8月の車日記

全然更新の無かった車日記であるが、取り敢えず2003年8月ギリギリと言うところで更新しよう。本日は初めて都内の首都高を走った。因みに、神奈川県内の首都高は既に何度も走っているが、都内の首都高は神奈川県内とは訳が違う。

さて、更新が無い間に、私の車に重大な試練が課されていた。って、車検なんですけどね。近くの整備工場で「悪い所は直してください」コースを頼んだら、総額16万ほどかかってしまった。そんな完璧な整備を施された私の車は、本日は頗る快調に都内を駆け巡った。

さて、いつの間にか彼女が出来ている私だが、本日のデートは「ナムコナンジャタウンのアイスクリームシティーに行きたい」と言う彼女の希望を沿うべく、横浜から池袋まで首都高を走ると言う大冒険となった。以下報告。

大船に住む彼女だが、大船まで迎えに行くのがそれ程上手くないという訳で、彼女には横須賀線の保土ヶ谷駅まで来てもらった。保土ヶ谷駅は首都高狩場線の永田ICから至近である。私は最早通り慣れた第三京浜港北IC⇒三ツ沢IC⇒いつも混む新横浜通り、と言うルートを取り、浅間下交差点を右折すると言ういつもと違う道を行き、保土ヶ谷駅西口を目指した。「いつも混む新横浜通り」がいつも以上に混んでいて、10分遅刻。

彼女を乗せていざ保土ヶ谷駅を発進。いきなり永田ICに向う道順を間違えるなど、案外綿密に立てた計画が最初から狂うが、その後は案外順調だった。

永田ICから首都高狩場線を進む。神奈川県内の首都高は600円であるが、道路スペックは都内の首都高と全く同じで、設計速度は60km/hで、車線数は片側2車線と言う、何もかもバイパス道未満と言うあの道路である。とは言え、都内ほど交通量は多くないので、若干マシかもしれない。道路自体もそれ程古くない。

首都高速のHPには、所要時間予測と言うコーナーがある。これによると、サンシャインに直結する首都高5号線東池袋ICまでの最短経路は石川町JCTを折れて首都高横羽線に抜けると言うルートである。だが、最短経路の中のこの石川町JCTは、常に渋滞を食らうと言うことだ。この辺は道も地下で、その中で渋滞と言うのは中々陰気である。従って、ここだけは若干遠回りになるが、一瞬湾岸線に抜けてベイブリッジを渡った後、勢いよく大黒JCTで左折して、生麦JCTから横羽線に合流すると言うルートの方が良いと言う結論に、デート前スタディにおいて達した。

しかし、走っていて石川町JCTで混雑していると言う風情はあまり感じられない。だったらこのまま地下の陰気な首都高を通って行こうかと一瞬思ったのだが、それよりも大黒JCTから生麦JCTに抜ける道を通ってみたかったので、「まあベイブリッジ経由で行こう」と言って、そのまま直進した。湾岸線は首都高とは思えないハイスペックな道路で、片側3車線で設計速度は80km/hと一級高速と全く同じ。快適。

ベイブリッジからは横浜の中心部が良く見える。しかし、運転している身としてはあまり見られない。私の会社も当然見える。ああ、今日はみんな出ているのだろうか?

ジェットコースターの最後の方によくあるグルグル回るコースを彷彿とさせる大黒JCTをグルグル回りながら、高速大黒線を直進して生麦JCTを目指す。大黒ふ頭と言いその対岸の大黒町と言い、生活臭をまるで感じさせない工業地帯であるが、このような殺伐とした風景は何気に好きだ。しかし、運転手ゆえ風景はあまり見えない。

首都高横羽線に合流。途端にロースペックな首都高路線に戻る。この辺は神奈川エリアとは言え開通は結構古く、従って道の具合もあまりよろしくない。また、右から左から合流してくるなど、合流路線が神出鬼没と言う風情も出てくる。慣れていない人間にとってはあまり気が抜けないドライブとなる。しかし、この辺は入口以外に合流ポイントが無いので、まだマシだろう。

多摩川を渡る直前、神奈川県から東京都に入る直前であるが、ここで料金所が待ち構える。大師ICの脇だが、ここから700円を支払って都内の首都高に入る。遂に首都高の核心に触れる日がやって来た。ここからは本線が合流しまくり、まるで血管のように張り巡らされた首都高ネットワークが待ち構える。って、別にそれ程緊張してたわけじゃないけども。

暫くは単に首都高羽田線を淡々と走るだけで、特に派手な合流は無い。首都高横羽線と変わらない。目まぐるしい変化は右手にレインボーブリッジが見えてからである。芝浦JCTはそれでもまだマシだった。問題は浜崎町JCTである。浜崎町は取り敢えず江戸橋JCTを目指す我々にとっては、単に直進すれば良い場所であるが、その合流形態は目を疑わざるを得ない。

浜崎町JCTは都心環状線と八重洲線が合流するが、八重洲線はその先でまさに東京駅八重洲口方面に行く東京高速道路と分岐する。つまり、都心環状線、八重洲線、東京高速道路がX状になるのだが、何とここは道路を並行にくっつけただけで合流しろと言うのである。と言っても全く理解できないと思うが、つまり「おいおい、これじゃ側面衝突しちまうだろう」と言うような構造になっている。一般道でも見たことの無い合流形態で、さすが首都高と言わざるを得ない。

その後も立て続けにJCTが現れて翻弄される。銀座付近は地下にもぐっているが、地下で分岐したり合流するのに対して案外抵抗のある私は、やはり首都高を好きになるのは難しそうである。だってさ、地下だと分岐する道とか合流してくる道が遠くから分からないじゃん。

次に分かりにくいのは江戸橋JCTの進み方である。ボーっとしていると箱崎とか上野方面に向いかねない。箱崎など池袋とは全く逆方向である。とにかく行先表示板を凝視し、車線変更を慎重に行う。初心者みたいだ(みたいなもんだが)。その結果、竹橋JCTまで到達し、都心環状線とは別れ、無事に池袋線に乗った。千代田図書館が見えて「おー、あれは俺が高校時代とか浪人時代によく行った図書館だぜ」と彼女に言う。

行きは結局、全く渋滞に遭うことなく、スムーズに池袋に到着。渋滞が無いと流石に早い。

さて、サンシャインでナンジャタウンとか本屋とか展望台とか行った後、帰り道を取ることになるが、サンシャイン60から眺めた首都高池袋線の上り線は気絶するほど混んでおり、とてもここから乗る気にはなれない状態であった。従って、多少遠回りになるが精神衛生上はまるでマシな下道をいくらか通って、首都高に入る計画を立てた。サンシャインからは我が母校の姿も見えたので、彼女に母校周辺を案内することを兼ねて車を走らせた。

車で大学周辺を走るのは当然初めてである。私は

と言う具合に案内(所要5分)。

その後は神楽坂の細い道を走り、飯田橋に出て、九段下、さっき見た千代田図書館の前を通ると言う、浪人⇒大学⇒大学院時代と言う若い時代ギリギリを過ごした街を駆け抜ける。ああ懐かしい。

皇居の門前にある代官町ICから都心環状線に入るも、事故でかなり渋滞。ただ、事故現場を過ぎるといきなり流れる。ここで都心環状線を南下して、先ほど驚愕した浜崎町JCTを目指すも、この時点ではどうすれば横浜方面に戻れるのか殆どno idea。帰りはベタなデートコースを演出すべく、湾岸線を駆けて横浜に戻る予定。レインボーブリッジも当然渡る。

とにかくレインボーを目指すよう、細心の注意を払って進んだ結果、先ほど驚愕した浜崎町JCTから八重洲線に合流し、その後左折してレインボーブリッジに向うというコースを取ることが判明した。立体交差とはこのようなもののことを言うのだ、と言わんばかりの浜崎町で八重洲線に合流し、車線を変えずに芝浦JCTで舵を左に取る。レインボーブリッジが見えてきた。

レインボーブリッジを車で通ったのは、多分一度だけだと思う。いや、二回あるわ。一度目は千葉の南の方にサークルの冬合宿に行った時。もう一度は、大学院を卒業して品川からタクシーで「意味無く」お台場に行った時だ。今回は3度目であるのだが、今日渡った時は「車でレインボーブリッジ渡るのは初めてだなあ」と言う感じで、かつての思い出は消えていた。

レインボーブリッジからの景色は素晴らしい。だが、運転手はあまり見られない。

ハイスペックな湾岸線を走り、鶴見つばさ橋、ベイブリッジを渡る。ベイブリッジからみなとみらい地区の夜景はこれも綺麗だが、運転手はあまり見られない。

夜景と言えば一度見たかったのが新日本石油根岸製油所の夜景。という訳で狩場線には入らず、そのまま直進して湾岸線を走り続けた。プラントは昼間は鉄骨と装置と配管が剥き出しの、まさにターミネーター2の世界と言う感じだが、夜は細かく歩廊に照明が点くため、昼間と打って変わってかなり美しい。フレアと言う炎が出ている煙突も美しい。土曜だから派手に操業はしていないのかと思ったが、そうでもなかった。

下道を通って大船を目指し、彼女を送り届けて家路に就いた。帰りはいつも取る鎌倉街道⇒横横・日野IC⇒横浜新道新保土ヶ谷⇒第三京浜と言う複雑なルートではなく、国道一号線からそのまま横浜新道に入って帰ってみた。

以上。