人は変わる 山で変わる
(98.9.1)
 「山は哲」だと確信している。
 どういう意味かとストレートに質問されると答えに窮するが、あえて言葉するとすれば、山は考える場になってくれる。ということだ。山を考える場になってくれる、ということだ。山を考える場にしない手は無い、と言い換えてもいい。
 人間は考える葦だというけれど、案外考えることをせず済ませている人が多いように思われる。考えることをしないでも済む時代なのかもしれないが・・・。
 過日、徒歩で南極点到達に成功した松原尚之くんの話しを聞く機会があった。面白かったのは、「歩きながら、考えたことです」という彼の言葉だった。
 毎日毎日、ただ白一色の単調な世界を、ひたすら黙々と歩き続ける。頭の中にはさまざまな思いが浮かんでは消える。そしト浮かんできた一つの事柄について考えはじめる。時間はたっぷりあるのだから、ひたすら考えていると、考えは多重的に広がりをもち、かつ進化して行く。それが最大の喜びだというのだ。
 あわただしい現代の生活の中ではもつことの出来ない、考える時間。南極点の徒歩旅行とは比ぶべきもないけれど、山にもたっぷりと考える時間があるといえる。
 人間にとって、歩くことが最良の運動であることは論を待たない。肺ポンプと筋肉ポンプという血液循環のための働きが活性化されるから、体の隅々まで血液はぐるぐる回ってくれる。歩く舞台は山だから、血液には新鮮な酸素がたっぷり含まれ、ふだんは鈍になった感受性も研ぎ澄まされて、考えるという質も高くなろうというものだ。
 若いころ、重いザック背に、山を登っていていつも思った。つらい、苦しい、脚が思い。なんで山なんかに来てしまったのだろう・・・。
 それが最近では漠とはしているものの、答えが見つかったような気になっている。
 この夏、白山に登った。4回目の白山である。初めての白山は百名山完登のためだった。一度その頂上に立てばその目標は達せられたのだが、深田久弥さん『日本百名山』をよく読み、御前峰のてっぺんから重畳と連なる緑濃い山々を眺めていたら、この魅力的な山に一度きり登らないなんて、登山人生の大いなる損失に思えてきた。
 初めてのときは砂防新道を登り、釈迦新道を下った。2度目は土砂降りの中、砂防新道で頂上を往復。3回目は千振尾根から別山に立ち、南竜ヶ馬場から頂上。観光新道を下った。そしてこの夏、憧れの加賀禅定道をトレースしようと平瀬道を登った。
 白山の頂上たる御前峰に立ち、大汝峰は左に巻いて、岩間道、加賀禅定道が分岐する四辻に登り返す。四辻から加賀禅定道に入って四塚山の肩へと登り、それから長坂の長い長い下りが始まる。
 単調にして荒涼としたハイマツの尾根。死屍累々といった有様で枯死したハイマツの枝が広がり、歩きにくいったらない。山の中で少なからぬ修羅場をくぐり抜けてきている僕もちょっとウンザリ。まあ山登りを続けていればこの程度のウンザリはよくあることである。
 このウンザリに出会うたびに、僕は山に学んだこと、「問題は時が解決してくれる。立ち止まらない限りは」を思い起こして自らを励ます。ウンザリしてそこで立ち止まってしまっては、問題は永久に解決しないのだ。
 やがて、あるいはようやくというべきか、油池が足下に訪れた。ここからは気分のいい草原状の尾根歩きとなる。そして天国のような天池と周囲のお花畑。辿る人が少ないためか、登山道上にも高山植物が咲いている。先刻までのウンザリは霧消して、苦労して初めてこの素晴らしさに出会えるんだよな、と一人悦に入る。
 山は、「問題は時が解決してくれる」ということを教えてくれると同時に「問題は、問題にしてしまうから問題になってしまう」という現実も示唆してくれている。
 山に登り続けていると、いつしかモノの見方、考え方、いってみれば人生観が変わるというゆえんだ。
 僕が主宰する遠足倶楽部の会員で、ご主人を亡くされている方がいる。50代半ばのことだったそうだ。体調を崩して病院を訪れたら胃ガンと判明、3か月後に急逝。彼女は自らを悲劇の主人公、世界で一番不幸な女に仕立て上げてしまった。夫の急逝を問題にしてしまったので、問題が発生してしまったのである。
 家にこもりきりで、ご主人のやさしさを思い出し、周囲が心配してアレコレいっても聞く耳をもたづにため息をつく毎日。
 そんな彼女が、孫ん遠足のつきそいで高尾山を訪れることになった。幼児と新緑と、あふれる生命感が少し気持ちを和らげたのか、山に登ってみたい気分になった。親しい友人がしきりに山に誘ってくれたことを思い出し、電話をかけた。「どこか、私でも登れそうな山に連れていって下さらない」
 最初に登ったのは鎌倉アルプス。建長寺の境内から標高100mたらずの山並みを、端泉寺へと辿るものだった。登山としてはどってことはない。しかし彼女にとっては、家に戻ってみると気分がスッキリして、楽しかった思い出が胸に残った。
 友人のアドバイスに従って、登山用の靴もザックも雨具もそろえた。次は丹沢の大山。登りは結構きつくて苦しくて、そんな思いをしながら登っている自分が馬鹿みたいに思えて、これっきりにしようと決意して帰ってきたのに、1週間もすると次の山の話しをしたくて、友人に電話している自分に気がついて苦笑した。
 きつい、苦しいという思いは、自分は生きているということを実感させてくれる。彼女は山で、自分の「生」を取り戻していった。口もとからいつしかため息は消え、笑い声が周囲の人ともう一度関係を結びなおし、笑い声はため息のため遠ざかっていた娘夫婦を呼び寄せて、一緒に暮らすようにもなった。
 いつしか問題は問題ではなくなっていたのである。今年彼女は還暦を迎える。登山経験はすでに5年。百名山も58座を登り、同じパーティで初心者がつらい思いをしているのを見れば、アドバイスもできるようになった。
 「ママったら、年々若くなってゆくわね」と、娘にいわれるのもまんざらではない。「脚を前に出していれば、いつしか山頂は足の下に来ているものなのよ」
 もちろん夫のことは、日に一度ならず思い出す。山の上に浮かぶ雲が夫の顔に見えるときもある。そんなときは彼に向かって、「元気でいられる間は山登りを楽しませていただきます」と話しかけるという。
 山が私しを元気にしてくれました、そういって明るく笑う彼女。実際、山に登りながら自分が変わったという例は枚挙にいとまがない。
 人は変わる。山で変わることができる。そしてまた、山は変える、人を変えるのだ。
 しかし、ただ漫然と待っていただけではいけない。山に変えてもらうだけではなく、自分から変わろうとする姿勢がなければ、山はかたくなに拒むことだろう。
 山に登り続けることは、考え続けることが必要だ。
 山のてっぺんには、モノの見方、人の生き方を変えてくれる何かがある。だから「山は哲」なのだ。

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