読図ができないってホント?
(山塾通信91年4月号 99.8改)
 “雪山と友達になる会”の谷川岳からの帰りの電車の中で、「会員の中で読図のできない人が見受けられる」、という指摘をうけた。一瞬、まさかという思いが胸をよぎったが、冷静になって考えるとその指摘に納得するものがある。
 無名山塾は登山学校である、と常々発言しておきながら、講習のウエイトが岩、沢、雪に片寄っていたのは、まぎれもない事実である。岩でも沢でも雪山(山スキー)でも、ちょっと覚えると基本的なことのトレーニングはそっちのけで、面白そうなことばっかり追いかける、中堅会員の一部にみられるそうした傾向は講習のウェイトを岩、沢、雪の面白そうなことで展開することに伴うなう功罪である。
 考えてみれば、山塾に感心を持つ方々は登山をはじめて二、三年、岩、沢、雪が未経験であるのは当然として、読図をマスターできてない人がいても不思議ではない。先の指摘はまったくその通りなのであって、弁解の余地はあまりない。ローマは一日にしては成らないのだから、無名山塾の傘の下にいる人は「半ばわが身のため、半ば人のため」じっくり“山”を勉強してもらうことをくりかえし呼びかけよう。ルートファインディングと友達になる会、ラッセルと友達になる会、読図入門机上講座などの受講だけでなく、休憩の度に地図を出す(山行途中)、地図で机上登山をする(行く前)、遡行図やルート図を書いてみる(帰宅後)・・・なんていうことをするように呼びかけよう。 
 さて、読図。なんで必要なのかと問いかけると、道に迷ったときのためと答えが返ってくるのだが、道に迷ってからでは遅すぎる。道に迷わないようにするのが読図の技術である。馴れない人はエアリアマップ利用でいい。歩きはじめの登山口で図上に現在地を確認、そして、要所、要所で現在地の確認をくりかえしながら行動すれば道に迷うはずがないのである・・?
 迷うはずがないといっても、目標物を間違えて現在地を誤認してしまうことがあるから、“ここは地図上のここだ!”ではなくて“ここかも知れない?”と思っていることが大切で、そうしていると間違えても迷う以前に修正ができる。
 「それでも迷ったら、わかる所まで戻ること。」というのはかなり正しい、けれど、雪山なんかじゃそうも言っていられない場合もある。結局、迷うことはいずれあるのだから、読図の実力(迷うことが小なりとなる実力)と修正の実力(迷っても、迷ったようにならない実力)をつける努力を怠ってはならないということになる。
 じゃあどうすればいいか?・・・「実力をつけるためには地道な努力しかありません。」というのがその応えになる。
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