自主の記録
2005/4/30(土)〜5/1(日)
上信越国境/白砂山〜法師温泉
◆メンバー 松本善行(L)、宮下卓宏
◆記録 宮下卓宏
新百の燕、塩見には野口が行ってくれる事になり夢のGWをプレゼントされた。急ぎ兄貴・松本に連絡、白砂〜三国峠にて指導していただくことに決定、その足で焼鳥を頬張りながら「兄貴との山行はいつもこうですね〜」とボヤいたのが山行3日前だった。
今年は残雪が多いと聞いていたが、長野原草津駅からみた本白根山は想像より黒く「ヤバイ、残雪多しを理由にコースを決めたのに」とブツブツ言っている間に野反湖畔着。エアリアには白砂山〜稲包山は猛烈なヤブ、篤志家向きルートと書いてある。予備日まで目一杯使うのか? 3日下山法師温泉泊、4日帰京だけを唯一の楽しみとし出発。入山してみるとそれなりに残雪の多さを感じるも白砂まではトレースがあり、白砂〜佐武流は人気ルートらしい。正月の間ノ岳・尾無尾根では兄貴のハイペースに付いて行けず、撤退の一因となってしまったことが仇となり、頑張りすぎて今回もバテ&山人生初の足が吊ってしまいトホホ。遠足歩きのみの1年半を今回も反省。唯一の救いは白砂を越した2078m地点に予定通りテントを張れた事ぐらい、明日は3時起床、気を引締め就寝。
4時頃起床、6時出発、兄貴との山行では標準タイム、自主山行の好きなところだ。本日も快晴+心地良い風、今回の核心部と思われる区間、三坂峠手前の黒尾根分岐周辺まで行ければ御ノ字、ペースに注意しながら出発。歩き始めると雪解けが進んだ箇所から猛烈なヤブの一端が見てとれた。15年振りの大雪に感謝。「無雪期に歩いたら凄いよ、もう一度来なくては!」と眼を輝かせながら兄貴、聞こえぬ素振で山座同定。上ノ倉山で90度右折する尾根を下るがウロウロ、他にも解り難い箇所があった。視界良好でこの有様、利かない時の難度が想像でき気を引締める、三坂峠まではエスケープ無しなのだ。
セバトノ頭、千耳尾根を過ぎた所と記憶している、解りづらい急下降箇所。これから進むべく稜線を眺め予定よりだいぶ先まで進めそうだ、予備日を消化せず法師温泉泊も手中に収めたと気が緩んだのだろう。一歩踏出しただけで今までとは違うと解る雪面だった、次の瞬間兄貴が転倒、急斜面であったがヤバイとは感じなかった。さすが兄貴、5メートル程で止めてみせ苦笑い。次の瞬間「外れた、外れた、外れたかも」「?」「肩が」顔から血の気が引いていくのが解った、ザック+体重を右腕1本で支えたらしい。実は兄貴、今回が3度目の脱臼とか、直ぐさま落着きを取り戻し「はめてくれ」「?」本や映像では見た事あるが初体験、斜面にピッケルを打込み引っ張ってみるが違うみたい、登り返し平坦な場所でもう一度。横になり首と脇腹に足裏をつけ背筋測定の要領でゆっくり引っ張る、相当痛いらしく顔をゆがめ「痛ててて」。次の瞬間「スコッ」の音とともに入ったのが解った、と同時に血色が戻っていく。入ったとはいえ痛むらしく歩きにくそう、装備分担も即下山も頑なに断る兄貴には改めて感服、高度を下げるとともにヤブがうるさくなってきたが、法師温泉への執着のせいかペースは落ちない、あっという間に三坂峠へ。三国スキー場に下る夏道があるので嫌がる兄貴を説得、湯沢温泉泊で渋々下山してもらうことに。
スキー場への道は北斜面で残雪多く沢を渡らなければならない、小さく雪渓状に残っているが今にも落ちそう。しばらくウロウロするが良い箇所無く濡れるのを覚悟で浅瀬を徒渉、湯沢温泉まで我慢ガマン、沢沿いの道を嫌ってスキー場中腹まで登り返し最後にバテバテ、誰もいないゲレンデをタクシー目がけ直滑降、とりあえず無事?下山完了となった。
今回は気の緩みを痛感させられた山行となった。「家に帰るまでが登山」は遠足の鉄則なのに、反省。早期下山となったがコース中の核心部は走破できたので良しとしたい。天候に恵まれた結果、ルート判断できたが悪天候時は相当に苦労しそう。やはり沢、谷に下るのは極力避けるべきと改めて感じた。下山後の人参が最も重要かも?次回目標は「白砂〜苗場」皆さんご一緒しませんか。主宰、お休みお願いします。
【行程】
4月30日(土) 長野原草津駅(10:00)〜野反湖畔(11:00/11:30)〜白砂山(15:50)〜2078m(16:30)
5月1日(日) テン場(6:00)〜上ノ倉山(8:30)〜三坂峠(15:00)〜三国スキー場(16:00)〜越後湯沢(16:30)