第143話(05/07 FRI

いやいや!ホントに久しぶり。
日記書くのが絶不調なまま、一ヶ月がすぎちゃった。

4月は、いろんな事がありすぎた。良い事もそうでない事も。
明日から九州ツアーであります。
さてさて、どんな珍道中になるやら?

帰ったら、バンバン日記更新するつもりです。

それまで少し待っててね。

じゃ、行ってきま〜す!。


第142話(04/10 SAT

遅ればせながら、3/28は長野県武石(たけし)村、ツーリスト美乃和でのライブでありました。
自分でライブレポ書くのも「何だな〜」だったので、誰かが書いてくれるのを密かに
待っておりましたが、誰も書いてくれないので(悲)今になってしまいしたとさ。

共演ミュージシャンは、津久井、岡澤、藤岡。AB型とB型しかいない、このバンド、
はたしてうまくいくのだろうか?という心配は、どこへやら。
当初、1時間20分の予定が終わってみたら、2時間やってた。
「あっ!」という間の2時間。楽しい時間は短いのだ。

毎度そうなのだが、武石のお客さんはあたたかい。
1曲目から、ウエルカムな感じなのが分る。
ありがたい事であるが、ついつい喋りすぎる。だから2時間なのだが、
この喋りが、自分でも楽しいのである。
ドラムの藤岡は、津久井のボーカルが大層気にいったらしく、1曲目から、
「うまいね〜!」と演奏中に話しかけるわ、何を思ったか、席を急に立ったかと
思いきや、厨房から菜箸を借りてきてドラムをを叩きだした。(驚)

津久井、岡澤も終始ゴキゲン。MCでは助けられるわ、ツッコミ入れられるわ。

よかった。みんな喜んでくれて。

ライブ終了後の打ち上げでは、昭和歌謡のオンパレードで「この路線の方がいいんじゃ
ない?」というくらいの盛りあがり。真剣に昭和歌謡バンド結成か?

ちなみにこの日は、スタッフの峯村さんと僕の誕生日でありました。
祝ってくださってありがとうございます。
祝ってもらうような年でもないんですが嬉しいです。

という訳で、全然ライブレポになってませんねえ。
客観的に見れないからなあ。信濃支部の方、誰か書いてくれませんかあ?




ここで突然管理人が登場してしまいます(スンマセン)。
時を同じくして津久井さんのサイト「餃子倶楽部」にも、津久井さんが長野レポを書いてるのを発見!。


餃子倶楽部
「年記」というところをご覧下さいマセ。 かなり笑えます。(日記を年記というあたり、かなり謎ですがね(^_-)-☆)


第141話(03/27 SAT

東京の桜は5分咲きといったところだろうか?
中には満開に近いのもあって、知らない間に本当に春がきた、と思った。

ニュースを見てたら、網走地方は猛吹雪とか。クマウシ地方も荒れてるのかしらん?
まったく日本は広い。沖縄じゃ泳げるんだからね。

札幌出身の友人が、春に沖縄に行って潜って遊んでいたところへ両親から電話が入り、
「今海に潜って遊んでるんだよ〜」と嬉しそうに言ったら、「この親不孝もの!」と怒られたそうである。
緯度の差は、親子問題に発展する危険性も含んでいるの、、、か?

津久井くんのライブのお客さんに外人さんがいて、話しがしたいと声をかけられた。
英語は喋れないのだが、「Do you speak english?」と聞かれ、「できません!」と
言えばそれですむのに、「I can't」という一言が出てこない。なんでだろうか?
実際外国人前に緊張してんだろうか?

そんなぶっきらぼうに言ったら失礼かな?とか瞬時に頭の中が軽度パニック状態なのである。
そして次の瞬間、僕の口が勝手に発した言葉は、「Little bit(ちょっと)」であった。
何て事言うんだオレの口!勝手に言うんじゃね〜!

時すでに遅し。
その外人さんはうれしそ〜な顔をして、マシンガントークBY英語でまくしたてるのである。
話の内容から言えば10分もあれば済む話である。が、所要時間30分。
あ〜疲れた!。

何話したか?って?? 
え〜〜っ!!??
って話だよ!!。そのうち書きますよん。


第140話(03/25 THU

いかりや長介さん、亡くなっちゃったね。

遺影は、キリンビールのCMのベースを弾いてる姿だったね。
あれはカッコよかったもんなあ。

僕が子どもの頃は、ドリフターズはときどき演奏つきのコントをしていて、
長さんはフェンダーのサンバーストのジャズベを弾いていたっけ。
その弾き方が、親指で弾く奏法で、今の人さし指と中指で弾く奏法とは違うのを
子どもながらにカッコいいと思っていたのです。

僕も曲によっては、手の小指側の側面で弦をミュートし、親指で弾いているのですが、
個人的に「いかりや長介奏法」と呼んでいたのでした。

偉大な人を亡くしたなあ。
今日のステージ(ORITO@次郎吉)は長介奏法炸裂で冥福を祈るつもりです。


第139話(03/20 SAT

北海道から戻ってきた。

今回もいろんな人に会って、お世話になった。
1人1人にお礼を言いたいところですが、この場をお借りして
御挨拶に変えさせていただきます。m(__)mペコリ

今回の目的は、温泉に入りまくる事。、、、ではなく、
浜中町散布中学校の卒業生に会う事がメインである。
都合で卒業式には、出席できなかったので、公民館を借りてお茶会でもしよう、
という話だったはずなのに、フタを開けてみたら子どもたちと演奏をする事になっていた。


STORYに掲載されている様に、彼らと僕を繋いだのは19(ジューク)の曲だった。
ベースを僕が弾いて、あとのパートは子どもたちが担当した。
男の子バンド、女の子バンドに別れ、19の歌を歌った。
5年前、彼らは楽器を弾く事など興味もない連中。
まして歌を歌うなど、とんでもないと思ってた連中である。


それが今では、他の学校にも呼び掛けてコンサートをする位になった。
亡くなった松谷と僕が、残していったものがこんな形で生きていた。
感無量である。

それともう1つ嬉しかったのは、クラスの中で1番おとなしかった男の子が、
漫才を披露した事である。引っ込み思案の彼がセンスのよいツッコミに変身を遂げていた。
1週間猛稽古をしたそうである。
元担任教師である、ヤリはさぞかし嬉しかった事であろう。

ヤリと2人で「おめでとう」を言いに行く旅。
いつもの北海道訪問とは違ったが、とても意味のある旅だった。

14日、北海道到着と同時に起こした行動は、卒業生全員に贈るプレゼントの品の購入。

チョイスしたものは目覚まし時計。

元担任のヤリ&やっさん、本人さんの3名で一つ一つにお祝いのメッセージを書き込む。

期間中には高校入試の発表もあり、喜びを胸に子供たちは旅立って行った・・・。
                       by sara


第138話(03/14 SUN

東京はなんだか春である。

ちまたは卒業式のシーズンだ。

僕の音楽活動の原点と言える、北海道浜中町の、あの生徒さん達も、中学校を卒業である。

出会った時は小学5年、小学校卒業の際にはピアノを弾いたのが、つい昨日のようだが
あれから3年たったのか、、。

小さな町だから、1学年1クラス。
幼稚園の時から毎日顔を合わせていた仲間とも、それぞれの道を行く時がきた。
彼等と一同に会せるのは、これが最後なのかも知れない。
そう思った時、是非行こう、と決めていた。

先方の都合で卒業式には出られないが、彼等に一言、お礼を言いに行ってこようと思う。


第137話(03/10 WED


また2週間以上さぼってしまいましたね。

ここんとこネタがないもんで、、、。

今日は武道館にデビットボウイを見に行ってきた。
当日券が出れば、、とダメ元で行った武道館。
当日券売り場には、すでに長蛇の列が。あ〜やっぱしダメかなあ?
と思ってあきらめ半分で並ぶ事30分、あっさり買えた。ラッキー!。

デビットボウイの熱烈なファン、という訳でもないのだが、
たまたま昨日、インタビュー記事を読んでいて、共感できるものがあった。

アーチストとして自然体を心掛けて生活している事、平和に対する想い、など
彼が語るその内容は、今の僕には共感できるものであった。
この人のエネルギーを直に感じてみたい、と思った。

現れたロック界のカリスマは、とてもカッコいいし歌もうまい。
でも、鼻にとまらないすごく良いエネルギーを放っていた。

本当のスターはお高くとまらない。だからスターなんだ。と思った。

僕の隣で外国人の男性の2人組が、肩を抱き合って見てた。
、、、なるほど、そっち系の人にも人気あるのよね。


第136話(02/23 MON

今日の東京はとても暖かい一日だった。
しかし、風も強かった。「春一番じゃん!」と思ったら、春一番はバレンタインの日に吹いたそうな。

と言う事は、春二番って事か?(そんな日本語はあるの?)

それにしても、まだ2月なのに春一番なんて吹いていいのかな?
ちょっと早くないか?まあ、暖かいのはありがたい事だが。

暖かくなってくると、世の中には何だかオカシイ人が必ず出てくるものである。
微笑ましいオカシサならいいが、中には社会的に迷惑な人も出てくるので困ったものである。

先日、ホテルの最上階に行く事があり、地下の駐車場からエレベーターを待っていた。
来たエレベーターには、すでに人が1人乗っていた。中年のサラリーマン風の男性である。
角のパネルのまん前に陣取ったまま動こうとしないので、仕方なく手を延ばし最上階を押した。
その時点で点灯している階は5階と25階(最上階)。

パネルの前に立つ、そのオヤジをよく見たら、酔っぱらっているのか、寝てるのである。コクリ、コクリと首が下がりかけたその瞬間、悲劇は起こったのである。

彼の顔面まるごと、パネルのスイッチにぶつかり、その後にぶい音をたて、
パネルのスイッチをのきなみ顔面押ししてるのである。いきなり、
13、14、15、、20、21、22と点灯
してしまった。
そして何事もなかったかのように、オヤジは5階で降りていったのである。

その後は、、、もうお分かりですよね。
誰も乗り降りしない各駅停車の旅を楽しんだ春の1日でした。(と日記には書いておこう、、爆っ!)


第135話(02/18 WED

気がついたら2月も、もう半ばじゃないですか!。
先月は、時間のたつのがたつのが長かった。
あまりにも、いっぱいの事があったからね。
2月に入ったら、早い早い!。時間の感覚って不思議だなあ。
(と言って、日記の更新をしなかった言い訳にしている疑惑アリ)

1月に富良野に行った時の事であるが、こんな事があった。
富良野プリンスの中にあるチャペルでのコンサート。
リハーサルを終え、スタッフと話をしてる時に、照明の人(男性、知らない人)
が僕を「じーっ」と見てる。
「あの、イケマさんですよね?。あっ池間さんですね?やっぱり。」

舞台に出てる人間な訳だから、僕の出た舞台に参加してた人なのかもしれない。
向こうは、舞台に立つ人間を見て仕事をしている訳だから、僕が覚えてなくても
先方は覚えているケースがあっても、おかしくはない話である。

「ええ、そうです。池間です。どこのお仕事でご一緒でしたか?」

「いいえ、仕事するのは初めてですよ」

「、、へ?、、、じゃ、何で僕の事を知ってるんですか?」

「えへへへ(笑)」

何だか、ブキミである。この人は北海道の現地スタッフなのか?
それとも東京から来たスタッフなのか?

「実はあなたのマンションの3階に住む者です!!」

一瞬何を言ってんだか分らなかった。

僕は、ミュージックマンという音楽業界の本に、写真付きで載っているのだが、
それで、彼は自分と同じ住所に池間というミュージシャンが住んでいることを知っていたのだ。
それで僕を、富良野という土地で発見した訳である。

何という、偶然、奇遇だろか。
まあ、僕の周りのは、こういう事は多々あるが、今年はじめてのビックリであった。

あんまりキタナイ格好で外出るのやめよ。
ゴミ捨てに行くのもスーツにしよう!(ウソ)


第134話(02/08 SUN

田辺号は大井松田で足止め状態。んで、津久井号(津久井、西山)は?
電話をすると、まだ方南町(杉並区)のドンキホーテでチェーンを物色していた。
田辺からも頼まれたらしく、自分の車に合うチェーンはあったものの、田辺号に合う
チェーンがない!との事で、店中のチェーンを片っ端から見てるそうだ。

その時点で、入り時間の13時30分には間にあわない。
これ以上、雪が降ったら東名高速は通行止めにもなりかねない。

ドラムの清水は?というと、オートバックスの10時開店を並んで待ち、
チェーンを買って、東名に乗ろうという所だった。

なんとか箱根さえ越えてくれれば、、。祈るような気持ちだった。
磐田側では、スタッドレス車が大井松田までメンバーを迎えにいく用意をしてくれている。
最悪はとりあえずの楽器を持って来てもらおうか?。

そうこうしてる間に東京〜厚木間で事故渋滞の情報が入る。
たとえ来れたとしても、リハーサルの時間は見込めない。

あ〜もぉ〜最悪じゃん!
とヤケになりかけた時、僕の頭の上に、ある風景が浮かんだ。
歌っているのである。お客さんの前で。
何だかよく分らないが、そういう絵が浮かぶって事は、大丈夫なんだ。
、、と自分に言い聞かせる。

清水からの電話で、大井松田からチェーン規制がかかってるが、どの車も
御殿場方面に流れている、との事。行けるとこまで行ってみる。と。
この情報を田辺に知らせ、津久井号と合流後、とりあえずチェーンなしで再び高速へ。
その結果、3台ともすんなり箱根を越える事ができたようである。

約1時間遅れで全員磐田に到着できた。メンバーの顔を見た時は緊張がいきなりほぐれ、
もうステージが終わったかのような疲れがどっと出てしまった。
メンバーも疲れただろう。が、遅れを取り戻さねば。すぐにサウンドチェック、そして通しリハである。

開場は17時、リハは17時になっても終われなかった。
17時前から、この悪天候にもかかわらず、
お客さんが入り口に列を作って待っていたという話である(涙)。
予定の18時開演を10分遅れで、開演。
始まってからの事はよく覚えていない。ただ、無心で一生懸命だった。
アンコールで、手拍子がきた。
普通なら手拍子をするような曲じゃない。
でも、とても暖かいものを感じた。何とも言えない一体感。
嬉しかった。言葉では表せないくらい。

ありがとう!、ありがとうとしか言葉が出てこない。
お客さんに、スタッフの方々に、そしてメンバーに。
雪の降らないこの街に、雪の降った日の夜の事を、僕は忘れる事はないだろう。
一応似顔絵のつもり…
似てる?(笑) by sara


第133話(02/04 WED

全然日記が更新されないぞ!と思っていたアナタ!お待たせしました。
(って誰も待ってなかったりして、、)
約4週間ぶりの更新でありますっ!。

いや〜、忙しかったんだよ。こんな忙しい1月はミュージシャン生活始まって以来なかったよ。
休みらしい休みって富良野滞在中の1日だけだったよ。
大変ありがたい話なんだけど、少々バテぎみであります。

富良野から戻ったのが12日、それから磐田のリハーサル、15日には世田谷での「音画物語」。
14日に来るはずの大坪さんが、吹雪で飛行機が飛ばず、世田谷は急遽プログラムを変更して、
長野と同じものを上演した。
ヒューマンセミナーと題された区役所、生涯学習課の講演で、
お客さんは、メモの用意をして来る人たちで、まさか音楽が聞けるとは思っていなかった様で、
多少びっくりしていた様子だったが、最後は大きな拍手をもらい、やってよかった。
区役所の人に「先生!」と呼ばれたのにはまいったけどね。

その日の午後に、吹雪の釧路空港から
何とかかんとか大坪さんがやってきた。
サラさんは断念との事。仕方ない。

ヤリ号で磐田に向け出発。
16日には、会館でスライドのチェックと
グランドピアノのチェック。
市民会館にはスンばらしいスタインウエイのピアノがあった。
持って帰りたい。置くとこないけど、、、。

そして本番当日17日、朝起きると、雪が降ってる。ん?
ゆ、ゆき?
名古屋で大雪だって磐田じゃ雨になるくらい、ここでは雪が降らない。
と、言う事は、東京は?箱根は?悪い予感がしたと同時に電話がなった。
田辺である。「今、大井松田でチェーン規制で降ろされた」
何い〜? ・・・(-_-;)

(注)北海道地方でこれを御覧の方へ、東京あたりに生息するミュージシャンなんぞは、チェーンなど持っていないのが普通なのであります。

やっとの事で大坪さんは北海道から来たっちゅうに、今度はミュージシャンが来れないとは、、。
しかも、田辺号には断念したはずのサラさんが、
どういう訳かリョウちゃん連れて同乗しているとの事。
恐るべし、サラ無給社長の執念である。
しかしこんな雪で大騒ぎする本州の人間をどう思ったろうか?
まあそれはいいとして、困った。中止?延期?音画物語だけ上演する?

ん〜〜〜っ。 あっ、胃がいたいっ、、、。   続く。


第132話(01/09 FRI

富良野滞在4日目である。
なか1日休みがあったのでレンタカーを借りドライブに出かけた。

天候は良くなく吹雪いてるが、せっかくなので「北の国から」の麓郷(ろくごう)へ車を走らせた。 
「拾ってきた家」は以前サラさんのコーナーでも紹介されていたが、僕は初めて。
テレビで見るのと実際見るのでは大違いで、ゴンドラが窓になってるのには、感心してしまった。
これこそエコロジーの局地である。

五郎さんが4番目に建てた家の中に入る事ができた。
そこはまさに倉本聡ワールドであった。
頭の中を、さだまさしのテーマ曲が流れ、口調が田中邦衛になるのである。

一緒に行った岡澤に向かって、田中邦衛さんで喋っていたので、必然的に、このような顔になるのであった。
「ほ、ホタル、、父さんよぅ、、」 と言ってるつもり


第131話(01/06 TUE

あけましておめでとうございます  今年もよろしこね!
今、ワタクシは新富良野プリンスホテルにいます。柳さんのコンサートです。

大晦日に実家に帰り3日に地元のFMに出演、東京に戻り仕事を1本してから北海道に来たのであります。
いつもなら正月休みはもっとあるのですが今年はいきなりトップギアで飛ばしておりまする。 
15日には世田谷、17日には磐田も控え、こいつは春から縁起がいいのであります。

今年は自分の活動をもっと積極的にやります!。
どうぞ皆様応援してやってくださいませませ。



第130話(12/31 WED

皆様、本年も当サイト、
及び池間史規を応援していただき、
誠にありがとうございました〜
                           (BGM ほたるのヒカリ)♪♪♪♪♪







迎えます2004年も皆様にとって、
 ハッピ〜でピースな年になりますよう、
            心より願っておりまする。


ワタクシも来年は、もっともっと
「イエ〜イ!」な年にします!!!。

どうぞ、よろしくねっ!。

てな訳で、今から実家に帰りま〜〜す。
             =3=3   to いわた


第129話(12/18 THU

早いもので12月も、もう後半、今年も終わりなのである。
シアワセだな〜(BY加山雄三)をモジって、
シワスだな〜
などと言ってる場合ではないのである。

大晦日に、柳さんの仕事で韓国に行く話が急浮上した。
韓国には行った事がない。冬の韓国、寒いんだろうな〜。
北海道とどっちが寒いのかしらん?パスポートを用意せにゃな、
などと、けっこうルンルン(死語?)気分であったが、
話が出てから、わずか4日でキャンセルになった。
そう言えば、24日の大阪の仕事もキャンセルになったし、
行けないとなると、急にクヤしいのである。

よく考えたら、毎年クリスマスや大晦日は仕事であった。
たまにはこういう年もあっていいのだと思う。

大晦日に、そばをすすりながら紅白を見る、なんてな事は子供の時の通年の行事だった。
今年は実家に帰って、何十年ぶりにそんな事もしてみたいと思うのであった。

しかしながら、来年1/17のコンサート、ベースを弾きながら歌う、という難行がある。
練習せにゃならんのだ。(随分昔の日記参照)
今回は、歌った事のない曲をベース弾きながら歌うという、無謀極まりない企画である。
先日、ポールマッカートニーのライブビデオを見て「僕もあんな風になりたい!」と
熱く燃えたのであるが、ホントに難しいのよ!。

、、という事で、ベースを弾きながら歌を歌いながら、そばを食いながら、紅白を見る。
という事に挑戦、、、してみるかな?(ウソウソ)


第128話(12/14 SUN

長野のコンサートが終わってからというもの、休む間もなく来年1/17に行われる磐田市でのコンサートの準備に追われている。

なんせ、市民会館キャパ1500人という広さで本格的なものなのだ。

分不相応、というか身に余る光栄な事だが、それだけにプレッシャーもあるし、やる事もおおい。
先日は静岡に帰り、新聞社の取材やら協賛者への挨拶とかで売れっ子歌手並み?に動き回った。
母校の高校に挨拶に行った際、高校の仲間と20数年ぶりに会った。
みんな、いいお父さん、お母さんである。威勢のよかった奴が意外と落ち着いていたり、
もの静かな子が、元気なお母ちゃんになってたり、とその人なりの歴史はあるのだろうが、
基本的なところは何も変わらないんだなあと思った。

僕のところには同窓会の知らせも何も来ないもんだから、何で?と思ってたら、
同窓会名簿には、住所が書いてなかった。
彼等にとっては、行方不明になってた訳である。
空欄になってる僕の住所の所を見ているうちに、上京してからの事が走馬灯のように浮かんだ。
いろんな事があったなあ。思えば遠くに来たもんだ(BY武田鉄矢)である。

できる限りの同級生をコンサートに呼ぼうと走り回ってくれてる友人を見て、
人との繋がりの大事さをあらためて思うのである。


第127話(12/09 TUE

遅くなりすぎて、ゴメン。いまさら?って感もあるが、続きです、、、。

11/20武石(たけし)村のツーリスト美乃和でのライブ。
2日目ともあって、いい緊張感のもと満足のいくライブができた。

お客さんは、年配の方から中学生、子供さんもいる。
昨日と違い、お客さんの顔が目の前である。
普通そういう状況だと、緊張しまくるのであるが、何故か落ち着いていた。
自分が伝えようとしている事をちゃんと伝えている、そんな実感を感じながら歌っている自分がいた。
そして楽しんでいる自分がいた。

歌いはじめて3年目であるが、こんな気持ちになったのは初めてだった。

亡くなった僕の大事な人の事を喋ろう。その事を悲観的にとらえるのではなく、
今を生きる人達の希望や勇気といった前向きのエネルギーに変えて喋ろう。
そう決めて、望んだライブだった。
歌をうたいながら、お客さんにそのエネルギーが伝わっている実感を感じた。

大粒の涙を流している人もいた。どこからかすすり泣く音も聞こえた。
しかし、ライブが終わった時、お客さんの顔は清々しい表情だった。



後日、お客さんの1人からこんなメールをいただきました。その1部分です。

>池間さんの語りが、前向いていくしかないじゃん!!
>やり続けることで意味が見えてくるよって言ってくれているようで。
>聴きながら、自分の中でそんなふうに思えてきました。
>死と向き合って生を感じる。生の意味を考えられる。。。
>私には、深い悲しみを同じ感情まで理解することはできないけれど、
>きっと、生きてるってこと自体に感謝しなくちゃいけなくて、
>贅沢な不平をいってる場合じゃないよねって、思えました。

こう言っていただいて、本当にやってよかったと思えた。
この世を去ってもなお、この世の人間に感動してもらえる、という事。
「私が生きた証しを残したい」と言った松谷はきっと天国で喜んでくれているだろう、、、と思った。

今回のライブは成功に終わったと思う。
慢心する事なく、この想いをこれからも、いろんな場所で伝えていこうと思う。


第126話(11/29 SAT

到着した丸子町(まるこまち)の全芳院というお寺、予想してたよりはるかにいい感じのお寺である。歴史古いんだろな。紅葉もバッチリで雰囲気満点である。

いきなり初日はお寺、なんてのもなんかいいなあ、、などと感心してるヒマはない。
準備じゅんびっ、皆で協力して機材を搬入、長野で調達をお願いした機材はもうセットアップされてる。スタッフをかって出てくださった峯村さんとそのお仲間は、初めてとは思えない程、機敏に動いてる。スゴイ!。パワーの固まりじゃあ!!。

ところが問題発生!!、用意してもらったプロジェクターと僕のマックを繋ぐケーブルがない!。
プラグが合わないのだ。もしやの場合を考えて、まどかにウインドウズを持って来てもらった。
それで上映する事に決定。なんとか繋ぐ事ができた。
ところが、マックで作成した画面はウインドウズで写すと、タテヨコの比率が違ってしまっていた。
顔が伸びたりちじんだりしているのである。

一難去ってまた一難である。結局編集をしなおす事になり、まどかは午前3時までかかって編集してくれた。ありがと、まどか。

11/19いよいよ本番の日がやってきた。前日は緊張と某Yさんのイビキで寝られなかったので、みんなが遊びに出かけてる間、昼寝をさせてもらった。
おかげで、体力は復帰したものの、緊張は高まるばかりである。
前日できなかった、通しのリハをすませ、客入れの時間がきた。
このあたりから、本番が終わるあたりまで、実は記憶があまりないのである。

1曲目を歌い出したとたん
「やべ〜声が出ないいいいっ」とあせった記憶があるが、その後アンコールで「あっ声が出た」と小さく思ったのである。
それまでは、ウワの空状態って事になるが、集中して一生懸命やっていた記憶だけはある。
「CDにサインしてください」と言われ、何人もの人にサインをさせてもらっている間に、
ちゃんとやれたんだ、終わったんだ。と正気に戻った感じである。

1日目は、ちゃんと声が出なかった。歌詞も相当間違えた。
それでも、お客さんは喜んでくれた。ありがたい話である。しかし明日はそういう訳にはいかない。

明日は緊張しないでやるぞ!と初日の夜は更けていくのであった。  続く。



第125話(11/28 FRI

11/15弟子屈から、Sara music lab代表取締役無給社長、サラさんが東京にやってきた。
家に来る、というんで待っていたら夜11時を回るころ、
ヤリ、まどか、田辺まで付いてやってきた。
「あ〜鍋うまかったね〜!腹いっぱいだ〜」( byヤリ)などと、ぬかしおって、
お茶を飲んだらとっとと帰っていった。

いったい何だったのか???まあ、、いいか。

11/16はサラさんを連れて、レコーデイングスタジオへ行った。
スタジオミュージシャンの姿を、見てもらえる事は滅多にない事で、
彼が東京にいる間にスタジオワークがあったのはラッキーだった。


途中で彼は帰ったのだが、西麻布から大和まで、3時間もかかったそうだ。
バスで渋谷に出るよう、教えたのだが、それからどうやって帰れたのかは、
彼も分らないそうだ。普通なら2時間もあれば優に帰れるのだが、、。

いったいどこをどうやって帰ったのか????いまだにナゾである。


1/18、長野に向かう。コンサートのためである。
サラさんは、このコンサートに合わせて上京してきてくれた。
彼はもちろん長野は初めてである。
ヤリ号(いまだに釧路ナンバーのハイエース)にサラ、まどか、僕と機材をどっさり積み、出発!。


いきなり大渋滞である。
しかたないので、甲州街道を山梨に抜け、相模湖インターより高速に入る。
この時点で大遅刻である。今日中にセッテイングと通しリハをする予定なのだが、、、。
着いたのは、もう暗くなってからだった。   続く、、、。