講習山行の記録
2005/2/5(土)〜2/6(日)
吾妻連峰 西大嶺往復・山スキー
◆メンバー 工藤寿人(講師)、伊藤幸雄、久野眞由美、伊藤栄子、福田洋子、遠足2名、みどる1名
◆記録 福田洋子
山のど真ん中では避けたいようなじゃんじゃん降る雪もスキー場だったら苦にならない。雪が良いと勇気が出る。転んでも痛くないので急斜面での一歩を踏みだせるのです。
裏磐梯での1日目は終日ゲレンデ練習、身支度を終えて全員でまずはリフトを乗り継ぎゲレンデトップへ。明日の登り口の偵察です。見上げるほどこんもりと盛り上がった雪が林を埋めていて(転んだら埋まるな、ラッセル大変そう)、前回の前武尊での悪夢が頭をよぎります(散々転んで前に進まず、埋まってはザックを外しストックをバッテンにして自分の板を掘り出して向きを考え立ちあがるという一連の行動のみしていた気がします)。
腕(足)に自信のある方々は「登山口はわかった、早く滑ろうぜ」と目や仕草でしきりに訴えているので早々に偵察を終えて滑走開始です。ひとコース滑った後は滑り自体を講師に教わる人と勝手に自主練習する人に分かれました。私はもちろん講師にくっついて行きます。まずは板にちゃんと乗れているかのチェックや練習方法・体重移動の確認の仕方・姿勢の取り方や止まり方。講師一人に生徒二人だったのでとても丁寧に教えていただきました。
さて、いよいよ本番の2日目、ゲレンデトップから早速のラッセルです。昨日も今日も誰もまだ入っていないうえ結構大きな木と木の間が枝から落ちた雪と吹きだまった雪でもっこり盛り上がりトップを行くI氏はルート取りとラッセルにかなり苦労している様子です。15分ぐらい進んだ所で下を見ると丁度ゲレンデに次のパーティが到着し準備を始めたところでした。ずいぶん頑張ってくれたI氏もさすがにトップ交替、程なく後ろから若いボーダーが私達のラッセル後をスノーシューで追い付いてきました。「交替します」の一言にみんなにんまりしました。でも、スノーシューの後だとスキーでは行けないルート取りをする場合もあるのでそうそう楽になった訳ではありません。
斜度が増して斜めにキックターンを繰り返しゼーゼー言っていると次に追いついてきたのは先ほど下の方に見かけたスキーでのパーティ4人組、すぐに脇に寄ってラッセル交替です。持ちつ持たれつ、始めの一番雪が深いところを私達(ほとんどI氏かな?)が開拓してきたんだから暫くはあちらにやってもらいましょう。
晴れていれば景色を見て感想の一言でもありそうですが生憎なにも見えずひたすら登るばかりです。前を行ってくれていたパーティが1本入れている所に追い付きました。「ありがとうございます。ラッセル替わります」と言葉を交わし進み始めたものの5分もしない内に私達も休憩です、他人が休んでいるのを見ると自分達も休みたくなるものなんです。すぐさま追いついてきたスキー隊にみんなで愛想笑いを振りまきその場を取り繕いました。その後二度とその方達とはお会いしませんでした(追い付きませでした)。
登りはじめて1時間半、ようやく樹々がすいてきて白色の分量が辺りに広がりはじめ滑れる斜面らしくなってきました。実は登りながらずっと不安に思っていたんです、こんな木の混んでいる所ばっかりで大丈夫なんだろうかと。
広くなった雪面の中ほどで登りの終了となりました。下りに時間のかかりそうな輩(自分?だよね)がいるせいでしょう余裕をもってタイムアップとし下る準備をしますが頂上に行けると思っていた方には本当に申し訳ない気持ちです。
いざ下らん、とは言うものの深雪で講師やI氏がよくおっしゃる「おいしい斜面」とやらは私にとっては大変急に思えます。前回もこんな急な斜面の深雪でうまく板に乗りきれず、腰が引けてはバランスを崩し穴に埋まっていました。今回こそはと思いますが身体は正直にその恐怖を体現してついつい後傾になってしまい同じ事の繰り返し、今度こそと思ってトライするものの次は<あの木は避けなくちゃ〜>と思うとそれに突っ込んじゃうんです。バランスとって<耐えて耐えて〜>を心の中で繰り返しやっと樹林帯まで到着。
私が転んだ時には起してくれる筈だった講師は遠足の方に取られてしまったので残る頼みの綱はKさんだけ、見捨てないでの思いで必死に後を追います。とにかく同じルートを出来るだけおんなじ様にまねっこしていました。途中これから登る数パーティと行き交い私達が登り始めたときモコモコだった下部もたくさんのスキー跡ですっかり馴らされてちゃんと滑れるようになっていました。腿がもうパンパンになった頃ゲレンデに到着、樹林帯で見えなくなった講師とSさんがいつの間にか先に着いていました。
【行程】 ゲレンデトップ(9:30)〜折返し地点(11:40/12:05)〜ゲレンデトップ(13:00)