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山のてっぺんで自分にかえろう |
(98.9.01) |
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紀ちゃんは1人兄弟の末っ子。お父さんもお兄さんたちも、みんな山が好きで山登りをしていたが、紀ちゃんはすっごく山登りがしたいと思っていたのに、娘1人ということで子どものころは許してもらえなかった。
小学校のころの彼女は、先生の話しは耳に入らず、いつも窓の外をボーっと眺めていた。かと思うと先生に背を向けて、後ろの子に何か語りかけていた。だから勉強はできなかったし、先生からはヘンな子と思われ、後ろの子の親には、うちの子の勉強を邪魔する困った存在と思われていた。
ある日の帰り道、チンドン屋さんがいたのでついて行き、暗くなって家に戻った。「どうしたの?」と聞かれて「チンドン屋さんいたから・・・」と答えたら、「それは楽しかったね」と言われたそうだ。山登りだけは反対したが、懐の深い愛情に満ちた家庭に育ったと想像できる。
長谷川恒男は子どものころ、先生にぶん殴られてたんだってと紀ちゃんに話すと、紀ちゃんの中学時代にもよくあったという。
あるとき先生が男子生徒を殴った。それも1回や2回ではなかったので、紀ちゃんは「やめて!」と叫んでしまった。先生は止めた代わりに紀ちゃんを職員室に連れて行き、逆らった罰として正座をさせた。紀ちゃんは自分が正しいと思っているから謝らないし、涙を見せるそぶりもない。先生は意地になって帰そうとしなかったが、校長先生が通りかかって事情を聞き、紀ちゃんは放免された。
田舎の学校ではよくある話しですよ、と紀ちゃんはいうが、そんな経験のない僕には鳥肌が立つ話しだった。
そんな紀ちゃんが大人になり、あんなに登りたかった山に登れるようになった。理解ある人と結婚して、自由に行けるようにもなった。おそらく紀ちゃんは山のてっぺんに立つたびに大きく伸びをして、子どものころを思い出しているのではあるまいか。自分の開放感を確かめているのではないだろうか。
本音より建て前。自分の思いより周囲の意思。型にはまらないと許してくいれない周囲。そんな下界の世界には、合わせやすい人もいれば、合わせずらい人もいる。合わせれば合わせただけ疲れるし、合わせなければ紀ちゃんの子どもころみたいなこともあるだろう。
山のてっぺんの立つと、人は本来の自分にもどることができる。下界のしがらみから解き放され、子どものころの自分にかえることができた。
モノの見方が変わるだけでなく、山は人に応じて、いろんなプレゼントをしてくれるものだ。
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