無名山塾に賭ける
(山塾通信1号 1982年3月1日発行)
 登山学校や技術講習会が流行している昨今ですが、私も新しい試みにチャレンジしてみようと決心しました。
 それは、無名山塾を誕生させることです。

 山に登る喜びというものは、数え上げれば十本の指では足りないぐらいに豊かなものです。しかし、それらを本当に享受できているかとなると、いささか疑問が残ります。
 私は本格的な登山であれ.日だまりのハイキングであれ.享受できるものは同質なはずだと信
じていますが、受ける側の姿勢にどこか油断があって、豊かな実りを取り逃がしてしまっているような気がしてならないのです。
 たとえば本格的な登山の場合、長い間アルピニズムという思想をアイデンテティの寄り拠として
いました。より高き、より困難を目指す登山を価値ある登山と認めてきた結果、ネームバリューの
ある山やルートへ登山者が集中するようになりました。いまや困難性まで普遍化され等級づけられる有様です。それは間違ったことではありません。ただ、より困難を目指すこと自体が、登山の一側面でしかないはずなのに、普遍化された困難性にアイデンテティを委ねてしまうのでは本末転倒だと思うのです。話が難しくしちゃってごめんなさい。
 私が常日頃考えていることは、自分の山登りを位置づけることなど必要ないということです。
 地球の上に大勢の人間が生きていて、ある人は戦争、ある人はテニス、又ある人は会社経営に心血注いでいること思うと、ある人は−−−といったふうにみんな一生懸命生きていて、私はそれが生きていることの証明しつづけている姿だと思うのです。
 自分の山登りを位置づけようと欲すると、どうしてもテクニック偏重の登山になってしまいます。
これは登山界ばかりでなく、それが決して幸福とイコールではないはずなのに、一流大学から一流会社を目指すことを著とする社会全体に、悪しき傾向があると思います。
 たまたま山が好きな人たちにとって、登山あるいは、登山的な行為が、生きていることの証しに
なれば、それ以上望むことはないと私は考えるのです。
 そんな山登りを目指す人たちを結集し、共に学いけるような宇宙を形成すること、それが無名
山塾に賭ける私の夢なのです。

 夢だけが大きくて、何も持たない私ですが、友人には恵まれていて、その道の達人が講師として参加してくれることになっています。将来的には塾生の中から講師たりうる指導員の養成も考えていますし、カルチャーセンターなどで、山のスケッチやカメラハイクなどの講習会も計画していますが、ここしばらくの間は、登山学講座、研究山行や登山教室を毎月開いていきたいと思うのです。
 無名山塾の目指す山は、“より困難”を登るためのものではなく、“より楽しく”登るためのもので
あることを強調しておきましょう。  (1981年11月4日.無名山塾誕生に際して)

主宰者の横顔
 岩崎元郎(いわさきもとお)1945年3月、東京都大井町に生まれる。1963年4月昭和山岳会入会、韓国ウルサナムロック、北漢やま登攀、鹿島槍ヶ岳荒沢奥壁北壁初登、1970年3月同会退会。同年10月蒼山会創立、雨飾山のフトンビシ岩峰群前沢奥壁開拓、南アルプス南部、奥秩父、東北虎毛山周辺の沢を遡る。1981年3月〜5月ネパールヒマラヤのアンナプルナ山群にある
ニルギル・サウス遠征するも不成功、再挑戦の機をうかがっている。
 日本登山体系(白水社刊)編者、現在岳人誌に「今月の山」を連載中。『山岳展望』編集同人。
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