<雪山の酔い>
「何も見えないよ」
「前にも後ろにも進めない!」
前も後ろも上も下も一面白い壁。
格段に吹雪いているわけじゃない。
それでも降雪とガスに埋もれる。
稜線を進んでいるはずだが、空との切れ目すら見えない。
白い空間にただよっている感覚。
立っているつもりなのだが自分がどんな体勢でいるのか、動くと益々分からなくなる。酔っているような感覚すら覚える。
こんな感覚は雪山を歩いたり滑ったりする機会が多くなれば、嫌が上でも増えてくる。
いつだったかある山頂からの下降点が、吹雪とガスの中で確定できず捜していたときのこと。スッと目の前が開け、きれいな樹林が見えた。吹雪が弱まってきたこともあるが、足先からいきなりその風景が見えた。
それと同時に風がフゥーッと下から顔をかすめた。なんのことはない、足下の雪が消えただけのこと。
小さな雪庇の子供、いやそれ以前の胎児のように小さな雪庇が足を踏み入れた刺激と風で吹き飛んだ。登山靴の左足先半分は200メートル下の樹林を背景にしていた。あと15センチ先に足を置いたら、体もその背景に入っていたかもしれない。そうなる可能性も予測して、かなり慎重に進んだので恐怖はなかった。
そのときはパーティメンバーがそれぞれ別々に偵察していたので、そのまま消えれば残されたメンバーが気付くには時間が掛かったかも・・・ なんてことは落ち着いて考えられた。
まあ、だからこうしたことを考えて雪山では注意しよう。なんて教訓めいた話しでまとめよう・・・なんてことでもない。
吹雪のマジック。なんてことないはずの尾根筋を、一寸した堰堤のように変えてしまうことも。吹き溜まりだ。
ある尾根の下り。緩やかで、小さな尾根が二手に分かれることが地形図からは読み取れる。また方位にもハッキリとした違いがある。晴れていればなんてことなくわかる。こんなところでも山肌をなめるように吹き付ける風で吹雪くと、降りてくる人の目からみると緩やかなはずの尾根の分岐が、あたかも崖の上に出てしまったように感じる(見える)ことがある。とくに入るべき尾根方向から風が吹き付けている場合。
そうすると中々にその入るべきところが崖という感覚で、先を確認する判断ができず、入るべき尾根を外してしまい、とんでもなく下の誤ったところから迷走してしまうことがある。
この場合、その崖に飛び込む、あ、じゃなく、しっかりロープを出してでも勇気と確信をもって進まないといけない。そうでない場合もあるけれど。
雪の山では地形図から見られる地形の判断に加えて、とくに吹雪など見えにくい条件での、雪の造型による空間把握とその処理も大切になってくると思う。あ、なんか真面目っぽくなってしまうな。そんな気ないんだけど。
『いやーそんなに中身ないからいいんじゃない』
そんなこと言われるとな、何て言ったらいいか。
『それより余白部分、必要以上に多くない、手抜き?』
あ、余白は白い空間、吹雪、雪のイメージ、凸凹した文字並びは山に見えない?
『それって、ただ酔った勢いで書いてるだけじゃないの』