自主の記録

2005/8/13(土)
奥多摩/日原川支流 川乗谷本流下部


◆メンバー 渡部吉実(L)、小林英男、向原侑希、福田洋子、南谷やすえ
◆記録    渡部吉実


 ホリデー快速に乗れば間に合うことは重々承知していたのだが「もし昨日の雨のせいで電車が遅れたら」と思ってひとつ前の電車に乗ると立川発7時50分の奥多摩行きはガラガラだった。「盆休みで皆帰省したり山連中は北や南アルプスを目指して遠征しているのかな、いや昨日の大雨を嫌って出て来ないのだろう」等自分勝手に納得していた。
 9時すぎに奥多摩駅に集合し9時30分発の東日原行きのバスに乗り込んだ。
 福田さんがネットで調べた遡行記録に目を通すと9月の増水した時期に入ったらしく、かなり困難だった様子があちらこちらにある記録だった。我々も丁度昨日大雨をやりすごしたあとでバスの車窓から見える日原川本流はいつもの清流とは異なり濁流と化し力強く流れていた。
 10時すぎに準備を整えて小林さんが入渓点は「本流との合流点にしよう」といっているが他の4名は皆その流れを見て首をタテに振らない。少し上流に行くと釣り師の踏み跡がありこれを辿って川乗谷本流へと出た。長い間「沢歩き」を繰り返し困難なへつりや滝を登るというシーンが無い。この渓相では沢屋が皆遡行図を書こうとしない訳が理解できた。せいぜいあっても釣りのガイド本くらいだろう。やがて取水している堰堤がありその周囲は今までとは違い開けていた。右岸が高台になっているあたりにテントが複数張られていて親子と出会い挨拶すると「このあたりは私有地となっていてお金を払ってキャンプしている」とのこと。氷川キャンプ場の騒がしいなかでテントを張るよりここのほうがより居心地の良い一夜が送れることまちがいなしである。
 さて遡行をくりかえし12時に昼食とする。このころ少し雨が降ってきたが長くは降り続きそうにない雨だった。13時30分ころだろうか今までの渓相とはうって変わった滝が行く手を阻んだ。それは石灰岩?でできた白っぽくてツルツルとした岩肌が滝の奥まで続いており1段目は大きな釜を有し更にその上の2段目はくの字に曲がって大きく落ち込んでいた。これが「聖滝」らしい。
 遡行図には上智大の学生がオロクになった曰くつきの滝だとあり、白い岩のところどころで水に侵食され白い骨を想像させるようなところが聖滝下流にあった。身の毛がよだつ。
 1段目には残置シュリンゲがぶらさがっているがツルツルしていて弱点が見つからない。福田さんのアブミを借りて攻めてみたが残置ボルトの上までは行けたがその先で左に乗り移ろうかと思ったが水が流れていて苔も生えていておまけに外傾していて飛び移るとおそらく下の釜にドボンだろう。もう少し上に登って左へトラバースするのかと思い手掛かりを探すが見当たらない。ハーケンを打とうとしたが入らない。そうこうしているうちにカラビナから3枚のハーケンを下の淵に落としてしまった。残置シュリンゲも76Kgを支える強度がなくブチッと切れて釜に落ちた。肘を少し打った程度で済んだ。ここで勇気ある撤退を決めた。
 私が戻ると小林さんが今までの渓相にうんざりしていてスイッチが「挑戦モード」になっていたらしくザイルを付けて行った。先ほど私がセミになっていたところでリングを打ち込み難所をすり抜けた。すると2段目の直上するスラブを残置ハーケン頼りにあれよあれよと登ってしまった。「おれは五分五分には掛けない。」が口癖の小林さん、行ける自信が五分五分以上あったのだろう。
 さて小林さんの登って来いという合図に再度チャレンジするもツルツルとした岩肌には歯がたたず、断念した。他の3名のメンバーと高巻いた。その途中でこの滝を見下ろすと西沢渓谷の7つ釜5段の滝のごとくきれいに滝が連なった滝だったことが解る。この上は大きな淵がありスケールが大きかった。更に進むと逆さ川を右手に分け更に行くと遡行図では「夫婦滝」と呼んでいた大きなチョックストーンが流れを二つのすじに分けて流れている滝に出た。しかし流れが速くとても登れない。ここで15時となり、遡行終了とし仕事道を辿り林道にでた。最後に本流との合流点にある長い淵にバス待ちの30分程度で挑戦したが、みな突破はできなかった。
 民宿稲村荘に泊ると、以前は木製の湯船だったのが壊れて普通の湯船になっていた。もう79才になるという民宿のおばちゃんの昔話に耳を傾け8月でもクーラーを必要としない、山の一夜は更けていった。


【行程】  奥多摩駅(9:30)〜川乗橋(10:00)〜夫婦滝(15:00)〜川乗橋(15:40)