自主の記録

2005/1/29(土)〜30(日)
岩菅山 スキー登山


◆メンバー 岩本一郎(L)、渡部吉実、沢口千鶴子
◆記録 渡部吉実


 1月29日(土)は12時前に奥志賀ゴンドラ前(宿泊先の目の前)に11時すぎに到着し沢口さん、岩本さんと相談した結果ゲレンデスキーとなり16時30分のリフト終了までリフトを乗り継いで高天ヶ原のあたりまで好天のもと滑った。
 この日の宿はスポーツハイム奥志賀、目の前がバス停で入り口には木製スキーに革製のベルト状のビンディング?、ストック代わりの棒が飾ってあり、スキー博物館といった趣。歴史のあるスキースクール(杉山スキースクールと書いてあった)のようだった。

 翌30日(日)5時過ぎに起床したら窓の外は吹雪いていた。6時出発だったが用意していただいたおにぎり(コンビニおにぎりの2倍はある)、味噌汁、沢山のおかずとコーヒーをいただきながら明るくなるのを待った。
 ようやく外に出るとスクール生(この宿は本来スクール生専用の宿のようだ)が体操をはじめるところだった。昨日からの積雪は40〜50cmくらいで宿からシールをつけ昔は有料道路だったという道をラッセルしていった。 1時間ほどするとようやく吉沢左岸の目指すべき緩やかな尾根に取り付くことができた。細いダケカンバが生えている林の中をゆっくりと登って行く。ずっとラッセルだしメンバーも3名なので交代して行ってもつらい。あと2人くらい居てくれると助かるのに。(とはいえその殆どを岩本さんに行っていただいている)
 途中等高線が半島状に突き出た感じの特徴ある地点に差し掛かるとコメツガ系の針葉樹に行く手を阻まれる。まるで「フリーキック時のゴール前に群がる敵陣」みたいだ。おもしろい事にこの等高線の上が針葉樹、下がダケカンバと言う感じに植生がほぼ分かれていた。我々は仕方なくこの1700mの等高線に沿ってトラバース気味に進路を取った。が頂上に向う尾根にここはという弱点が見つからない。ガイドブックにあったように適期は積雪が落着く3、4月か好天に恵まれないとピークを踏めないのかなという気がした。
 最大高度1750mをマークしたところで休憩兼協議した結果「天候も回復する兆しがなく宿まで下る時間を考えるとここらあたりが潮時かな」ということになり、まだ10時すぎではあったが勇気ある撤退を決めた。普通ならここでシールを外して滑降という場面だが斜面に生えている木が密なことと滑れるほどの斜度が無くシールを付けたまま下った。「私、下りは自信が無い」と言っていた沢口同人も登り3時間の行程をあっけなく1時間で下った。途中トレースが吹雪で無くなっていたがコンパスと赤布を頼りに旧道まで出られた時には皆ホッとした。というものの視界がまるっきり無い状態ではなかったことがせめてもの救いであった。旧道に出てからもまたラッセルが1時間ほど続き13時過ぎに宿に無事到着した。
 スキーをはいていながらほとんど滑る事ができずに単なる「くたびれもうけ」の感は否めなかったが「本来の山スキーはこうなんだ」ということに気づかせてくれた山行だったと思う。そういえば昨年2月の四阿山も吹雪いていてピークを踏めなかったし1,2月の山スキーは好天に恵まれる確率が低く新雪が降るとなかなか難しいのだろう。

 さて今回の山行で得られた最大の収穫は「岩本さんの計画登山」だ。私は目的地の2万5千図を購入すると磁北線を引きコピーするまでで終わってしまうが、岩本さんは「沢を2本越えて〇〇橋を過ぎたらこの斜面に取り付き、1750m地点まで上がったらここで〇〇度の方向で進み更に尾根で特徴あるところに来たら〇〇度に合わせるということを予め下界にいるうちに決めていて地図にその線を書き込んである。
 確かに吹雪いていたりすると現地で手袋を外して地図とコンパスを睨めっこすること自体が大変で岩本さんのように通過するであろう地点ごとに予め〇〇度に進む、ということを地図から読取りその通過地点ごとのチェックポイントとでもいうかプロセスを地図の裏側に入れておくということがすごく参考になった。この辺は是非机上講習で一度取り上げていただきたい内容ではないかと思う。私のような釣り上がりの人間にはとても勉強になりました。これからの沢登りをはじめとする自分の山行に加えて行きたい。それとGPSを持参されていて現在地を見失った時に現在地を確定させるという時にはかなり頼れる味方となりそうだ。次に購入したいアイテムとしてトランシーバーの次くらいに入れておきたい。(もう少し防水対策を施して欲しいことと値段が下がってくれると良いのだが)


【行程】 旧道入り口(6:40)〜いわすご橋(7:45)〜1750m地点(10:10)〜いわすご橋(11:40/12:10)〜 宿到着(13:10)  <天候 雪>