに「ベース池間史規」の名前を見つけた。
「池間の音楽を子どもが喜んでいる。1度、浜中に来て歌ってよ」。
Y水さんの申し出に池間さんが応じた。2000年3月、浜中町総合文化センター。
池間さんの誠実な歌声、町民や子ども達の暖かな拍手。心温まるものだった。


「東京での活動では経験したことのない心の震えを感じた。
浜中には何の縁もない自分の歌が素直に伝わる。
他人の歌でぼろぼろに泣いちゃう人を見たことがあるけれど、自分の歌にそんな反応があるとは、驚きでした」
ライブの後、Y水さんが弟子屈の小学校に移った。
今度は弟子屈で、池間さんの音楽が地元の人達をひきつけた。

仲間は主に酪農地帯の熊牛原野に住む。
自分たちのグループをユーモアを交えて「熊牛興業」と呼ぶ。
酪農家や学校の先生、写真家もいる。


仲間は「いいコンサートにしたい」と、池間さんのCD制作や
道東での公演準備に奔走してきた。
CDには「ひかりのうた」「春はくるから」などの歌が収められた。
誰もが感じる切なさや心の痛み。それを池間さんは、明るく穏やかに歌う。
仲間はその優しい旋律にほれ込んだ。

ただ、浜中でのライブとは、1つだけ違いがある。
「たかちゃん」がいない。
「歌には自信がないから」と連れてきたライブの助っ人。
音楽事務所に勤めながら、歌をうたっていた、札幌出身の松谷孝子さんだ。
たかちゃんは、池間さんの恋人でもあった。

浜中でのライブが終わった3日後、
池間さんはたかちゃんの悲痛な電話を受けた。
「私、ガンだって。あと3ヶ月なんだって」。涙声になっていた。
一時は回復し、東京で一緒に暮らした時間もあった。
16ヶ月の闘病の末、昨年7月にたかちゃんは力尽きた。まだ34歳だった。

悲しみは消えない。
だが、弟子屈の仲間といると勇気が出ると、池間さんは言う。
 「弟子屈にいると、自分の中のエネルギーが、どんどん大きくなるような気がする。
今は、仲間の思いから生まれ、広がっていく、自分の歌の力を信じてみたい」

池間さんのCDに先立ち、もう1枚、CDが発売された。
たかちゃんの詩に池間さんが曲を付けた歌を、
生前のたかちゃんの澄んだ、伸びやかな声で聴くことができる。
 病床のたかちゃんは、池間さんに、こう言い残した。
「あなたが歌い続けることが、私の幸せなんだから」と。
弟子屈から新たな一歩を踏み出し、池間さんはたかちゃんとの約束を果たす。

北海道新聞弟子屈支局 Koie Masanobu


(月刊)道新today 2002年4月号掲載記事
 亡き恋人・孝ちゃんの思い出胸に
            
弟子屈から池間さんがCDデビュー 
「歌には力がある」。 
この言葉を信じ、一人のミュージシャンが道東の小さな町から羽ばたく。
静岡県生まれの43才、東京でベーシスト、アレンジャ―、作曲家として活躍する池間史規さん。

そのシンガーソングライターとしてのデビューアルバム
「春はくるから/ひかりのうた」が、2月28日に発売された。

CDを世に送り出したのは北海道釧路管内弟子屈町の音楽好きの仲間。
自分たちが住む熊牛原野をもじり、「熊牛興業」と怪しげな名で活動するが、
酪農家や小学校教諭など普通のオジサンだ。

3月初めに開いた弟子屈など道東4ヶ所でのコンサートも企画。
池間さんの歌を多くの人に伝えたいという思いで休まず走り回ってきた。

「僕らが好きだった傾向の音楽とは違うんだけど、なぜかひかれてしまってね」。
熊牛興業のT・SarashinaさんやS・Ozawaさんはこう話す。
「そのまま歩いて行こう/今の君で大丈夫さ/いつか君が光になる」(ひかりのうた)。
池間さんの歌には、傷ついた人や迷った人を、そっと包む優しさがある。

2000年3月、池間さんは、釧路管内浜中町に住んでいた大学の同期のH・Yarimizuさん
(現在は弟子屈・昭栄小教諭で熊牛興業のメンバー)に誘われ、浜中の手作りコンサートに出演した。
自分の歌への客席の素直な反応は、ミュージシャンとしての20数年間で初めての経験だった。

舞台をともに踏んだのが、池間さんの恋人「たかちゃん」こと松谷孝子さん。
歌手を目指していた彼女の伸びやかな声は、池間さんのピアノと溶け合い、豊かに響いた。

しかし、二人の喜びは直後に暗転する。
体調に不安を感じていた、たかちゃんは帰郷した札幌の病院でがんを告げられる。
1年数ヶ月の闘病生活ののち、たかちゃんは34才で世を去った。

たかちゃんは池間さんに「歌い続けて」と言い残した。
浜中から弟子屈に移り住んだH・Yarimizuさんから、経緯を聞いた弟子屈の仲間は、
その言葉を実現するため、落胆に沈む池間さんを引っ張り出した。

この2月、弟子屈に札幌から1通の手紙が届いた。
差出人は札幌の松谷和子さん。 たかちゃんのお母さんだ。

「毎日のように、ビデオ、CDを見聞きしながら娘に会っている。
私たちもめそめそと悲しんでばかりいたのでは、天国の娘に叱られてしまう。
日々健康な命を頂いている事に感謝しつつ、明るく過ごして行こうと思う。 
また、娘がお世話になった皆様に、ありがとうございましたと、お礼を申し上げたい」。

浜中でのコンサートを終えた たかちゃんが、病院で検査を受けたいきさつ。 がんを宣告された衝撃。 
母娘で一晩中泣き明かしたことも、つづられている。
家業が忙しく、今回のコンサートに足を運べない和子さんは、夫の忠さんとともの札幌でその成功を祈った。

弟子屈や浜中、札幌、そして東京。 多くの人の思いに支えられた歌だから、多くの人の胸に届く。
それこそが「歌の力」というものだろう。

                                          北海道新聞弟子屈支局 Koie Masanobu