D・B・Iを大切にしたい (「岩小舎7」巻頭言)
(1992年3月26日)
 最近読んだ新聞のコラムにD・B・Iという言葉があった。日米関係をゆがめるのは、政治家の問題発言だけでなく、面白おかしい現象の報道に偏重するマスコミの姿勢にもある、という内容で、担当の斜氏が日米編集者会議に出席したとき、米側の出席者の一人の、米国での日本報道に関して、「D・B・Iが好まれないところに問題がある」という発言を紹介している。
 ダル・バット・インポータント−退屈だが大事なこと。これは日米関係に限ったことではなく、あらゆる局面に対応できる言葉であろう。
 御存知のように、ぼくは現在、無名山塾と遠足倶楽部という二つの集団を主宰している。この二つの集団にどういう違いがあるのか、ゲスト参加者や入会希望者からよく質問を受ける。その場その場で様々な答え方をぼくはしてきた。あるときは<ニワトリが遠足倶楽部で、タマゴが無名山塾>という説明をした。タマゴが基本ステップ、ヒヨコが研究ステップ、応用ステップでミネラル・ビタミンを補給しながら、自らニワトリへと育て上げて行くということだ。ニワトリとは同人である。遠足倶楽部の方は、最初からニワトリの集団なのである。昨今は必要に迫られてトレーニング山行も企画するようになったが、本来的には安全で楽しく頂上を目指す企画が“山の遠足”であり、それを是として集まって下さった、山好き人間のグループが遠足倶楽部なのである。
 D・B・Iという言葉と出会ったとき、その言葉を使って山塾を説明すれば、さらに理解が明解になるだろうと思ったのだ。
 考えてみれば、登山とはD・B・Iそのもののようである。さらにカッコつけて発言すれば、人生とはD・B・Iである。まあまあそれはともかく、登山であれ人生であれ、一般論としては、余りDを強調したくはない。という考えを一方において、それでもなおD・B・Iを大切にして登山をやってゆこうという場が、無名山塾なのである。
 無名山塾において、個別的なD・B・Iは様々な形としてある。なによりもまず、基本ステップが挙げられよう。もちろん、小川谷とか雪洞とか楽しいステップも多いが、12テップ15単位とトータルされると、D度は高くなるだろう。初冬の富士山六合目の雪訓なんぞは、Dの最たるものだ。近年とみに雪積が減少してアイゼンワークのトレーニングもままならないと、その感を強くしたりもするが、それでもなおヘッドランプの灯の中で中の茶屋をスタートし、ヘッドランプの灯で中の茶屋へ帰着するという一日は、まさに無名山塾の真骨頂、大切にし続けたいD・B・Iであると確信している。
 山塾が抱える様々なD・B・Iのうち看過できないもう一つ。同人のチャンスメニューへのBU(バックアップ)参加がある。そこそこの技術も習得でき、新しい、山仲間も獲得できた同人にとって、しかも時間不足の現代人であるのだから、チャンスメニューへ参加することが、甚だDであるということは理解できる。しかし、楽しい自主山行もバックボーンが確固として存在していればこそである。信玄公の台詞ではないが、「人は石垣、人は城」どんな体力、技術も人と人とのコミュニケーションには勝てない。登山学校をベースとしている集団なのだから、チャンスメニューに顔出しするのが、最も容易なコミュニケーションの方法である。しかも、新しい山仲間を獲得するチャンスである。チャンスメニューに参加してほしいというぼくの要求は、Dの押しつけではなく、D・B・Iの提案と受け取って頂きたい。
 この件に関してはぼくの側にも一つの責任があろうかと思っている。それはBU参加という形にしたことだ。ホンネでいえば、一部の同人を除いてはBUを期待することは負担になるだろうし、またBUしてやってるんだという妙な誤解を生じたりもしているので、BU参加という言葉を消滅させたいと思います。ぼくが期待しているのは、同人と研究生・本科生とのコミュニケーションの蜜なることで、今後はCU(シーアップ)参加を提案したいと考えている。
 ともあれ、安全で楽しい登山を生涯の趣味として継続してゆくには、D・B・Iをよく見極めて、大切にしてゆくことだと思う。
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