映画狂人日記 蓮實重彦著 河出書房新社


かつての塾での後輩である森氏は、現在愛媛の松山に住んでいる。会社は大手損保であるが、地元が四国であるためか、配属が松山になったのだ。昨秋、九州と中国地方を台風が襲った翌日、私は瀬戸内海を渡って彼に会いに行ったのだが、その時に彼が言っていたのは、およそ次のようなことである。

「こっちは色々な催しが少ないんですよね。特に映画には難儀します。」

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書店で、「映画狂人日記」と書かれた書籍を見つけた。洒落た装丁の映画評論集であるが、映画評論集の類を読んだことが無い私は、オビに「総長襲名後、はじめての映画論集!」と記されたこの本を手に取った。著者は現東大総長の蓮實重彦その人である。総長襲名の総長とは、東大総長のことである。これは買った後に、著者略歴のところで知ったのだが。

ほぼ全編が、映画のことで埋め尽くされている。映画評論家の中では難解な評論を書くことで有名(らしい)な彼の文章は、私にも非常に難解な内容であった。事態をさらに難解にさせているのは、蓮實その人の、時間的に広く深い、映画に対する知識と愛情に他ならない。出てくる作品や俳優の名前は、知らないものばかりである。それが仮に伝説的なものであっても、私には知らない作品、監督、そして俳優なのである。そんなわけで、これらについて語られている章を考察するのは、かなり私には難儀である。ただ、全編について一貫した彼の記述に教えられたことと、共感できることは、次のようにまとめられると思う。

映画の全盛期は1930年代前後である。私の親も生れておらず、しかも著者本人にしても生年が1936年だという。にもかかわらず、彼は全盛期を30年代前後としている。他でもなく、この時代における最大の大衆娯楽は映画であり、その時点において最優秀のエンターテイナーが映画に集結したとみるのは、後世代において生れた彼にも、そして私にも理解の出来ることである。しかし、実物を見ていないにもかかわらず納得することは出来ない。だが彼はフィルムとして実物を見て、そしてそれを納得せざるを得ないような言質で、これを断じている。まぎれもなく、30年代の映画は、映画の中でも最高峰の出来であるらしい。一章を「30年代の映画は最高」みたいな形で評論しているわけではない。だが、ことあるごとに「そうは言っても30年代には...」という意図が感じられる。テレビの出現によって、娯楽の中心が移ってしまった後の映画に対し、溜息にも似た言質を繰り返していることで、これがさらに明瞭化されている。そこまで言うのなら、と私自身も、30年代の映画を見てやろうかと思わせる。私は蓮實の術中にはまっている。

今ひとつ、著者によって教えてもらったものがある。それはソ連映画の20年代における興隆である。蓮實は、特に本書の後半部において、ソ連映画を絶賛している。特に20年代のソ連映画に賛辞を贈るのを躊躇していない。ソ連映画が政治的思想的に統制下に入ったのは、映画の栄光の軌跡(と彼が主張する)30年代の後半であろうか。他でもなくスターリンの思想統制が強化された時期であるが、その直前のソ連映画は、他の追随を許さない充実振りであったようである。極めてソ連映画に対峙するのは、当然の如く興隆しつつあったハリウッドである。戦後、冷戦を通じて氷点下の戦いを繰り広げた両国であるが、戦前は映画において熱い競争を繰り広げたとのことだ。戦いというより、どちらかというと共闘と言う感じである。相手は誰かはわからないが、両国の映画界が相乗的に発展したのがこの時期で、そしてそれが映画の最盛期を築き上げたと言う印象である。だが、ハリウッドを興隆せしめたのは、欧州からの移民、とりわけソ連からの政治移民的な映画関係者であることが明らかゆえ、蓮實は尚更ソ連映画への絶賛を惜しまないのであろう。

特筆すべきは、映画が凋落する他国とは対照的に、ソ連ではその後も素晴らしい作品(公開禁止などで日の目を見ることは少なかったが)がコンスタントに製作されていたと言うのである。特に著名な作家としては、カネフスキー、ソクーロフ、ゲルマンであるが、ゲルマンは「フルスタリョフ、車を!」で最近日本公開もされている。またカネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」も、9月に大阪で公開予定である(何としてでも見に行きたい!)。

テレビに主導権を奪われた後の映画に対して、絶望感を抱きながら、そうは言っても僅かな光明を求めている蓮實は、ハリウッド以外の映画に対して目を向け始めている。ここからは私も学び、また共感できるところである。一つは興隆著しい台湾映画に対して、もう一つは、日本映画の久方ぶりの興隆に対してである。

極東で最も熱い国である台湾は、映画界でもかなりの光度を放っているようである。と言っても、私は台湾映画を見たことが無い。蓮實が絶賛する台湾の映画作家:楊徳昌(エドワード・ヤン)と候孝賢(ホウ・シャオシェン)は、この二人だけの存在だけで、台湾の映画水準がアジア最高であるかの如くの記述をしている。見たことが無いので納得は出来ないが、ここまで感激している蓮實の筆致を見れば、どう考えても「見てみたい」と思わざるを得ないであろう。アジア映画と言えば、香港映画が最も世界的に成功しているものと見られていたと思う。確かに私が育った80年代〜90年代の初頭は、香港映画の興隆は目立った。だが、どうやら台湾映画の興隆が叫ばれているのは、何となく私にも感じられたことである。だが、現在の東京において、これを経験するのはそれ程大変なことではない。何しろ蓮實曰く「どうやら東京は、ここ十年ほどの間に、パリにも匹敵する映画都市になってしまったらしい」からだ。

20世紀最後半、日本映画はまた興隆の兆しを見せている。台湾の前出2作家には束でかかっても及ばないようだが(蓮實談)、蓮實はハリウッドの作家に厳しい姿勢を崩さない一方で、日本映画作家に対しては極めて期待を込めているように見える。特に、北野作品に対する賛辞が目立つ。書かれたのが、北野がベネチアで金獅子賞を取るかなり以前で、最絶賛が「ソナチネ」になされている。その後の名作「キッズリターン」に対しては、

「北野武の『Kids Return』が「日本映画」であることは、日本人として誇るべき事態なのではなく、何よりもまず、20世紀の人類にとって幸運な偶然だと考えるべき時代が来ているのだ。」

という最大級の賛辞を惜しまない。

私にしても、現在一番好きな映画は日本映画である。そして私を日本映画に目を向けさせたのは、他でもなく現代日本映画であって、何も黒澤作品だけではない。日本映画興隆に対して、賛辞を惜しまないのは、他でもなく「日本映画が面白い」と常に実感している私には、非常に納得のいく考えであった。

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最後に共感できたことを一つ。蓮實は、映画が現代では、特権階級のみが享受できる娯楽になってしまっていることを指摘している。全国的に映画館は減少の一途を辿っているが、実は東京圏内では増加しているのである。特に「ミニシアター」といった形態の映画館が増えており、そこでは欧州において評価を受けた名作、アジアで興隆する台湾映画、国内の若手作家による映画が「実験的」に「単館」上映されたりするのである。さらに、固定的な映画館ではなく、各ホールなどが独自に映画企画をする場合もある(アテネフランセや美術館など)。現代の日本映画の底上げに、このミニシアターの存在は一役も二役もかっているのは否定できない。このような映画を見ることが出来るのは、東京や大阪近辺に在住する「特権的な都市生活者」だけである。冒頭において、後輩の森氏が嘆いていたことは、この「特権」が事実上取り上げられてしまったことに起因する。

映画は「絶滅危惧種」に数えられている、と考える人もいるかもしれない。だが、映画は明らかに新しい息吹を感じさせている。まだまだ映画は死なないと思わざるを得ない、そんな著作であった。

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