リー・クアンユー回顧録[下] リー・クアンユー著 小牧利寿訳


上巻は下巻よりページ数が多く、毎日出社時にカバンに入れていくのが嫌なほどだったが、上巻読了に2ヶ月かかったのに反し、下巻は1ヶ月強で読み終えた。理由は下巻がテーマ毎に一話完結で分かりやすかったことも上げられるが、根本的には下巻の方が面白かったからだと思う。上巻も、リー自身の生い立ちを描いた前半部分は面白くて読み進むスピードも順調だったが、途中からの政争の話は元々あまり興味が無く、従って理解するのも苦労したため、読むスピードも落ちた。しかし、下巻は政策やリーの各国に対する考えを述べたものだったので、それゆえ面白かった。政治闘争の話より、政策を実行していく話の方が、やはり政治を享受する側にいる私には、身近だし興味深いものだったのだと思う。

下巻では、リーが思い描いた最悪の状況(マレーシアからの追放)から、現代の繁栄までのサクセスストーリーが描かれている。そして、まあ上巻からそうだと思うが、下巻において見られる、リーの一貫した姿勢は「いかにシンガポールに富と繁栄を植え付けるか」という一点であったと思う。この理念に反するものは徹底的に削除し、理念に合致するものは徹底的に取り入れる、このリーの考えに、私は少し辟易としてしまうほどだった。同時に、シンガポールが強権的な政府の下に管理されていると、よく批判される理由も何となく分かった。とは言っても、私のこの感覚は決して否定的なものではない。

この本を読むまで、シンガポールが発展した理由は良く分からなかった。何となく「面積も小さいし人口も少ないから、コントロールしやすく、それ故コンパクトな都市国家なだけに法律等も調整が利きやすいから、その都度その都度で最適な政策を決定できるのではないか」という風に、本当に何となくの印象しかなかった。ただこの単純な考えは確かに当てはまり、結局これがシンガポール方式の利点の一つだと思い至った。これはシンガポール以上の大国には当てはめることが出来ない芸当であるとも思うし、当然リー自身も認めている。ただ、これだけでは説明としては不十分で、だったら世界の小国は全てシンガポール並に繁栄していなければならないと思う。結局、シンガポールにユニークな何かが、今の繁栄を築き上げていることは明らかである。

シンガポールは英国の遺したもの(インフラや法体系)を取捨選択し、その上でシンガポールに合致したアイディアを構築させていった。何となく地方自治の原則のようである。それと地理的な利点も勿論最大限に活用している。何となくここまで書くと、本当に地方自治のようであるが、これらに加えて軍事や外交も含まれているのである。これは中央政府の役割だろう。つまり、シンガポール政府はシンガポール市民にとっての政府であり、かつ海外向けのシンガポール代表でもある。当たり前だが、この当たり前のケースは都市国家にしか見られない形態である。そうした中で、シンガポールにとってユニークな政策を採っていったのである。恐らく、これら採用した政策の中身が、他国と比べて群を抜く選択眼と完成度を誇っていたものと思われる。その政策を取るバランス感覚は面白かった。

本書の最初の方は、軍事面のことが書かれている。マレーから追放されてしまい、英国がスエズ以東の影響力を弱めていて、それでいて共産勢力とインドネシアの対決政策に晒されていた独立当初、重要課題は防衛だったようだ。そこでリーはシンガポール国軍を創設し、強化していくのだが、その過程で彼は当時(今も)イスラム社会から最敵視されているイスラエルに指導を依頼すると言う、相当微妙なことをやっている。大体、イスラム国家に囲まれていて、しかもシンガポール国内にもマレー人、すなわちムスリムがいるのである。それなのにイスラエルとはなんと言うことか。しかし、イスラエルの方式は「最短の時間で最大の兵員を動員」するもので、これによって「人口の少ないシンガポールが瞬く間に大きな戦闘力を動員できることを(内外に)知らしめる」ためには打ってつけの方式だったらしい。まだ英軍が駐留していた時期に英軍の後ろ盾を得ながら、シンガポールはイスラエルの方式によって急速に軍事力を高め、軍事パレードで対岸のジョホール市民を震撼させるほどのインパクトを60年代末には築いたことで、「強くなって有無を言わせない」方式が成り立ったと思う。勿論、最初からイスラエルに協力を要請したわけではなく、その他の国(エジプト)などに要請しても受け入れられなかったから、イスラエルを選択したようだ。イスラエルにしても周辺諸国からのプレッシャーで外交的に仲良くやっていける国を探していたことから、一応両方の利益が合致した形になったらしいが、それでもシンガポールにとっては危険な選択肢であり、それゆえ結果を出したシンガポール政府は、ちょっと凄いと思う。

福祉政策に対するリーの考えもユニークである。彼は欧米型の福祉政策は、無駄な出費が増えて財政を圧迫するものとして、完全に否定的である。国民が全員、平等に同質の医療を受けることが出来る、というのは完全に無理な政策である、とリーはしている。具体的には、大きい病院を使う際は補助金を付与するが、町医者のような病院では付与されないというものである。リー曰く「小さな病院で補助を恒常的に与える必要は無いからだ」としている。これを読んで思い出したのは、たけしのセリフである。
何かの番組で、たけしは日本の高齢者医療の赤字について、「地方の医院は、『あのばーさん、今日は病院に来ないから調子が悪いんじゃないか』と言われているくらいだろう」と言っていた。高齢者を無料で診察するちょっと前までの制度では、特に体も悪くないのに病院に来て、診察を受ける。たけしの冗談は、本来からだの調子が悪くて来るはずの医院なのに、体を壊して家で休んでいるから医院に来ないと言う、完全に論理が崩壊した現状を言っているのである。って説明すると超つまらん。とにかく、医院は集会所と化し、一応診察を受けるために医院には医療費が払われる。結果的に財政に占める医療支出は膨大になるが、このような政策が是であるはずは無い。リーはこのような80年代には先進的とみなされていた欧米の福祉政策を、完全に非効率であるとみなしている。シンガポールは、ただ単に欧米から制度を輸入しているわけではなく、是非を見極めた上で取り入れている。特に福祉の場合は、全く参考になる例が世界に無かったので、独自に編み出したようである。取捨選択だけでなく、オリジナリティーもふんだんにシンガポールの行政には入っているが、福祉政策はその中でも特に重要なものとして感じた。

シンガポールにとって、外資の参入も発展の上で欠かせないものである。そのために、使い勝手のいいインフラとレベルの高い労働者、そして治安や政治の安定した社会、税制優遇策などを盛り込み、周辺諸国との違いを鮮明にさせた。この為に、インフラに投資を行い、教育を充実させ、そして治安維持のために社会秩序を保つ、外部から見たらやや強権的な政策を実施したのは、全編を通じて強調されていることである。動機は英軍撤退によって英軍施設に雇用されていた労働者の失業による、失業率の上昇、および社会不安の増長を防ぐためであったのだろうが、その後も努力を止めていない。恐らく、外資が撤退したらシンガポールの失業率はすぐにでも危険値に達するだろう。一昨日だったかに、住友化学と三井化学がシンガポールに新プラントを建設する記事が載っていたが、最早賃金が低くないであろうシンガポールに新規プラントを建設すると言うのは、よほど環境が良いに違いない。外資優遇はシンガポールの生命線なのかもしれない。

外交バランスも素晴らしかった。私は本書を読んで、「リーは喋りすぎじゃないか」と思えたほど、この小国の指導者はかなりきわどい発言をする。だが、彼は何も怖いもの知らずで話しているわけではなく、アメリカなどの大国が太平洋に存在することから、安心して大きなことを言っていると認めている。彼は環境を味方につけるのが非常に得意なようだ。また、言うときにはっきりと態度を表明しないと、後々「シンガポールは脅したら楽勝だ」と思われてしまう懸念をいつも気にしているのが印象的であった。
ところで、外交関係での白眉は中国との付き合い方である。彼は蒋経国時代は台湾と友好関係に合ったが、ケ小平になると大陸との関係を強化した。元々シンガポールは共産勢力との政争が激しかったので、中共は敵の神のような存在だったのである。しかし、ケ小平がトップに就くと、市場経済の有効性を認めたケとの対話を開始し、大陸を指示し始めるのである。折りしも、世界は台湾から大陸に国交を移行し始めた時期である。リーは本書では触れていないが、時代の潮流に従って、大陸への接近を図ったのかもしれない。蒋から李登輝に総統が移行した台湾とは、逆に関係がそれほど緊密化していない。それどころか、リーは李に対し非常に批判的である。李登輝は優秀だが、周囲の状況を理解していない、それ故大陸政府を怒らせるような発言を繰り返している。李登輝は大陸がキレても、どうせアメリカが介入してくるから自由にモノを言っている、と峻烈である。まあ、リーだってそうだろ、と思ったことは確かではあるが。それにしても、リーがケ小平をあれだけ賞賛し、李登輝にあれだけ批判的であるとは、意外だった。あまり関係ないかもしれないが、リー・李・ケは3人とも客家出身である。特にリーと李は出自が同系統(リーは漢字だと李だからなあ)なので、何となくリー・李は仲が良いと思ったが、リーは大陸の指導者との関係の方を強めていたのだった。恐らく、民主化を推進する李登輝とは相容れなかったのかもしれない。

色々思いつくことは多かったが、私は大体において、本書でのリーの姿勢は真実であると思った。確かに西側メディアが批判するように、管理や規制が厳しすぎるという面はあると思う。例えば、住宅を持たせるために強制的に給料から積立金を取り出す、中央厚生年金基金制度は、結構ヤだな、なんて思ったりもした。別に持ち家じゃなくて借家で良いのに、何で天引き、それも政府からされなければならないんだろうか、と思った。また、マスコミの誤報を糾弾するのは正しいが、一部の誤報でそのメディアを殆ど締め出してしまうマスコミ管理も、やや行き過ぎのような印象がある。リーは本書内でそれに対して論理的に正当性を強調しているが、何か論理的になればなるほど感じ悪いよな、なんて思ってしまうのも確かだった。だが、そうは言ってもこのような政策はシンガポールの国民に受け入れられている。何故なら、リーの率いるPAPは政権に座って以来、一度も政権から滑り落ちていない。しかも、毎回議席の95%程度を占めるのである。これはPAPの選択眼・安定性・清廉さ・目標達成能力に、国民が信頼を寄せていること、尚且つ、国民がシンガポールの現状が続いて欲しいと願っているからだろう。長期政権に起こりがちな汚職や不正を完全に排除することで、安定を誇っている。ここまでストイックなまでに続けているのは、リーの「どうやったらシンガポールに富が植え付けられるか」という基本理念を達成しようという動機であるに他ならならない。彼はシンガポールの発展のために、本に書いたことをやって来て、余計なものはすべて排除してきたのである。国民がリーの政策が良いと認めているなら、それはシンガポールにとって真実であると思う。

リーがこの回顧録を書いた目的は、実は警世であるらしい。前書きに書いてある。理由は、今の繁栄したシンガポールしか知らない若い世代が、何故こんなにシンガポールは努力をさせるのか、何故こんなに厳しいのか、という理由を知らずに、将来シンガポールが緩くなって落ちていくのに危機感を感じているからだと言う。今後、シンガポールはトップを占め、日本のように目的を見失って、努力を怠ってしまうかもしれない。その結果、地の利を生かした貿易事業でフツーの水準を保つかもしれないが、外資にとっては魅力が無くなり、町も荒廃し始めてしまうかもしれない。弱くなったら、周囲の大国に飲み込まれてしまうかもしれない。将来を危惧し、リーは本書を書いたようだ。今後、シンガポールがどうなるかは、究極的に私にとってはどうでもいいことである。だが、自分の育てた国が落ちて行くのに黙っていられない姿勢は、私にだって理解は出来る。

リー自身が前書きでも書いていて、訳者あとがきでも書いてあるのだが、この上下巻は別々の本と言う感じである。従って、上巻で書いてあったことで下巻(つまり1965年以降)にも書いてあったり、内容に重複が見られる。何しろシンガポールでも、上巻と下巻の出版には数年の隔たりがある。下巻の原版は2000年に発刊されたが、私は上巻に当たる著作を数年前に行った香港島の書店でみかけたのを覚えている。だが、こんなことを書かなくても、読めばこれが上下巻と判断することがあまり適当でないことは分かると思う。上巻は生い立ちからマレーシア追放・独立までを時系列的に書き進めているが、下巻ではテーマ毎に一話読みきりの「こち亀」のような構成である。また、上巻を読んでいなくても下巻に上巻で触れた内容も書かれていたりするので、下巻だけ読んでもまるで違和感無く楽しめる本であると思う。

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