年末に青葉台の石丸電気に行ったとき、CDを勢い余って購入してから、私は諏訪内晶子の俄かファンとしてCDを数枚買っている。本書は、その諏訪内晶子の子供の頃から30歳前になるまでの軌跡を書いたような本である。と言っても、自分のことだけでなくヴァイオリンと言う楽器のことや、音楽マネージメントについての意見も述べられていて、素人には中々面白い内容だった。ただ、やはり最も印象深かったのは諏訪内晶子自身のことで、それはチャイコフスキーコンクールに史上最年少で優勝するまで続いたコンクール挑戦の時代、一旦音楽活動を休止して、アメリカで音楽のみならず教養全般を一から叩きなおした留学時代、そして勉強生活を終えてプロのヴァイオリニストとして生活する最近のことが書かれている。これは本書の第一章・第三章・第五章・第六章に当たる。
諏訪内晶子は、その美貌と音楽センスから、普通の人からは「あんなに美しくて音楽センスもあるとは、恵まれている。」と思われる存在であると思う。何しろ私もそう思う。 ただ、取り敢えず生まれ持った美貌は横に置いといて、音楽センスの方は恵まれたものなのだろうか。そりゃ確かに我々に比べるべくも無く、音楽センスはある筈であるが、彼女が今のような状態にいるのは、単にセンスだけの問題で片付けられないものがあると思う。私が本書を読んで得た諏訪内晶子のイメージは、「この人、なんて泥臭い人なんだろう」と言う、天才とはかけ離れた、ってこれが天才なんだろうけど、とにかく「凡人が持つ神憑り的な天才のイメージ」からは全くかけ離れたものである。ここで横に置いといたあの美貌を再び議論に戻すと、その意外感にさらに拍車がかかる。あの美貌の持ち主が、1週間以上風呂に入らず一心不乱に鬼の如くヴァイオリンだけをやり続けると言うのを、果たして想像できるだろうか。本書を通じて感じたのは、洗練された諏訪内晶子ではなく、努力の鬼諏訪内晶子である。この本を読んでいると、音楽家と言うのは、まあどの仕事をやっている人もある程度そうなんだろうけど、常に勉強をしていなければならない存在であることが分かる。特に、演奏する際に楽譜通りに演奏するだけではなく、一体作曲家が何を意図してこの曲を書いたのか、と言うのを自ら分析して、それを自分なりに表現すると言うことが要求されるようだ。つまり、同じ曲でも一つ一つに演奏家のオリジナリティーを出せるほど、その曲に対して膨大な「勉強」を重ねないとならないらしい。これは演奏する側の問題でもあり、聴く側の問題でもあると思うが、とにかくクラシックは基本的にかつての作曲家が作曲した「同じ曲」を、いろんな異なった演奏家が演奏するものである。ただ、その曲に対する理解が足らないと、その曲を本当に表現できていることにはならないそうだ。へー、と言う感じである。
諏訪内晶子は極めて権威のあるチャイコフスキーコンクールで優勝して以来、全く音楽を知らない日本人にも知られる存在となったが、その後暫く演奏活動をした後、音楽活動を休止している。休止している期間何をしていたのかと言うと、将来への充電をしていたようだ。これは前に述べた、とにかく勉強をやり直す、と言うより一から始めてもいるのだろうか、これを米国への留学で行っている。その際の飽くなき探究心は、まるで材料の入手を何としてでもやるために、全く知らない国中を渡り歩く我々エンジニアのようである。
諏訪内晶子はコンクール後の多忙な演奏生活の中で、譜面の細部を勉強するなどと言う作業が不可能であることに気付き、演奏活動を休止して、勉強の世界に戻ることを決意する。その際、慎重に学ぶ先を検討した結果、当時最も音楽教育システムが充実していると彼女自身が判断した、米国への留学を決めた。まあ音楽と言ったらヨーロッパなんじゃないの、と言う素人考えを遥かに超えた考えが彼女には当然あったようだ。私が感じたのは、諏訪内晶子の視線の確かさと広さである。彼女がアメリカの名門ジュリアード音楽学院に留学を決意したのは、確かに音楽教育の名門と言うこともあるが、いくつかの候補の中でジュリアードを選んだのは、ジュリアードがコロンビア大学と単位互換制度のような協定を結んでいたからだと言う。これで何をやるのかと言うと、諏訪内晶子は一般教養科目もここで叩きなおそうと考えていたのである。つまり、それまでのコンクール生活で触れていなかった、音楽への深い探求と、おろそかになっていた「音楽以外の勉強」を、まとめて出来るのは、米国でコロンビア大学と協定を結んでいるジュリアード音楽学院である、と言う結論に達したらしい。
諏訪内晶子は、歴戦の指導者を擁するジュリアードではとにかく音楽のことを学び、高校時代以来の教養の遅れを取り戻すためにコロンビアで一般教養を学んでいた。私が最も印象に残ったのは、曲を演奏する上で「何故こうなるのか」を言語化することが要求されると言うことだった。当たり前と分かっていることを言語化するのは、極めて難しい。実際、その事象に関してよく理解していないと、言葉にして言い表すのは不可能だろう。全然音楽の話じゃないが、かつて塾講師のバイトをしていた時「マイナスの値にマイナスの値をかけるとプラスになる。つまり(-1)x(-1)=(+1)=1になるが、これはどうしてこうなるのか?」と言うのを中学1年生に最初に教える際、その準備にかなり時間がかかったのを覚えている。数学では「当たり前」と認識していることを「言葉と数式を使って証明する」と言う作業が要求されることが多いが、これが最も難しい。これを、何となく感覚的に演奏していると考えられる「音楽」に要求されるのは、私の想像の範囲を遥かに超えている。
話がどんどん逸れるが、諏訪内晶子はこれを「宗教や人種が異なる米国社会では、相互理解に以心伝心などを用いることは困難で、唯一頼りになるのは『言葉』である。従って、どんなことでも言葉で表現できなければならない」と分析しているが、私もこれには全面的に賛意を表したいと考える。文化の異なる外国の人間に対し、何が最も求められるかと言うと、それは言葉で的確に表現する以外に道が無い場合が多い。何もアメリカだけの問題ではない。これを、アメリカは高等教育システムの中に組み込んでいるようだが、しっかり言葉で表現するには、先述したが、かなり完璧な理解が必要となる。諏訪内晶子で言うと、演奏する音楽の譜面を理解し、それを自分なりに表現できるためには、「何故ここの演奏の仕方はこうなるのか」を人に説明するレベルに持っていけるほど完璧に理解をしなければならない。これを達成するのは膨大な資料とその読み込み、並びに理解が必要となり、時には人に教えを乞い、そして想像力も働かせて確信に近い形に持っていく必要がある。甚大な努力を強いられるこれらの勉強を経た後はしかし、その曲に対する自分なりの自信がつくだろう。これを諏訪内晶子は、果てしなく続けていく。
彼女は譜面に書かれている真意を得るために、その曲を作曲した人を知る人(かなり老齢)のところまで足を運んで、その人から教授願うと言う、極めてアクティブな方法を取っている。「足で稼ぐ」と言う感じであるが、スマートなイメージを持たせる外見からは、あまり想像できない積極性と言うか、泥臭い方法に思える。何しろ彼女は、教えを請うためにプラハにまで出向いているのである。さらに、その貴重な時間の貴重さを知っており、それこそ貪欲に知識とイメージを吸収する。この吸収力は彼女の集中力から出たものであり、集中力は知りたいと言う衝動から生まれているものであるように思われる。
これらは、全て音楽家としての人生のために行っている努力であるが、何故ここまでするのかは、結局単純かも知れないが二つのことに集約できると思う。一つは、それだけヴァイオリンを弾くのが好きなこと、もう一つは、自分の演奏を聴きに来てくれる観客を満足させたいこと、この二つであろう。これがプロの一定義になるのかは判然としないが、この二つのために、諏訪内晶子はどんな努力も惜しまない。
ここまで出来る諏訪内晶子は、やはり天才なのかもしれない。「努力する才能」と言うのがあると思うのだが、これが常人を遥かに超えている。ただ、この本を読んで、一部俺だって見習えるものがあると確かに思った。諏訪内晶子の本書は、それほど衝撃的ではなかったものの、諏訪内晶子ファンとしての気持ちは明らかに強まったように感じる。この人は憧れに値する人でなく、学ぶべきことのある尊敬に値する人だと思う。