安心登山がトレンディ (「岩小舎8」巻頭言)
(1992.9.30)
 安全登山、これは登山界全体の大いなる目標だ、とはいっても、登山に絶対安全の保障はない、「起こるかもしれないことは、起こる」という<マーフィの法則>があるくらいなのだ、安全登山というのは、非常に重い命題である。
 ところで安全登山とは一体どうゆうことだろう。「安全登山をこころがけよう」といった呼びかけや、注意はよく耳にするが、具体的にどうしろ、といったアドバイスは非常に少ない。山小屋の壁なんかに貼ってあるポスターに「単独行はやめよう」なんて標語が書かれてあったりするが、ほとんど役に立ってないように思われる。それが証拠に昨今の山での単独行者の多いこと。
 単独行の是否を論じるのは別の機会に譲として、「単独行はやめよう」という一般登山者への呼びかけは、基本的には賛成である。この標語には安全登山という前提があるわけだが、そのためにどうしたらいいかというサジェスションがないので、説得力に欠ける、というのが実情のようだ。
 どんな登山が理想なのかと考えてみたとき、ぼくの頭に真っ先に浮かぶのは、山仲間、家族、会社の同僚や上司、周囲のみんなに安心してもらって、送り出されるという登山状況だ。日頃のトレーニング、家族の理解を得る努力、仕事もきっちりしておかねばならない。仲間とのコミニュケーション、情報収集、確としたプランニング、そして遭難保険の加入、そんなことをきっちりやっておけば、周囲のみんなが安心する、というものだ。
 とはいえ、そんなことの全てをきっちりやるというのは不可能に近い。でだから、絶対安全を保障されない登山を生涯の趣味として継続するのに際して、万一なにかあったらどうしよう、とそのための心構え、覚悟を具体的に行動に示す、ということだけは最低限しておくべきだろう。どうせ女房はわかってくれやしない、とばかりにウソついて山に出ていくのはマズイ。自分だけは事故を起こさないと、遭難保険に加入しないのは、山を甘くみているとしかいいようがない。そんなこんなの具体的行動をピックアップしてみると、おいそれと山を単独行などできなくなるというものだ。
 具体的な行動を示す、そしてそれを積み重ねて行く。これこそ、ぼくが提唱する<安心登山>である。安心登山に努力した結果が、無事故にわが家へ帰着をもたらしてくれるのであり、その山行が安全登山であったと評価できるゆえんである。安心登山がトレンディーにならなければだめなのである。
 今夏、ツェルマットの観光案内所で聞いた話しだが、昨今はヨーロッパアルプスでも地道な努力の積み重ねなく、ネームバリューのあるルートへトライしようとする登山者が多いらしい。つまらない事故の増加にたまりかねたガイド組合では、「機能的でカラフルな服装や装備をだれもが持つようになって、気軽に登山する人が増えてきているが、山が易しくなったわけではない」といった書き出しで、そうした傾向に警告を発する通達を発信したそうだ。
 そうした傾向のあるアルプスに、そうした傾向のある日本人が訪れるからけっこう問題になることが多いらしい。「ブライトホルンの登りたいんだがガイドを紹介して欲しい。だれでも登れるやさしい山と聞いてきたんだけれど」「アイゼンやピッケルは持ってきたんですか」「現地で借りられるって聞いてきました」「スポーツ店にレンタルがありますよ」
 その彼はスポーツ店からアイゼンとピッケルを借りて、再び案内所にくるそうだ。「あのー、アイゼンていうのはどうやってはくんですか」。ブライトホルンに登るっていううんだったら、アイゼンワークくらい練習しておくことが安心登山、と思うのはぼく一人ではあるまい。ブライトホルンくらいならまだいい、日本でそのためのトレーニングはやらずに、ほとんど憧れだけでアルプスにやってきて、レンタルのピッケルとアイゼンでモンブランにいっちゃう日本人がいるというから驚きである。
 岩小者7号に書いたダル・バット・インポータントはいまや世界中の課題なのかも知れない。D・B・Iもまた安心登山の大きな要素の一つだが・・
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