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マンモスの定理 (「岩小舎5」巻頭言) |
(1989年9月13日) |
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巨大な象、マンモスはなぜ死滅したのか。
彼等は食べる物をたくさん食べた。たくさん食べたから身体が大きくなった。大きくなったから、たくさん食べるものが必要になった。やがて氷河期−。腹いっぱい食べるに足る食物はなくなり、マンモスは死滅する。
いつの日か死(崩壊)を迎えるのがこの世の定めである。森羅万象、あらゆるいノチ、モノ、コトが死に向かって肥大化してゆく。これをマンモスの定理と呼んで、ぼくは物事を眺めるときのメガネの一つにしている。
登山もまた。マンモスの定理から逃れることはできない。登山は道具を発明、改良し、その結果の道具は山を選択し対象化してゆく。
アルプスの雪壁を安全に登るために発明されたアイゼンは、いまや出っ歯あり、20本爪あり、ぎんぎんに研ぎすまされた垂直氷瀑用までが登山者に提供されている。ピッケルもまたしかり−。
乾いた岩壁を登るために発明されたフラットソールのクライミングシューズは、フリークライミングブームを招来し、ゲレンデから登山靴とアブミ(一時的にせよ)を一掃した。
この数年間、山と道具との関係にあまりに無関心すぎた、という反省がぼくにはある。氷の方はまだ救い道があった。つまり古い道具でもそこそこの氷瀑ならそこそこ楽しく登れたから。しかし岩の場合、そこそこの岩でも登山靴の方がずっと登りやすかった。少なくとも乾いた岩壁を登るかぎりにおいては・・・。
フラットソールのクライミングシューズが主流になれば、登る山はクライミングシューズの方で選んで来る。小川山周辺、城ヶ崎、幕岩、そしていま秩父の二子山が人気とかいう。主権在民じゃなくて、主権在靴だったんだ。
ツェルマットからゴルナーグラード行きの登山電車に乗って、ローテンボーデンという駅で降りる。目の前にマッターホルンがドーンと聳えていて、マドンナやマイケルなど鼻もひかけたくないぼくだけど、かの山に目は釘づけになる。右手のスカイラインが来年登ろうというヘルンリ稜。ルートを読むには距離がありすぎるけれど。一般ルートとはいえ、それなりの覚悟をもって臨まねば、無事に登れるとは思えない。
ローテンボーデンの駅前から少し下ると、シュバルツゼーという美しい湖(池)がある。湖岸には高山植物が咲き乱れ、湖面にはマッターホルンを映している。岸辺の草原に座してマッターホルンを眺めている分には安全だけれど、ヘルンリ小屋から一歩出て山頂を目指せば。日和田山の男岩南面程度の岩登りが標高差1500メートル続くわけだ。雪も残っていてアイゼンをはくことを考えると、登山靴でもって軽快に岩登りができる技術、体力が要求されることになろう。登りやすいクライミングシューズばかり岩を登っていてはうまくないなあと、そのときにぼくは思ったのであった。そして、同時にマンモスの定理を思い出していた。
マンモスの定理というのは15年くらい前にふとひらめいた考えである。このときは“綿菓子の定理”というのと二本立でひらめいた。子供のころ、1つ5円だった綿菓子が、いま1つ300円とか2つ入り500円とかいうのがよくわからなくて買う気になれないが、お祭りといえば金魚すくいに綿菓子というくらいに大好きだった。やわらかくて、ふっくらしていて。甘くて、子供のころの憧れや夢を形にしてくれたものが綿菓子であると、だから大好きだったのだが、買って食べてみるとただ甘いだけ。これが綿菓子の定理で、マンモスの定理と同じように、物事を眺めるときのメガネになってくれている。
シュバルツゼーの岸辺で、ぼくの思いはマッターホルンから谷川岳南面に移っていった。ヒツゴー沢、オジカ沢、鷹ノ巣沢、川棚沢、いずれの沢も登山靴で溯った。このエリアは沢といっても水量が少なく、面白さで分類すれば岩登り的要素の大きいルートだ。ワラジばきで水と戦うことを好む人には敬遠されるし、フラットソールでは上半の草付が悪すぎる。登山靴をはかない時代になって、谷川南面の登山者が激減した。
当たり前の話であるが、登りたい山があっての道具である。ぼくがよく引用するヤツだが、ガストン・レビュファーが先輩から教えられたという言葉−−−まず頭で考えろ、お前は何がしたいのか、そして何ができるのかを。アルピニズムは、何よりもまず自覚の問題である−−−を緒賢に贈って、マンモスの定理にとりこまれず、自分のスタイルで自分の山に登ることを希ってやまない。
マッターホルンに登ったら、ミッテルレギ山稜からアイガーに登って、それからグランドジョラスの南面から登るんだ・・・憧れとマンモスの定理の呪縛とは、紙一重であるらしい。 |
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