自主の記録

2005/3/20(日)
丹沢・大倉〜焼山縦走


◆メンバー 尾久一朗(L)、野中達也
◆記録 野中達也


 今回の自主山行は、リーダーを務めてくれる予定だった同期松永女史が直前の怪我により不参加となり、また、私にとっては自主デビューとなる山行であったせいからか、少し緊張を伴った幕開けであった。

 そもそも、ここ丹沢が自主の舞台となるまでには紆余曲折があったのだが、「本科生たるもの、丹沢主脈ならば、1日で歩くくらいでなくては。」という岩崎先生のお話が発端となったのであった。

 1日で縦走しきることを考え、時間に余裕をもたせるため渋沢駅最終電車の時間を待ち合わせ時間とした。

 1本前の列車で駅に着くと、今回唯一の頼れるパートナーがすでに待っていてくれた。駅前のロータリーで客待ちしているタクシーを難なく拾い、大倉バス停で車を降りた。

 身支度をしながら見上げると、まんまるの月が雲のない夜空にぽっかりと浮かんでいた。舗装路が登山道らしくなって間もなく、単独行者をパスする。風もなく、とはいえ真夜中にもかかわらず、すぐに汗がじわじわと染み出してきた。 

 1ピッチごとに先頭を交代しながら進む。登山道は、深いところでは1メートル以上も掘れてしまっており、ここ丹沢の人気度がうかがえた。

 約3時間後、難なく第一チェックポイントである花立山荘に到着した。

 それまでなかった風が吹き始め、雪もちらほらと見え始めた。それから間もなく、塔ノ岳山頂を踏んだ。この辺りから先は一面雪に覆われていたが、日の出前の時間帯であったせいか、堅雪でいけるところまでノーアイゼンでいくことに決めた。

 次の目標ピークである丹沢山へと稜線をトレースするところで日の出を拝んだ。

 東の斜面全体が赤く燃え出した。が、しかし西に目をやると、まだ漆黒の闇にうっすらと浮かぶ富士の威容を見て畏怖した。その瞬間まで、富士山は美しいものとしか感じたことがなかったが、今見る富士山は身じろぐ事さえできないといったほどの不気味さだった。

 丹沢山を後にし不動の峰を過ぎると、鬼が岩と呼ばれる鎖場がある。ここが今回唯一のそれっぽいところであった。この急坂を下り、もう一度上り返すと最後の目標ピーク、蛭ヶ岳であった。30分ほど長い暖を取り蛭ヶ岳山荘を出発した。

 後はただ、雪の斜面を凍結に注意しながら走るように下るだけであった。内心「ラッキー」と思っていたのに、もう、うんざりというほどの長い長い単調な下りであった。

 焼山(ただ鉄塔が立っていただけ)を過ぎた辺りからは雪も消えた。が、その頃には脚、足ともに限界をはるかに超えつつあった。私にいたっては、つま先が当たり、まともに前を向いて歩けないほどであった(トホホ・・・)。

 しかしながら、これといった怪我もなく、夏タイムをクリアしたのだからと自分に言い聞かせた。本当は心のどこかで丹沢の山を少しバカにしていた。しかしこの山行を終えて身をもって知ることができた。「山は山」。

 今は、早く次の山のことを考えたい・・・。


【行程】  大倉バス停(1:15)〜花立山荘(4:00)〜塔ノ岳(4:45)〜丹沢山(6:10)〜蛭ヶ岳山荘(7:50/8:40)〜焼山登山口バス停(12:45)