楽園 荻生田宏治監督 日
涙はなく、笑いも殆ど無い。登場人物の表情も極めて冷静で、セリフも少ない。物語自体は坦々と進んでいく。流れの起伏は、まるで凪いだ海のようだ。そんな映画だった。
じいさんとその孫娘、それからバリ島の獅子舞劇団を組んでいる壮年の男が、『舟造り』を核として物語が進んでいく。舞台は熊本の三角である。だが、映画では三角とは触れていなかったので、かなりの孤島という設定であろう。登校拒否で、ほぼ家出同然で家を出た反抗期の孫娘が、船大工のおじいちゃんの家に転がり込んで来て、二人で暮らしている。孫娘は、スーパーでバイトしながらじいさんと暮らしている。一方、島には獅子舞劇団が地方巡業で来ていた。獅子舞披露の日、途中で雨に降られて演技は中断。リーダー格がガックリしていたところ、じいさんに出会う。じいさんは獅子舞を見ていて、その獅子舞に感心していたが、獅子舞が中止になったのは残念だと言う。何故か、じいさんがしつこく誘うので、じいさんの工房に向かってしまう獅子舞団のリーダー。ダラダラしているうちに、便数の明らかに少ないフェリーが出港してしまう。仲間と一緒に島を離れられなかったリーダーと、団で仲のいい後輩、それから恋人(?)が、リーダーを探すために残る。
じいさんと一緒に船を造るリーダー・シンジと、二人をみつめる孫娘、そしてシンジを探す二人の仲間。この分担作業は、映画の最後くらいまで変更されること無く、坦々と続いていく。こんなのが、この映画の大筋だろうか。獅子舞団の3人が島に暫く残ってしまったと言う点を除くと、日常生活の場面しか出てこない映画だ。
さて、この映画の特徴の一つは、キャスティングにある。じいさんやスーパーのおばちゃんの演技は、驚くほど拙く見えるが、それもその筈で彼らは素人だと言う。というより、本編の脇役衆は殆どが素人であるらしい。じいさんは本職は大工である。そのようなキャスティングを行う映画は、やはり邦画の「ワンダフルライフ」以来である。しかし、物語そのものが坦々としているため、かえってそのような素人演技が映える。
次に、キャストのセリフについて。まず、じいさんのセリフは九州訛が強くて、結構理解不能である。ボソボソと話すのが余計に聞こえづらい。しかし、悪いけどじいさんのセリフが理解できないことなどは、殆どどうでもよい。じいさんは、舟を造ることで自己表現していると言う感じで、言葉などは殆ど発する必要が無いという役回りだったからだ。それに、非常に乏しいながらその表情や、ゆったりした体の動きが、何だか全てを語っているような気がする。貫禄がある、などと言う意味ではない。ああ、何と言ったらいいのか、とにかく彼に言葉は必要ない。
孫娘も、これまたセリフが少ない。だが、この女の子は表情でセリフを語っているのだろうか。感情をあまり出さない冷めた印象だが、なんだか今の高校生などに比較的頻繁に見られるタイプだと思った。それをよく表現している。ひょっとしたら地なのかもしれない。高校生でよくホームページを開いている子の表情は、何となくこんなじゃないか。「大人には何の期待もしていない」とか「不必要な同情などは全くいらない」とか、冷めた態度を装っている感じの女の子だ。中学生だとあまり出来ない態度だが、少し大人になる高校生には比較的多いだろう。もう少し大人になると、その「冷め」も消えるものだが、現代高校生の成長時に見られる一過性の症状を呈しているキャラクターだと思う。大人が理解しないから、面倒臭くて自分を外に出すのを怠っているうちに、こうなってしまったと言うものだろう。内に秘めたものの質と量によって、眉間の曇り具合と口のとがらせ方が変わる。そんな微妙な表現をするキャラクターだった。
その点、獅子舞団のリーダーであるシンジだけは、この物語でも明るい存在で、この物語では豊かといえる表情とセリフで表現している。まあ、普通の映画にしてみたら、かなり寡黙なキャラクターだと思うが、何だか夢中でじいさんの手伝いをしており、またじいさんの波長を乱すことなく、しかし孫娘の波長は微妙に乱しながら、物語の中心に座っている。あまり人とうまくやらなそうなじいさんと、非常に仲良くやるという、いってみればこの物語で無くてはならない存在だっただろう。
ここまで書くと、退屈な映画だと思うかもしれない。しかし、私自身は退屈だとは全く思わなかった。途中でダレるということもなかった。映画を見ている最中、時計を見て「あとどれくらいかな」というのも無かった。映画を見ながら、いろいろ考えることが出来る映画であった。このような映画は、邦画には多い。特に今作はそのような映画だった。旅の道中における車内での考え事をするような鑑賞態度だった。「あー、川が見えるな。あれは何ていう川かな。ん、漁師がいるな。どこに住んでいるんだろう、周りに家なんか無いじゃないか」などと考えごとをして、車窓を見ながら旅をするのだが、今回も「あー、なんだかシンジが工房で座って考え事をしているな。何を考えているんだろう」みたいに、作中の情景を考える余裕を与えられるような映画だった。考えている最中に、目まぐるしくストーリーが進んでいくような映画ではない。何せ、ストーリーなど殆ど変わらないんだから。孫娘が自転車を漕いでいるとき、今何を考えているのか。じいさんが坦々と作業をしているとき、一体何を考えているのか。などと想像をする余裕がある。そう、この映画は観る側に余裕を与えることができる映画だった。共有、とまでは行かないかもしれないが、移入は非常にしやすい、そんな映画である。
洋画には、観客を受動的に楽しませる作品が多い。確かに非常に面白くて、ハリウッド映画なんてのは本当に楽します映画最高峰であると思う。しかし、観終わってから結構疲れているケースが多い。悪く言うつもりは無いが、何だか押し付けられているような気がするからだ。その点で、本日見たような邦画は、極めて能動性を観客に与える映画である。能動的に物語に参加することが出来る映画だった。人それぞれだと思うが、私はこのような映画が極めて好きである。
あー、いい映画だった。
上映館:
ユーロスペース(東武富士ビル2階 渋谷駅南口下車2分 玉川通りと東急プラザ前の交差点を渡って、JTB前のさくら通りってところを上がる)
上映時間:
10:30-12:05 21:00-22:40