人間の証明
(山塾通信 90年12月号)
 なんで山に登るかってことだけど、山はてっぺんに立てばいいってもんじゃないんだよ。山は人間がどうやって生きてったらいいかというノウハウを学ぶところなんだと理解してほしい。たとえばリーダーシップ。人間はそれをどうやって学んできたと思う。昔はさ、テレビもなければ学習塾なんかもなかったから、子どもたちはみんな外に出て20人・30人と集まって遊んだものだ。そこでリーダーシップやメンバーシップを勉強できたんだよね。自分の思い通りいにならないからって、ベソかいて母親に言いつけに行ったって、洗濯機もなければ炊飯器もない時代、母親だってめいっぱい忙しいから子供のけんかにつきあってなんかいられないんだ。だからその子どもは、問題は自分で解決するしかないということに気がついて、ガマンすることや思いやり、やさしさ、群れの中でうまくやってゆくノウハウを学ぶべくして学んでいった。子どもたちは本来的な遊びの中から、それを来たるべき人生のシュミレーションとして、シュミレーションだから許される様々な失敗の中に、上手に生きてゆく知恵を学んできたわけだ。それなのに現代という魔物は、子どもたちへの本来的な遊びをスポイルし、遊びのための遊び(テレビゲームなど)を売ることに莫大な金と時間を費やしてきた。遊びのための遊びなど、早晩退屈してしまう時間つぶしにすぎない。大人になって行く過程で人間を学んでゆくことのできなくなってしまった時代を、人類は自ら招いてしまったのだ。じゃあどうする。そう、だから山に登るんだ。登山することのメリットというのは数えきれないくらいにあるけれどひとくちに言ってしまえば、“人間(になるため)の勉強”ができるということだ。
 それを知ってか知らずか、最近山に登る人が増えてきた。それはおおいにけっこうなことだけど、一人で山に登るとか一人で登りたいというのは感心しないな。もちろん単独登山という山とのかかわりは魅力がたくさんある。けれど、リスクもまた大きい。会社や家庭で人間関係がうまくないから、せめて山くらいはわずらわしい人間関係から離れたいからなんていう理由だったら、一人歩きはやめておいた方がいい。
 人間は生まれた時から人間であるのではない。生まれ、育ち、学んで、人間として成長してゆく。傷つき易い自らの弱々しいハートを許してはいけない。たくましくなければ、本来的には生きてゆけないのだ。そしてやさしくなければ本来的には生きてゆく資格がない。人と人との間で、たくましさとやさしさを身につけてこそ、はじめて人間と呼ばれうる存在になるんじゃないかな。
 まず仲間を求めよう。そして一緒に山に登ろう。彼我のギャップをたくましくやさしく埋める努力こそ、人間の証明にほかならない。
 山に一生懸命登っていた先輩たちは「山は人生のすばらしい道場だ」とぼくたちに教えてくれた、ここに書いてきたことがその言葉の意味なのだ。「なぜ山に登るのか」と問われたら「人間であることの証明のために」と答えたい。
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