どんてん生活 山下敦弘監督  日


映画を見た後で映画館から出てくるとき、人は結構、その映画のストーリー上に自分を置きながら出てくることが多いだろう。特に、「映画は一人で見るもんだ」と思っている私にとって、このパターンは極めて多い。そして、ご多分に漏れず、今日もそうだった。今日の映画館から出てきた私は、ハッキリ言って、とても複雑な顔をしていたと思う。

マイナーな邦画であるこの「どんてん生活」であるが、どんてんは「曇天」を意味している。ストーリーは、この曇天を体現しているとしか思えない、すごく曇天な映画であった。

主人公は2人で、一人は凄いリーゼントの男、紀世彦、もう一人は見ているだけでイライラしてくるフリーター、努。パチンコ屋の開店を待っていた努の横に、リーゼントの紀世彦が来る。何気なしに紀世彦と話しているうちに、紀世彦の仕事を努は手伝う事になった。紀世彦の仕事は裏ビデオのダビング稼業。毎日紀世彦の部屋で、裏ビデオのダビングに精を出すだけである。当然、努は仕事中に余計な精も出してしまう訳であるが、まあ健康な男児ならではの行為である。で、二人の、お世辞にもエキサイティングとは言えない生活を、そのまま垂れ流すように流すのがこの映画である。邦画の小さい映画に多いパターンで、これがダメな人は寒気がするほど詰まらない映画であろう。

で、私の感想なのであるが、以下に「出演者サイン入りパンフレットプレゼント」に応募した際の分を転載してみる:

映画館から出てきたとき、自分が作中の人物の立場になって考えている映画は、10点満点で8点以上が自分の中(註:採点欄があって、10点満点で8点をつけた)でつきます。9点10点じゃなかったのは、何でかと問い詰められても、上手く答えられないんですけど…

私はフリーターでは無いんですが、知り合いにはフリーターの人とかいます。彼らは私よりも気ままな生活を送っており、ともすると何となく楽しているという印象を持ちそうです。しかし、彼らとしても毎日の生活が楽しいと言う訳では無く、まあ辛くも無いんですが、何と言うか、「生活自体が、まあ例えるなら慢性的に寝不足で体がだるい状態だが、特に辛くないという、曖昧な状態」という印象を受けました。この映画を観て、これをかなり強く感じました。

やはり、毎日を楽しく過ごしていくってのは、結構難しい事なんですね。

映画館を出たとき、複雑な表情をしていたのは、正に「毎日を笑顔で楽しく過ごして行くのって、結構難しい事なんだな」と痛感していたからだ。

作中の登場人物たちで、毎日を楽しく過ごしている人は皆無と言ってよいだろう。しかし、別に苦しい生活を送っている訳では無い。確かに気ままに暮らしてはいるのだ。ただ、面白おかしく過ごしているとはどうしても思えない。上記明朝体で書いた部分、常に睡眠不足でけだるい生活、を送っているように見えるのだ。学生時代、こう言う時代は確かに私にもあった。だが、けだるさの水準が桁違いである。それがタイトルの「どんてん」を体現していると、私は痛感したのである。

劇中では主人公以外に、裏ビデオを作成している田所という男と、女優として出演している愛子という女、それから紀世彦の元妻の佐知子という女が出てくる。主人公以外のこれらのキャスト陣は、紀世彦や努とは異なり、それぞれエキサイティングな生活を送っている。田所と愛子は、裏ビデオを語る時に力が入っているし、佐知子は彼女と紀世彦の息子を育て、そして再婚の決意を固めつつある。だから、どんてんな二人とは、明らかに違う。特に、努とはかなり違う。

紀世彦と努は、明らかに生活は楽しく無さそうだ。本人たちはそれなりに充実しているのかもしれないが、どうも、充実していないと言う事実を、体よく無視しているようにも思える。特に仕事に情熱を注いでいるようには見えないし、趣味に走っている訳でも無さそうだし、つまり、打ち込むものが無いように見えるし。フリーターでも、そのバイトに心血を注いでいる人はいるが、この二人はそうは思えない。特に、努は意味不明だ。

フリーターは、何だか生活自体が気楽で、プレッシャーの無い世界に過ごしていて良さそう、と言うのは間違いじゃないか?って、誰もそんなこと言ってないんだけど、なんつーの、全然良くないよ。いや、悪くも無いんだけどさ、明らかに良くも無い。曇天って、そんな天気じゃん。