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日帰り登山で基本を学ぶ |
(1999年7月1日) |
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【1】
「中高年のための登山学」の収録がスタートした。所は六甲山。魚屋道(ととやみち)を有馬へ下り、温泉会館で汗を流す。茶色に濁り、いかにも効果のありそうな湯ぶねに体を沈めると、隣の方から声がかかる。「見た顔やと思ったら、山の先生やね。もう歳で、山にはよう行かんけど、テレビは毎回見てるよ。ええ番組やね。しかし、そういっちゃ失礼だが、あんた実物より、テレビ写りの方がいいね」
中高年登山がブームと宣伝されて久しい。「もう歳で山にはよう行かんけど・・・」とおっしゃっていた方も、あの岩崎とおばさんたちが登っているのだから、自分ももしかしたら登れるのではないかと思い、そして実行し、山での人生の喜びを味わっていただいたことは、何よりうれしいことだ。
思い起こせば95年夏、みなみらんぼうさんと収録で登った涸沢。明日は奥穂高岳に登らんとテントを張り、歌手のらんぼうさんに手拍子をとらせて赤ら顔で歌ったときのことである。
中年のご夫婦。奥様が「ゆっくり登れば大丈夫という言葉を信じて、そのとおりにしましたら、ほんとうに登れました。これまではバテがひどく、もう無理だと思いましたのに・・・」と訴えてこられたのが初めだったかと思い起こす。
かって日本アルプスや八ヶ岳などの高い山々は、鍛えあげた登山者すなわち岳人でなければ登れないといわれていた。一歩譲っても体力に優れ強靭な精神の人でなければ登山を楽しむことはできないと思われていた。一般の人は自分には無理な世界であると理解し、岳人の方はといえば、「俺たちゃ、街には住めないからに〜」と、自分たちにさまざまな課題を課してきた。一般の人と岳人の間には、大きな境界があったのである。
1956年、世界に14座しかない8000メートル峰の一座、マナスルが日本隊によって初登頂されこれを契機にわが国は戦後第1次の登山ブームとなる。しかし当時30歳だった男性は会社人間となって山を離れ、20歳だった女性は結婚、出産、育児で山を離れた。
人は老してまったく新しいものに挑むというより、心の中に秘めたものを取り戻そうとする。30年後の1986年、男性は定年を迎えられて毎日が日曜日、晴れて山に戻る。女性は子育てを卒業、堂々と山に戻る。この86年を中高年登山ブームの始まりとするのが岩崎説である。
1956年当時の第1次ブームは若者中心であったから厳しい登山で、その象徴は同年発表の小説『氷壁』の名のとおりで、主人公の滝谷での遭難で幕を閉じる。一般に人と岳人の間の境界は、こうして中高年登山者に意識され続けたはずである。
それでも高山への憧れをだれもが捨て切れないのは「夏が来れば思い出す・・・」の歌のために、多くの人が尾瀬を目指すのと同じで、青春の刷り込みが強いからであろう。
1995年、「中高年のための登山学」で「山は楽しいですよ。ゆっくり登れば頂上に立てますよ」とメッセージを送ったことが、先の涸沢のご婦人のひと言に込められる結果となった。「善人なおもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」とは親鸞の教えだが、「岳人なおもちて頂上をとぐ、いはんや中高年をや」である。普通の中高年の方でも、基本を学び、山を知り己を知って無理ない計画なら、百名山に登ることは不可能ではない。
これが企画の本意だが、映像から美しい山、楽しげな山に憧れるだけで、登山の基本を学ばないまま、つまり登れる確信からではなく、登りたい憧れだけで百名山をプランする中高年が増えてきたように思えてならない。山の深さと大きさと、ご本人の実力のミスマッチが、トラブルの大きな要因となっている。
百名山は確かに魅力的だ。しかし、日帰り登山が出来る身近な低山も、それに劣らぬ魅力があるではないか。日帰り登山でしっかり基本を学ぼうということが、今年の「中高年のための登山学」のテーマである。
【2】
やみくもに高く有名な山を追いかけない。
自分達の山を自分達で登る。
そのためには日帰り登山で、近場の山に通うのがなによりだ。
登山インストラクターとして、春夏秋冬高山に登り詰めている岩崎にそんなことをいう資格あるかと言われれば、つい先日の出来事を思い起こす。
5月2日、五竜とおみスキー場から、出発し大遠見山と西遠見山の中間あたり登ってテントを設営。翌日から天気が崩れるとの報に、リーダーの僕はこの日のうちに五竜岳への登頂を決断。それを果たして下山した。
5月5日は「こどもの日」。小学3年の次男とヨメさんの3人で、奥武蔵にハイキングに出かけた。高校1年生になるお兄ちゃんは、小さいころはよく一緒に登ったものだが、最近はほとんどご無沙汰なのは思春期のせいか。
仕事もひと段落し、池袋で久し振り、家族水入らずの食事をとって午後1時ごろの西部池袋線に乗る。
目指す山は、登り下りともに1時間の多峰主山(とうのすやま)。首都圏の山屋さんに知らぬものはない岩登りのゲレンデ、日和田山の線路をはさんで反対側にあたる。
飯能からは名栗川沿いにバスである。本郷というところで降りたが、バス停近くに導標はない。市販のガイドマップを見てそれらしい道を進むが、結局バス道路に戻ってきてしまった。
出たところに導標があって、今たどって来た道の方向に、矢印が「多峰主山」とある。庭の手入れをしている人に道を尋ねると、中ほどにあった鳥居のところから入って行くのだという。ようやく、多峰主山を目指す道に入れた。
北アルプスでリーダーを果たし、中高年登山の先生役の岩崎でも、私人に戻り、弱きものたちと行く日帰り登山の山ではこんなこともある。むしろ日帰り登山の山の難しさを、身を持って知ったというべきか。
登山口はあるはずなのだからあるということが小さな山で学習できていれば、登山口がみつからない事態に遭遇しても落ち着いて行動できるだろう。
登りにさしかかると、赤土の斜面。靴の下ろし方、体重の移動に注意が必要だ。次は石段、ハネ上がりは厳禁。岩がごつごつ露出したところもある。わずか1時間だが、足の運びをテーマにすると、充実した1時間。緑、涼風眺望・・・、小さい山にも大きな山に負けない魅力が少なからずある。多峰主山のてっぺんに立ってわが愛息もご満足のふうだった。こうした山なら、だれでもどこでも、時間的経済的負担も少なく、春夏秋冬楽しめる。
自宅からの日帰りは、時間的な制約があり、山域も限られる。つまらない飽きるのではないかという思いが先に立つかも知れないが、果たしてそうだろうか。今回、全国で日帰り登山をしながら、むしろその豊かさを感じていただきたい。「大事は小事の切り貼りから」という教えもある。大きな山を登る実力は、小さい山を繰り返し登ることで養成されるといっても過言ではない。
連れていってもらうだけでは、登山の楽しみは半分も味わえない。小さな山でいいから、自分達で山を探し、コースや季節を選び、なにを目的にどう登かと思案する。楽しみ、テーマは山ほどある。
そして何より、高山では頂上に至るためだけに不安に身を震わせていたことが、日帰り登山で低山を行けば、余裕からもっと山で自分を表現することが、伸び伸びすることができるようになる。
山へのコンプレックスは消え、自分が主人公だという自信へとつながり、ひいては生きる自信も生み出してくれる。
そして、気がつけば、大きな山も自分達で登ることの出来る、自立した登山者に脱皮しているだろう。日本全国、日帰り登山。これこそ中高年登山の王道といえる。
【3】
「山を知り己を知れば、百山してあやうからず」とは97年のこのシリーズ『日本百名山をめざす』のテキストの巻頭に寄せた言葉である。
しかし、何か誤解があるような気がしてならない。「山を知る」ということが「山の魅力を知る」と誤解しているのではあるまいか、と。
登ろうとしている山の魅力を知らずして、登ろうというのもなんだが、魅力を知っただけで、山を知った気にになるのは勘違いも甚だしい。どんな花が咲くとか、展望がいいとか、知っておくと充実感を増す要素ではあるが、それらは山と己とを秤にかけ、バランスをとるための分銅にはならない。
標高差、斜度、コースや路面の状況、道標は必要十分にあるのかないのか歩きやすい路面なのか滑りやすい赤土か、ガレ場か岩場か泥道か残雪の状況とか、山が大きく高くなればなるほど、秤に乗せる分銅は数を必要としていく。これらが具体的な「山を知る」ことの要素だが、日本の山では存外これが難しい。
日帰り登山は楽しい、やさしくて楽しいと断言したいのはやまやまだが、必ずしもそう迎えてくれるばかりが山とは限らない。
「日帰り」という単に時間的な枠組みが、なんら登山の安全を保証するものではないということを自覚していただきたい。だからこそ、山を知り己を知らば・・・を繰り返すのである。
なぜそんな説教じみたことを書かずにおれないか。それは日帰り登山で起きた、ある実例に大きなショックを受けたからだ。
この春、阿武隈山地の花塚山と霊山(りょうざん)とを楽しく登った。霊山登山の当日の予報は雨だったが、低気圧が早めに通過したのか、夜中に雨が屋根をたたいてくれたおかげで、雲間に青空が見える朝を迎え、霊山子供の村で童心に帰ってシャボン玉遊び興じた後、登山をスタートさせるころにはすっかり青空。
機嫌よく下山、帰宅した我が身に頭から冷水を浴びせたのが、新聞のトップ記事。百名山として名高い山での遭難の報であった。
分別のある中高年の方々が、まだ冬山開けきらぬ季節に・・・という思いで痛ましさがこみ上げると同時に、記事の中の「日帰りで・・・」のひと言が、なにより衝撃だった。
日帰りだって山中泊だって、山の状況に変わりはない。むしろ日帰りだからこそ、お尻の時間は決まり、宿泊のための装備を有していないことが命取りのなる可能性がある。
日帰り登山という山行のあり方が、安全を保証するどころか、そのまったく逆に作用することもありうるのだ。そのことをなにより自覚していただきたい。
日帰りだからと、本当はそう計画してはならない山を短時間で無理して登る。これが「山を知らない」現れだ。日帰りだからと油断して、装備に情報の共有に、パーティのあり方に・・・と、あってはならない「ほころび」が出来る。これが「己を知らない」現れだ。
このどちらかであっても、リスクは格段に高まる。
残念ながら先の遭難のケースは、山を知らずして、日帰りではかなり無理な計画をし、己を知らずして、ザックは軽い方がいいと、途中に置いていったところを悪天が襲った不幸だったといえる。
その背景にあるのは「日帰り登山だから・・・」という油断ではなかったかと、僕には悔やまれてならない。
日本の山は難しいというのが僕の持論だ。岩と雪に明確にその範囲を主張しているヨーロッパの山とは異なり、日本ではハイキング、トレッキング、山歩き、山登り、登山があり、それぞれのフィールドがオーバーラップしている。だから同じ山に登るにしても、ある人はハイキングといい、ある人は山登りといったりする。
さらにそこに「日帰り」という時間の枠を加えてしまうことによって、さらなる混乱と、だれも保証できない安心感もち込もうというのは決して本意ではない。
登山とは、危機管理を要する非日常世界をフィールドとしている遊びである。危機管理の第一歩が「山を知る」ことであり、前述した分銅をいくつも集積することで山を知っていけるのである。
「日帰り登山で基本を学ぶ」とは日帰りで容易に頂上に立てる身近な低山もハイキングとせず、登山と規定して「山を知る」を勉強してみようという試みだ。
日本百名山を選定するのに、深田久弥さんは1500メートル以上の山と設定された。今回の「日帰り登山」の山を設定するにあたり、岩崎は1500メートル以下程度の山とすることにした。
それでもそれが、山での安全を保証することにはつながらない。日帰り登山であってもなくても、山を知り、己を知ることは、一人一人の自覚と課題であることを、何より常に忘れずにありたい。
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