山の郵便配達 フォ・ジェンチイ監督 中
あんまり「階段でとぐろを巻くように並びまくる」映画を最近見ていなかったので、岩波ホールでとぐろを巻くように待っているときは久しぶりだと感じた。
本編舞台は1980年代前半の中国湖南省で、そこを配達領域にするある郵便局員父子の物語である。郵便局員といっても「郵便局員は二度ベルを鳴らす」のような映画を作るほどまだ中国は人民解放されておらず、山間部を徒歩で郵便配達するという、イメージだけなら極めて素朴なものである。80年代前半の中国がどのような国だったのかは殆ど知らないが、この映画にあるように、山間部の部落を結ぶのは人の足のみという時代だったと思う。中国西部ではまだこのような状況にある地域が存在するとも思うが、今の中国人が見ても若干の隔世感はある映画であろう。
長年山間部を配達領域にしていた父親の郵便配達員が引退し、息子が後を継ぐことになった。あまりに辛い仕事のため、母親は控え目に反対するが、息子は郵便配達員になった。最初の配達の日、いつも父親の配達に付き従ってきた犬が息子について行かない。父親は道を知っている犬に、息子と一緒に行くように促すが、犬は父親と行動を伴にしていたからか、まるで出発しない。仕方なく、父親は息子の最初の配達を見守ることを兼ねて、最後の最後の配達に出掛ける。これが最初の展開である。
父親が何日もかけて(本編は2泊3日で120kmの山道を、重い郵便物を背負って川を越え山を越え歩き回る)仕事に出掛けるが故に、まるで父親が家にいない、と言うのを私は経験したことが無い。だが作中の親子は、父親の仕事の性格上から、すれ違いを重ねる年月を経ていた。従って、息子は母親との絆は深いものの、父親との絆は微妙なもので、それ故息子は父親を父と呼んだことが無いという状況である。父親も息子との関係に対し、ある意味諦めのようなものを抱いているように感じた。
物語は、息子のナレーションも入るので、息子の視点から見ているように思われるが、随所に父親の回想シーンが入る。つまり、親子の心の中を見ながらの映画となる。
父親に対し、ある意味不気味なイメージを持っていた息子であるが、この最初の旅で、父親が今までどんなことをしていたのかを知ることになる。家での会話も殆ど無かっただろうから、父が何をしているのか、よく分からなかったのだろう。それが父親に対する変な警戒感を増長していたのだとも思う。しかし、最初は父親に対してやはり心を閉ざしていた息子も、3日の旅で急速に父親に心を開き、最後には尊敬と言うか、親子の絆を強くしたように感じられた。3日でそんなに変わるか、と思うかもしれないが、私は変わると思う。父親の仕事はそれだけの力があると思うからだ。学生時代、私は何度か父親の仕事の手伝いをしたことがあるが、帰りに父親に対して違うイメージを持ったのを覚えている。それは、悪いイメージでなく良いイメージである。
父親も父親で、息子に対しては距離を感じていたと思う。だから、家に帰って息子とどう付き合えばいいのか分からないという時代もあったかと思う。この旅の前も、父親は息子が一体何を考えているのか、分からなかったのではないだろうか。ただ、この旅を続ける中で、徐々に父親に心を開く息子によって、父親は息子がどのような考え方をするのかが分かってきたようだ。特に、自分の職業がどう息子(と妻)に影響を及ぼしていたのかも、理解していったと思う。
父子の距離が一気に縮まったのは渡河のシーンだろう。橋の無い川で、徒歩で渡らなければならない。そこで息子は父親を背負って渡河するのだが、このシーンを見て感動しない人は、人間をやめた方がいいかもしれない、と主観的に物事を断じてしまうようなシーンだった(詳細説明するとつまらんから省く)。このシーンの前までで、相当距離は縮まっていたのだが、これ以降、父子の絆は深いものとしてほぼ完成したと思う。
私が最も印象に残っているシーンがある。それは息子の次の配達の出発のシーンである。郵便物を詰めた荷物を背負うシーン。この時、背負うシーンが繰り返される。これで山の郵便配達の仕事は、完全に息子に引き継がれた、正にその瞬間のシーンだったと思う。何故か分からないがこのシーン、私は最近仕事をしていて急に思い出したりする。
父親と息子の関係と言うのは、いつの時代も微妙なものだと思う。男同士の親子関係は、女同士のそれとはまるで違うものだと思う。まあ私は女じゃないから女同士の親子関係はまるで分からないが、男同士の親子関係は、この映画でよく出ていたと感じた。男同士の親子関係はある意味かなりのライバル意識をもつ関係だと思う。親父に馬鹿にされるのが最大の屈辱だったりすることも、私だけじゃなく他の人にも当てはまることだろう。逆に、父親に認められるのは、母親に認められるのとはまるで訳が違うものもあると思う。父親と言うのは大抵子供には厳しいもので、それ故息子は父親に畏れ敬う何かを持つが、母親にはあまり持たない。母親はそのような対象ではないからだと思う。この映画を見た男女は、恐らく相当持つ感想が異なると思うが、私は男として、この映画は非常に感慨深いものだった。そして、女の人は、この映画を見て全く違う感想を持つのではないかと思った。それが、この映画の最大のいいところかも知れない。
中国の山間部の風景は美しく、映像は全般的にきれいである。舞台装置の問題もあり、必ずしもシーンがリアルでないところも感じられるかもしれない。だが、それがこの映画の意味ではないのは書くのも面倒くさい。
岩波ホールの映画、あんまり見たことが無いのだが、これは一見の価値ありと言いたい。もう2回見たが、恐らくもう一回は行くと思う。