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登山学校であること |
(山塾通信 91年11月号) |
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「無名山塾は登山学校である」とは、常々ぼくが発言していることだ。しかし、初めのころの実態は登山学校と呼ぶにはほど遠かった。いってみれば、二十〜三十年前の山岳会のようだった。先輩が技術を教え後輩を育てる。違っているのは、有料か無料かぐらいのことだった。有料の部分が人間関係にクッションの作用をするから居心地よく、登山学校というよりは、山好きのサロンという雰囲気が強く、これもぼくの意図していたことの一つだったから大いにうれしかったのだが、登山学校としてのシステムが確立しないまま、サロンばかりが強調されると、無名山塾の命運は早晩つきることになってしまったはずだ。1981年11月に無名山塾が誕生して以来、もうすぐ二十年が経過する。二十年の時間が現在の形を作り出したことにまずは感謝したい。そして、在籍年数の長い会員は“山のサロン・無名山塾”に甘んじていてはなるまい。
社会状況は登山学校を必要としているのだ。社会を狭めて、わが国の登山会と限定すると、登山学校の必要性は非常に大きなものがある。期待される登山学校とは、登山技術を教えるだけの場ではもはやない。
自然の素晴らしさ、大切さをいかにして伝えるか、自然の大切さを知ってもらう方便として、登山の技術を教える場合もあろう。自然のすばらしさに気づいた人に、自然と関わる手段として登山の技術を勉強してもらうということもあろう。
ソクラテスが、まだ元気に街の中を歩いていた時代、人々はみな、自らの人生を真剣に考えていたという。そして、哲学者と呼ばれる人々は、そんな庶民から、「死ぬってことは、どうゆうことだと思いますか」と問われたとき、自分の考えを明示できなければ、哲学者という看板をおろさなくてはならなかったという。
登山者とはかの時代の哲学者みたいなもんだとぼくは思う。
山に登れば、誰もが登山者と呼ばれていいわけではない。
山がまだ分かっていない人が乱暴な歩き方をしていれば、適切なアドバイスをしてあげ、もし「正しい呼吸法を教えて下さい」といわれたら、自分の体験に基づいて呼吸法を説明してあげられる。そしてまた、「なぜ山に登るのか」と問われたら、自分自身の考えを明示できる、そんな登山者が、登山者と呼ばれるにふさわしい登山者であろう。
理想に走りすぎてはいけないと思うが、理想もないようでは、それ以上先に進みようもないのである。
登山学校であるから机上講座は必修である。自動車教習場でいえば、学科というやつである。しかして、“机上講座は間に合わないけれど、その後の飲み会にはなんとか間に合わせる”なんて人には、“君は登山学校に参加していることにはならない”と伝えよう。
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