リー・クアンユー回顧録[上] リー・クアンユー著 小牧利寿訳
シンガポールの歴史はリー・クアンユーの生涯ではない。しかし、リー・クアンユーの生涯は間違いなくシンガポールの歴史である。上巻を読み終えて持った感想である。
この本を手に取ったきっかけは、私が現在マレーシアの仕事をしていることに起因する。昨年の後半に、現場出張でマレーシアのボルネオにあるビンツルという、石油と天然ガスが沖合いで産出する町に行く機会があった。私にとってマレーシアは初めてではないが、ボルネオは初めてであった。そして、私は海洋アジアについて殆ど何も知らないことに気がついた。東南アジアはインドシナ半島とマレー半島北部(ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー・タイ)からなる陸アジアと、マレー半島・スンダ群島からフィリピン群島(マレーシア・シンガポール・インドネシア・ブルネイ・フィリピン)からなる海アジアで大別することが出来る。その後者について、私は殆ど基礎知識を持たなかった。理由は、行く機会があまり無かったからである。
マレーシアのプロジェクトにassignされて、実際に出張に行くことが決まった時、私はこの地域について何も知らないのは損であると思った。そこで、海洋アジアの歴史書を通読し、海洋アジア関連の軽めの書籍も漁った。海アジアの概要が分かり始め、なぜ私の現在のプロジェクトの客がマレーシア国営石油会社であるペトロナスとシェルなのかを歴史的に理解したとき、現代の海アジアの若干詳しく、突っ込んだ記述がなされているものを欲するようになった。そこに、この訳書が目に入ったのである。
本書は上下巻に分かれているが、上巻はリー・クアンユーの生後から、マレーシアからシンガポールが分離独立した1965年8月9日までの42年間を描いており、下巻は独立後から現代までを描いている。これは上巻の印象を綴る文章である。私はこの本に関する書評を結構いろいろなところで読んだ。しかし、私が印象に残ったのは、これらの著名な書評で綴られたところではなかった。以下、述べていきたいと思う。
現在、シンガポールドルとマレーシアリンギットの両通貨のレートは、1シンガポールドル=69円で、1マレーシアリンギット≒30円である。マレーシアリンギットは、機関投資家の通貨投機を嫌ったマハティールによって、現在1US$=3.79リンギ(だったかな?)に固定されているが、シンガポールドルは勿論変動相場の世界にいる。円で換算すれば、1シンガポールドル=2.3リンギである。このレート差を見てかつて知り合いが「いやー、やっぱシンガポールは独立してよかったねー」と言っていたのを覚えている。私にしても、シンガポールが独立したのはダルダルのマレーといっしょにやってるのがかったるくて、それで独立してバリバリやっているんだ、とすら思っていた。しかし、本書を読んでシンガポールはマレーシアから独立したと言うより追放されたと考える方が妥当であり、そして最後までリーはマレーシアの一部であることを望みつづけていたことを知る。つまりこの上巻は、リーの生誕から、リーの人生最大の挫折までを描いた物語であることがわかる。従って、読後は晴れ晴れとした気持ちと言うより、重い気分を味わってしまった。まあ、上巻であるわけだから途中と言えば途中であるが。
この上巻は最初の方はリーの個人的な歴史を綴っているが、そこに描かれているリーは、向上心の強い俊才で、かつ冷静な人物として自らを描いている。私が特に印象に残ったのは、日本の占領時代を綴った章である。
果たしてリーは、一体どのような姿勢で日本について書いてくるのだろうかと、章を読む前に考えた。そして私は、他のアジアの指導者のように峻烈な姿勢で書くことはせず、しかも肯定もせずに、淡々と書いていくだろうと考えた。読んだ後、個人的な憎悪も感じられたが、全体的には恐ろしいほど冷静に当時を振り返っていることに、私は結構驚いた。
確かに、日本兵の強圧的な態度によって殴られたり張り倒されたりするシンガポール人を描いているときの彼の筆致からは、やはり憎悪が感じられた。かなり抑えて書いていると思われるが、私でも昔に受けた恥辱を書くとき、その筆圧が多少強くなると思う。だが、それを書きながら、その事実を踏まえたリーの考え方は冷静である。彼は日本軍がシンガポールを占拠している期間で、かなりの多くのことを学んだと言うが、例えば日本軍が何か罪を犯した人間に対して極端に重い刑罰を科すことについて、リーはこれを肯定している筆致で書いている。シンガポールは日本の敗色が濃厚になりつつあった1944年には、物資不足でかなり窮乏した状況であったそうだが、それでも犯罪発生率は極めて低かったと言う。理由は、日本軍が科す罰が重すぎるので、犯罪を犯すことが市民にとってはよりリスキーである状況だったからだそうだ。リーはこの文章の最後に「私は刑罰では犯罪は減らせない、という柔軟な考えを主張する人を信じない。これは戦前のシンガポールではなく、日本の占領下とその後の経験で生きた信念である。」と述べている。現在でもシンガポールの刑罰は非常に重いが、これはリーのこの当時の経験から生まれたものであることを示している。シンガポールは政府の強権的な力によって秩序が保たれている、と主張する人は多い。それは確かにその通りである。そして、そのシンガポールのやり方が正しいかと言うと、リーは勿論正しいと言うだろう。私は、リーのやり方は正しいと思う。犯罪は被害者の出る前に防ぐ、つまり未然に防ぐことが重要であると思う。被害者が出た時点で、その問題は被害者にとっては明らかにマイナスである筈だ。従って、犯罪を未然に防ぐ方法は重要である。そして、未然に防ぐのに適した方法が、罰則を厳しくする以外に方法が無いならば、そのやり方を支持するのは、私にとっては当然である。
また、慰安所の存在についても触れている。リーは、慰安所の存在を肯定することは一切していない。だが、慰安所があったためにレイプの発生件数がシンガポールでは殆ど見られなかった、と書いている(郊外では起きたらしい)。慰安所に長蛇の列をなす日本兵を見るのは「壮観」ですらあったとのことであるが、その時の彼の感想は「これを見て私は、日本軍はこのような問題に対して実用的、かつ現実的な処理の仕方をすると思った。」と書いている。だが当時、彼は慰安婦が現在巷で言われているように「強制的に連れて来られた人たち」であることは知らなかったらしい。つまり、慰安婦は職業慰安婦であると思ったようだ。そうは言っても、彼は日本軍の現実的なやり方に論理的な嫌悪感を抱いていないようである。まあ、このような問題は論理性より倫理性の方が問題であることは間違いないと私は思う。
また、彼は広島と長崎の原爆投下を完全に肯定している。これが無ければ、彼は日本軍は全滅するまで抵抗しつづけ、結果的により多くの日本人とマラヤ人が死に絶えると考えている。彼にとって日本兵は、死を恐れずに突進する鬼のような存在であったことを随所に書いている。英国をシンガポールから追いやったときの日本の粗野なバイタリティーに圧倒されていたようだ。
きりが無いのでこれでやめるが、最後に私にとって最も印象に残ったのは、下記の記述である。これは日本軍が、盗みを働いた現地人に対し打ち首にし、通りにさらし首をした光景に出くわせたときに、リーが思ったことだそうだ。
私は日本人の恐ろしさを感じたけれども、同時に『ライフ』に載ればどんなに素晴らしい写真になるだろうかとも思った。アメリカの週刊雑誌社なら、シンガポールの最も近代的なビルディングとその前で行われた中世の罰則との対比をくっきり物語るこの写真に相当の金を払うだろうと私は思った。
占領軍に占領されている戦争状態の自宅周辺で、自分が出勤途中でさらし首を見たら、果たしてこう思うだろうか。私なら、ああ可哀相にとか、むごいとか思う前に、いや、永遠に思わずに、心の中には「うゎっ」という文字のみが出てきて、あとは空白が脳を支配するであろう。軽い「取り乱し状態」に陥ると思う。かつて学生時代、私はバイトに行く途中で老女の転落死体を見たことがある。そのとき私は、まさに上で述べたような「うゎっ」という声が心の中で出ただけで、「これをフライデーに持ってったら買ってくれるかな」などとは全く思わなかった。そのような状況に慣れてしまう極限状態だったのかもしれないが、上のリーの冷静な感想は、私は理解できなかった。
この本は戦争のことばかりを書いているわけではない。メインはマラヤ連邦の結成である。だが、私はやはり、ここの記述が印象に残ってしまったのである。何しろ、リーがマラヤ独立を目指す動機付けは、日本の占領がきっかけだったからである。日本に占領されるまで、彼にとっての宗主国英国は、そのような感情を持たせるものではなかったらしい。確かに搾取はされていたが、安全保障がなされていたのである。ところが日本が攻め入ってきたら安全を保障する前に降伏し、以来日本軍の横柄な占領体制に苦しめられてきたのである。
その後彼は英国に留学で赴くが、ここで猛勉強をする傍ら、後の夫人となるチューに熱を上げる傍ら、英植民地諸国からの留学生との議論や、労働党との接近によって、ますます独立の思いを強くしていく。帰国後は弁護士として労組を支援し、植民地政府を攻撃していくが、その過程でシンガポール人、マラヤ人としてのアイデンティティーに目覚め、政治の世界に足を踏み入れていくのである。
ここで私にとってあまり知らなかったのは、リーがマラヤへの編入を目指して奔走していたことである。冒頭にも書いたが、私はシンガポールは自発的にマラヤから脱退したのだと思っていた。しかし、リーはそれは最も避けたいこととしての選択肢であったのである。
私は本書を読んで、当時の中共が華人にとって栄光の星であることを改めて知らされた。そして、華人人口比率が高いシンガポールでは、共産主義志向が強まっているとうい現状についても知らされた。しかし、周囲は反共の国々である。もしここでシンガポールが共産勢力によって執られれば、完全に周囲から孤立することになるし、逆に包囲されることになる。シンガポールは水を対岸のマレーシア・ジョホールから送水しているほど、後背地を持たない孤島である。それが、完全に孤島になるのである。現実的に言って、理想に走って共産化するのは、シンガポールにとって全く得策とは言えない。さらに悪いことに、当時はスカルノがインドネシアで対決政策というマラヤに対する示威政策を実施していた。孤島になった上に、インドネシアからの圧力にも耐えねばならないのだ。リーは安全保障という観点から、どうしてもマラヤに編入されなければならないと感じていたはずである。
さらに、英国の植民地政策からの脱却を図るためには、極度に英国寄りの政策をとる政権も不適当である。リーがここで考えていたことは、「我々シンガポール市民にとって、最も幸福な選択肢を選べる政党が政権を執ることが重要である」ということだと私は読み取った。そして、彼にとってのその選択肢とは、英国の庇護を防衛面である程度受けながら、後背地としてのマラヤとの一体化を図り、同時にインドネシアの脅威からも身を守る、そしてシンガポールは今までどおりその地の利を生かし、出来る限りの繁栄を市民に還元する。これがリーの理想であったと思う。
これらのためには、反独立派や強行共産派は最終的にどちらも排除しなければならない。彼は最初に反独立派を、共産派と組むことで粉砕し、後に共産勢力と一騎打ちすることでシンガポールの政権についた。ここでもリーの冷静かつ論理性は良く見られる。彼は共産勢力と組む際、「絶対的に主張は相容れないから、将来的には必ず激突することになる」覚悟を決めながら、彼は共産勢力と組むと言う決断を下している。この決断をしたのは、独立と言う、大雑把であるが、第一優先すべき共通した目標を持つ者同士で組んで他者を排するという目的があったからである。この決断は妥当だと言わざるを得ない。
結局、首尾よく反独立派を排除し、さらには共産勢力との骨肉の政争を経て勝利したリー率いるPAP(人民行動党)は、ついにマラヤ編入への一歩を踏み出す。次の難関はマラヤのラーマン首相との交渉である。結果的に編入を果たしたリーのシンガポールは、その後ラーマンから離脱を言い渡される。ここまで至った経緯は確かに複雑であるが、最もネックになったのは次のような意識の相違があったからだと思う。
現在のマレーシアのブミプトラ政策を知る人は多いと思う。マレー人優遇の政策で、商才や学才がインド人や中国人に劣るとされるマレー人を優遇する政策である。これはラーマンも言及しているし、マレー人にしても自覚しているようである。その、劣っているマレー人が、何もかもインド人や中国人に握られることは、マレー人にとって健全とは言えないものであると考えている。もともとマレー半島はマラヤ人のものだとの認識は誰でも持っているし、特にマレー人がその感情を持つのはかなり当たり前である。ラーマンは「政治はマレー人が、経済は中国人が」という意識をもっていたらしい。だが、リーはこの考えに同意することは出来なかった。差別的な政策であり、マレー人を保護することが、マレーシアを発展させるとは考えられないからであった。優秀な者が治めて何が悪い、というところであろうか。
結局、リーはマラヤのやり方に納得が出来ず、緩い連邦制としてマラヤ連邦を形成しようとする試みは確実に失敗に突き進んでいった。シンガポールの市民が治める税金の不当なほど大きな額が中央に吸い上げられたり、シンガポールの政党が中央政界に進出するのを阻まれたり、それに賛成することはどうしても出来ないリーの姿が映し出されている。結局、双方の意向が合わないため、破局を迎えるのである。
上巻の最後で、私はシンガポールが海アジアで孤島になり、後背地を失い、そしてマラヤが交易の拠点をマレー半島に移そうとして収益を奪い、未だに対決政策を続けるインドネシアが南に控えている状況に気付いた。さらに、英国軍が兵力削減に動こうとして、海アジアの兵力の真空状態が形成される予兆まで伺える。これは、リーがどうしても避けたかった状況である。ここへ来て、何故、リーがマラヤへの参加に向けて血の滲む努力をしてきたのかが分かった気がした。何しろ、読んでいる私が途方にくれるほど、独立後のシンガポールはふわふわして、いまにも無くなりそうな不安定な情勢に浮かんでいたように見えたからだ。
下巻では、この不利な状況をいかにしてシンガポールが克服していったかが描かれている。シンガポールは、克服したと思う。それは今のシンガポールを見れば分かるであろう。上巻は途方にくれたが、下巻は楽しみである。