自主の記録
2005/5/15(日)
廻り目平〜大弛峠/トレイルラン
◆メンバー 松本善行
◆記録 松本善行
<目的>
2005/5/22に開催された『星の郷 野辺山高原100kmウルトラマラソン』に向けてのトレーニング。(本番50kmで沈没(-_-))
<(完走ならぬ)感想>
たいくつな林道歩き(左腿の痛みで結果的に走れなかった)を自ら計画し、3時間近くも続けることなど正気の沙汰ではない。ということは承知の上である。しかもそれを往復することになろうとは・・・。
本年GW山行の右肩の脱臼からランニングをしばらく中断。そして1週間程前より遅れを取り戻そうといきなり長距離を再開したものだから、左腿が悲鳴をあげているのだ。だから連日は走れない。やむを得ず休憩日を入れる。それなのに2,3日間も!と思っている休息は意図せず疲労が抜けきっていない。お願いだから無言でいてくれ!と左腿に請うのだが、少し走ると痛み出す。本番完走の気力が次第に落ちていった。
朝から雨が降ったり晴れたりと、山特有の天候であったが、大弛峠に着くや否や雨は雪に変った。残雪量はこの時期にしては多いが、新雪が薄っすら積もり出したのは意外だった。左腿の痛みがひどいのと、今自分の身なり(半袖,短パン,トレイルシューズ)が、あまりにも周りの状況(豊富な残雪と風雪)とミスマッチであることを、これはどうしたものか?と考えるのだが、またあの林道を下るのぉ〜!!!と思うと、その勇気?とは変だが、なかなか踵を返すことが出来ない。しかしいよいよ寒さにも耐えられなくなってきた。又、この足では金峰の下りも苦労すること間違いない。心境における前進50%、後退50%は、惰性で前進しているわけだが、ある瞬間、前進49%、後退51%となると、いともあっさり引き返すのである。
山の常識として、GW中の降雪は決して珍しくないが、5月半ばは初めてである。また海外山行において、2000年の夏、金澤氏,坂口氏(外)ら、とのマッターホルン遠征中の、モンテローザアタック時、7月末日附近であるにも拘らず吹雪かれ、撤退を余儀なくされたことは、御当地としては年間を通し、ごく当たり前の気象変化であろうが、私にとってはとても印象的であった。
よって、気象遭難とは、そのほとんどは予想外から起こるものであると、またしても痛感させられる結果となった。
<追記>
廻り目平に来て、まったくクライミングをやらなかったこと。今回で3度目になる。
1度目は18期有志と立ち上げた今は無き某山の会で、元山塾講師のH氏を招いて“山菜摘天ぷら山行”なるものをやったのだった。それは私が計画者となっていて、あえてクライミング禁止令を発したのだ。「廻り目平に来てクライミングをやらない。」なかなかの皮肉で、もちろんそれにこだわったものである(H氏も開拓時代を含めて「俺も初めてだよ」と、いかにも情けないといった具合だ)。では趣旨は?と聞かれた場合、無さそうで実は明確な趣旨がある。いささか屁理屈に聞こえるかも知れない(完全な屁理屈か?)。我々山塾会員は毎年サバイバル訓練というものを行っているが、その“サバイバル”を広義の意味で捉えた場合、クライミング技術に限定されるものではないことは明白である。他に挙げるとすれば、まずは食料の問題だろう。ならば、緊急時の樹林帯での食材探し、つまりは食べられるものを直接採取し、知っておくべきだと考えるに至ったわけだ。もっとも、涸沢岩峰群など、開拓当時の話を交え、案内してもらったという別の収穫もあったが。
2度目は去年である。もともとはパートナー不在が要因であるが、「日和田行ってくる」と言って日和田山頂に行ったことがない方が多いのと同様、「小川山行ってくる」を真に実行しただけのことである。因みに山頂の印象はというと?・・・なんとも言えない。
【行程】 廻り目平(9:10)〜作業小屋跡?(10:00)〜大弛峠(11:50)〜朝日峠手前(12:30往路を戻る)〜廻り目平(15:00)