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これからはインテリジェンス・グレードの時代だ (「岩小舎3」巻頭言) |
(1987年4月4日) |
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RCC・によるグレード・システムは一世を風靡した、グレードはそれ以前からないわけではなかった。易しい、難しい非常に難しい、あるいは家族向き、一般向き、熟達者向き、篤志家向き、といった表現がそれである。このあいまいな表現こそ、「インテリジェンス・グレード」の根であったのだが、RCC・はそれと気付かず(RCC・の責任ではなく、時代の趨勢であった)1級から6級までの明快なグレード・システムを登山界に提案した。これこそ登山の細分化の一歩であり、本来主観で登るべき山を、客観に委ねたはじまりであった。登山界はアルピニズム(より高きより困難を目指す)の旗印を明快にし、困難性を座標軸にした斬界は驚異的な発展を印した。ヨーロッパアルプス三大北壁冬季登攀から、8千m峰の無酸素や冬季登頂、5.13や5.14という超高難度のフリークライミングがそれである。登山は大衆の手を離れフツーの人間にとってはつまらないものになった。昭和50年大後半まで毎年6万人を数えていた谷川岳登山者は、60年には2万人と3分の1に減少したという。
いまこそ登山を客観の手から取り戻し主観の世界で展開すべき時がきた。これからはインテリジェンス・グレード、再び感性で登山する時代にしなくてはいけない。大島亮吉、板倉勝宣、さらに溯って田部重治、冠松次郎、あの山登りだ、あるいはモーリス・エルゾーグのロマン、松ナミ(サンズイニコトブキ)明のヒューマニズムから目をそむけてはいけないのだ。
RCC・のグレード・システムに限界を看破した柏瀬祐之は、登山が未来永劫“遊び”でしかないようにインタレスト・グレードを提案した。しかしまだ、RCC・のグレード・システムに亡霊に悩まされていた登山界は、この提案が登山者の主観に委ねようとしたものであったことに気づくこともなく、インタレスト・グレードを対象の<山>の側に付して、喜々としていたのだった。その最悪の例が、沢登りルート図集「東京付近の沢」にみる扇のマークである。
北岳バットレス第四尾根は面白い、一ノ倉沢南稜は面白い、万滝沢は面白い、産女川は面白い。しかし、ごーろに終始した雨飾山の神難所沢も面白かったし、危ない岩と草付きとヤブとで構成された鹿島槍荒沢奥壁北壁も面白かった。あざやかやかな記憶としては北岳バットレスや一ノ倉沢以上のものがある。これはいったいなんなのだ。これこそインテリジェンス・グレードだとぼくは言いたい。まさしくIGは個人の側に属するものなのだ、と。
人間は考える葦であると有名な哲学者が言っている。自分の山登りは、山岳雑誌やルート図集に惑わされることなく、自分の知性を信じてクリエートしてほしい。そしてまた、ハイグレードのルートを攀じったということで自分の山行を評価するのではなく、自分の感性に従って、面白い山は面白いと評価し、つまらなかった山はつまらかったと評価する登山人になってほしいと希う。
これからはインテリジェンス・グレードの時代にしなければならない。 |
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