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岩小舎 9 |
阿弥陀南稜 3月 |
平成12年3月22日 |
菅原博徳(18期) |
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3/19(金)旭小屋6:15発。メンバーは、松本さん、平林さん、菅原の3名。前夜、新宿を出た我々は、その日のうちに、南稜取り付きにあるこの旭小屋まで入っていた。月明かりに照らされた旭小屋には最初、無気味なものを感じたが、中は割にかたずいている。それに多少荒れていたとしても、酒が入ってしまえば関係ない。トイレもきれいなので利用価値ある避難小屋だと思う。今回はBC形式ではなく、全装備を背負っての縦走なので、松本さんと平林さんは装備の軽量化を考えてきたようだ。松本さんに至ってはシュラフも持ってこなかったそうで、大変、頭の下がる思いがする。しかし小屋の内部でも−6度まで下がる。結局、よく眠れなかったらしい。もうひと工夫必要かな。
さて旭小屋から立場山まではひたすら樹林帯を登る。3連休の中日のせいか、トレースもしっかり付いていた。そのせいか、ザックにくくりつけたワカンが無駄な装備に思え、やけに重く感じられた。実は、このワカンが後で絶大な威力を発揮したのだが。立場山の少し、先樹林帯の切れたあたりからこれから先のルートがはっきり見える。雪を纏ってそそり立つP3に気持ちが引き締まる。主稜線の展望がすばらしいこのあたりでアイゼン装着し、登攀具を身に付けた。P1、P2をなんなく越えて、P3に差し掛かる。岩稜コースのほうも面白そうだったが、より一般的ということで、一応ルンゼのコースを選ぶ。ルンゼへのトラバースにはつぼ足のトレースが付いており、一部ワイヤーで手がかりが張られていた。これならばザイルを出すほどではない。ルンゼ内にもロープがフィックスされていたが、このロープ、途中で抜けたボルトがぶら下がっていたりして、大変心もとない。一般ルートではないところにあるワイヤーや固定ロープは、あまり信用しないほうがいいのかも知れない。まあ、そんなものは使わずに、傾斜も思っていたほど強くはないのでアイゼンの前爪とピッケルを利かせて登れば恐い部分はない。ふくらはぎがやたら痛くなるP3の登りを終えてP4へ向かう。P4もまた広河原沢側のトラバースだ。ここも手がかりがしっかりしているので、慎重に移動すれば問題ない。本当は一個所、というより一歩だけ、外傾した岩に足を置く恐い左移動があったが、松本さんはそこをぴょんと飛び越えたようだった。10:30阿弥陀岳の頂上着。結局ザイルを出すこともなく、あっけなく南稜が終わってしまった。穏やかな春山を楽しんだが、やや拍子抜け。いつも通り、握手をして終了。使わなかった登攀具を空しく仕舞う。
当初の予定では鉱泉に泊まって、翌日は石尊稜だったが、天気が悪くなりそうということで御小屋尾根を下る事にした。御小屋尾根は南稜よりも雪が多く、トレースは付いているが、下りではそのトレースも崩れて、歩きづらいこと甚だしい。時々、股まで落ち込むことがある。一本尾根が違うだけで、こんなに差が出るのかとあきれる。悉知隊と無線交信を試みるため、頻繁に休憩を取ったせいもあるが、結構、時間がかかってしまった。途中からワカン着用、その後ペースが上がる。ワカンの威力を知る。14:00美濃戸に下山した。
ちょうどバス停に止まっていたバスに乗り込み、16:00前には茅野駅に着いてしまったので宴会に突入。東口駅前にある「三駒」の店主が山好き、話好きで、我々は今朝とってきたばかりだという山菜の天ぷらを熱燗でいただきながら大いに盛り上がったのだった。「なんだか色々あって長い一日だった」という平林さんの言葉が、そのまま総括となるような山行だった。時間が長く感じられたということは、緊張感や充実度で今一歩ということだろうか?振り返ってみると、僕も、なんだか春の陽だまりの、うつつの中で山登りしてきたような、そんな気分だ。まあ、それもよしというところか。
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