自主の記録

2005/3/19(土)〜20(日)
八ヶ岳・杣添尾根〜横岳


◆メンバー 松本善行
◆記録 松本善行


 「八ヶ岳のイメージって、どうしてもこちら東側、野辺山側からの景観なんですよね。」晴れ渡った空のもと、タクシーの車窓から見える八ヶ岳の全景を眺めながら、運転手に半ば訴えかけるように話しかける。そう、登山という枠を外せば、野辺山高原の広大な裾野、それから清里と野辺山の間だろうか、小海線の鉄橋のバックに悠然と構える八ヶ岳の勇姿などが、むしろ一般的イメージではないかと思う。その中でも特に“杣添尾根”、そのマイナーな響は、たちまちのうちに自分を郷愁の想いへといざない、過去の思い出を甦らせる。

 横岳登山口下方一帯に広がる海ノ口別荘地は、かつて親戚筋の所有する棟があり、夏になるとそこを拠点によく登ったのだった。しかしよく登ったとはいえ、杣添尾根自体はわずかに数える程度踏んだだけである。それでも隣りを走る県界尾根とか、天女山から権現岳へのルート等を含めて郷愁を覚えるのは、別荘という拠点があり、それに絡む様々なレクリエーションがあったからだ。

 運転手曰く、今の時期この東面は単独登山者が多いという。それは八ヶ岳西面の人気エリアを避け、静かな山歩きを・・・などと、いかにも社会逃避的登山者の考えそうなことである。もっとも、一人で来ている自分も決してその類に漏れないが、今回の計画においては、いつものような物好きの思いつき気まぐれ山行とは少々違う。それはおよそ16年ぶりに訪れようとする杣添尾根に胸躍り、望郷の念さえ抱きながら、一種の回想旅行を試みようというものだった。

 「あれが徳光さん(アナウンサーの)の別荘。」運転手の説明を受けながら、以前の横岳登山口(かつての別荘地最上部)より更に上方へと車を走らせる。「開発が進んだのだな。」過去、数度に亘って自適な別荘生活を満喫しておきながらも、反面、調子のいいことに、別荘開発に対し残念という思いは強い。今では標高1,800m付近、標高差にして100mほど上方まで人の居住空間が伸びていた。

 雪は予想に反し、締まっていた。三日ほど前に雨が降ったらしい。当然朝方は氷点下となるから、外気に直接触れる表面付近の雪は締まるというわけだ。それでも登り始めからの陽光は強烈で、もなか状となっている雪面は徐々に緩んできている。数歩に一回は膝上まで沈む。ワカンの出番だ。この雪質には非常に有効である。

 入山口が昔とは異なっていたが、30分も歩かないうちに見覚えのある情景が現れた。“西武杣添小屋○○分”傍らに見つけた、錆び付いた鉄板に記された文字が目に映った。西武杣添小屋とは懐かしい響きだな、当時は朽ち果てた小屋があったような気がしたが、今はその影すら見当たらない。杣添川の堰堤を渡り、最高部を走る林道に出る。更に杣添川支流の飛び石をぴょんと跳ねて渡ると、そこが杣添尾根の取り付き、急登の始まりである。

 雪はたっぷりとあるが、道筋を誤ることはない。ふと過去の記憶が甦る。父親と二人、下山途中で暗くなり、懐中電灯で足元を照らしながら、早く車道へ出ないものかと焦る気持ちでこの道を下ったことを。その父も今では登れない身となってしまったのが悔やまれる。
もなか道はやっかいだった。ワカンを着けているとはいえ、緩んでしまっては手強い。だがようやく森林限界に達する高度に近づくと、気温も下がり、沈みにくくなってきた。夏道を記憶の中で辿ると、若干北側を走っているはずだが、やはり尾根上はクラストして歩き易い。視界を遮っている樹林の中を抜けるのは、確か殆んど稜線近くの2,700mより上のはずである。ところが、2,600mに達するか否かで突如として視界は開け、すばらしい雪稜歩きとなった。全く予想外だった。

 杣添尾根は別名、八ヶ岳の“バカ尾根”と記憶している。かの有名な丹沢の大倉尾根よりもはるか以前に、バカ尾根という言葉はこの杣添尾根から知ったものだ。だらだら登りがしつこく、稜線近くまで樹林によって視界が阻まれる。だらだら登りに対しての代償があまりにも乏しいというのがその由縁だろう。しかし積雪期は違った。早くに視界は開け、三叉峰へと伸びている連続した雪稜を目の当たりにしていることがとても信じ難く、どこか異様な感じがしてならない。まさしく杣添尾根のイメージから逸脱しているのだった。

 テン場テン場、さてどこにしようか・・・。時間的には硫黄経由で赤岳鉱泉や夏沢峠へ抜けることは可能であったが、この山行の最大の目的は杣添尾根上に幕営し、その地の懐に抱かれることであった。既に稜線近くで吹きさらしの森林限界上、適地は乏しかった。風に飛ばされた雪の層は薄く、ハイマツがすぐに顔を出す。今回あえてスコップを所持せずに、ピッケルのブレードのみで整地にどのくらいかかるか挑んではみたが、果たして、相当時間がかかった。それでも16:30にはテント内で落ち着くことができた。持ってきたバーボンで喉を潤し、外を覗く。正面は金峰山を始めとした奥秩父の山並み。両神山も見える。日が暮れてから、入れ替わるようにして月がのぼった。月光に照らされた杣添の雪稜は幻想的で、その中、逆光で浮かび上がった自ら付けた踏跡が点々としている様子はとても印象的であった。又、この場に落ち着いてみて初めてわかったことだが、大まかに3つの市町村の夜景を同時に眺めることができた。左から佐久市街,それからこれは予想だが、高崎・前橋市街,一番右は甲府・韮崎市街である。暫く眺めていたくも、放射冷却でぐっと下がった外気は身を強張らせ、たちまち手の感覚がなくなってくる。テント内に戻ろうと振り返れば、そこには月光によって妖しく仕立てられた赤岳が聳えていた。

 寒さでは第一級の八ヶ岳に、またしても洗礼を受けたように眠れぬ夜を過ごした。3シーズン用シュラフで来たことを後悔したが、テントから直々に拝めるご来光を見た後には、寒い思いをしたことなど、頭の片隅に追いやられた記憶の断片に過ぎなかった。まだ完全には起きていない身体に鞭打つように、最後の急斜面を登った。程なく、馴染みある指導標に近づいた。“杣添尾根”と下方を指したプレートは、尾根の終了を告げていた。三叉峰に立つと、阿弥陀岳,北アルプスの山並みが広がった。そして改めて振り返り、別荘地一帯を眺めながら、今度はいつ訪れることだろうとその無期限の別れを惜しんだ。

 こうして回想の山旅の主要部を終え、既に気持ちは先へと進む。このしっかり踏まれたトレースならば、昼過ぎには渋の湯へ下山できそうだ。何もそう急ぐ必要は全くないのだが、人には性分というものがある。足はそそくさと、硫黄岳へ向う稜線へと踏み出した。


【行程】 
19日 野辺山駅(タクシー)横岳登山口(10:40)〜杣添尾根上2,700m付近(15:00)
20日 尾根上2,700m(7:00)〜三叉峰(7:30)〜横岳奥ノ院(7:45)〜硫黄(8:30)〜東天狗(10:00)〜黒百合平(10:20)〜渋の湯(11:30)〜(タクシー)茅野駅