無名山塾のこと(山といい関係になるために)
(1981.11無名山塾創立に際して)
 山に登る喜びというものは、数え上げれば十本の指では足りないぐらいに豊かなものです。しかし、それを本当に享受できているかというといささか疑問が残ります。私は本格的な登山であれ、日だまりハイキングであれ享受できるものは同質なはずだと信じていますが、受ける側の姿勢にどこか油断があって、豊かな実りを取り逃がしてしまっているような気がしてならないのです。
 例えば本格的な登山の場合、長い間アルピニズムという思想をアイデンテティの拠り所としていました。より高きより困難を目指す登山を、価値ある登山と認めてきた結果、ネームバリューのある山やルートへ登山者が集中するようになりました。いまや困難性までが普遍化され、等級づけられる有様です。それは間違ったことではありません。ただ、より困難を目指すこと自体が、登山の一側面でしかないはずなのに、普遍化された困難性にアイデンテティを委ねてしまうのでは本末転倒だと思うのです。話が難しくなってしまいましたが、私が主張したいのは、自分の登山を等級づけること、評価することなど必要ないということです。
 山とは、いい関係であればそれでいいのです。
 ではいったい、山といい関係とはどんな関係なのでしょうか。楽しく安心だから精神的にも余裕がある、そんなふうに山に登れること、それが山といい関係だと私は思っています。当然のことながら、山といい関係になるには技術と山仲間が必要です。
 山は、歩くだけでも充分楽しいのですが、実は山を歩くというのは重要な技術なのです。それを認識せず、無造作に歩いて疲れてしまい、山といい関係になれない方が少なからずいらっしゃるのは、残念なことです。歩くことはもとより、岩登りや雪山登山のテクニックが身につくと、自信がついて世界が広がります。
 より高きより困難を目指すためではなく、山といい関係になるために、無名山塾の仲間になりませんか。
岩崎元郎文書集トップ無名山塾ホームページ月刊岩崎登山新聞
 
2002 Company name, co,ltd. All rights reserved.