<日本昔話>

 岩と雪の殿堂と紹介されることの多い剱岳、何度このフレーズにお目にかかったことか。あ、ということで表題はまったく関係ないです。思いつきです。はいっ。

 夏に、最近は毎年でもないけど、剱周辺での講習&自主合体の企画がおこなわれていた(この3年ほどは連続しているかな)。

 最初に足を踏み入れたときは・・・いつだったっけ。ともかく十何年か前、阿曽原から入山。真砂沢をベースに周辺バリエーションを楽しもうという計画だ。日程も1週間近くと長い。

 入ったメンバー全員ろくに周辺のことも知らず、でもひたすら前に前に。そんなことからスタートした剱。Web情報などあったわけではないし、リアルタイムの情報量は少ない。取り付きがどんなで、先々の状況はどうなるのか、まったく各パーティでの判断にゆだねられた。山は歩いたことあるけどバリエーションはほとんどはじめてというメンバー構成が主体だし、雪渓ありの岩場ありので、迷ったり、判断ミスがあったりトラブル全開の毎日。帰ってくるのが夜中になったり、帰ってこないパーティがあったり(ビバーク)で楽しく盛り上がる?!ベース。それでも次の日に行くパーティ編成を組み直し、情報やギヤの整理交換、準備をして朝3時にはスタート。ほとんど意地の張り合いか。パリ・ダカールラリー?状態。

 プランも周辺をよく把握していないので、イメージ、イメージ。真砂ベースからDフェース登攀、チンネにそのまま進み左稜線を登攀、その日の明るいうちに真砂に帰ってこよ〜っとなんてプランも。これはこれで、それなりにハードなんだけど(そのときはその認識もなかった)。もっとも今ならT岳にいった某パーティならトライするかも…。

 ともかく、この最初のいろいろドキドキが剱への思いを深めたのは確かだ。
 それから夏は剱が定番に。

 個人的には久しぶりに2003年に八峰上半部から本峰というルートで講習をおこなった。上半部はとことん稜をトレースするか、適宜トラバースを選ぶかなど楽しめるコース。このときは一部トラバースをまじえたルート選択だった。終了点は八峰の頭、頭には1.5メートルほどのサイコロ状の岩が乗っかった状態になっている・・・いや、いた。その数年前までは確かに。いつも押すと微かに動き、不安だったが、何年もそのままだったし、そこまで来ればもう終了だと一息つけるところ。それが無い。だれか突き落としたのか?とも思えたが、よくみれば、そこには多数の岩屑が。

 木っ端微塵とはこのことか。冬場、雪をかぶる地形ではゆっくり時間をかけて侵食され岩板自体が崩壊することは理解していたし、そうした跡を見ることはある。ただ乗っかっていた岩がミサイル攻撃でも受けたかのようにこなごなになっているのははじめて見る。時の流れを実感してしまう。

 剱は交通機関の関係で室堂方向から入ることが多く、剱沢キャンプ地から眺める剱の姿は特に印象的だが、トヤマ側の街から眺めたり、池ノ平山あたりからアプローチすると異なる険しさと深さを得られる。高山植物の群生地があったりと、いろいろ印象もかわってくるだろう。手近なところでは早月尾根経由で剱を越えて来るとわかるかな、ちょっとだけ。ある意味、剱はメジャーだが、少しはずれると入る人は少なくなる。周辺の山を抱き込み、眺めていくといろいろ面白い山行が組めるところでもある。東京からだと時間が多少必要だが、それをかけてもいいところだ。