バッファロー '66 ヴィンセント・ギャロ監督 米
近年のミニシアター物での金字塔、バッファロー'66。ようやく観た。ストーリーは、めんどくさいから他のsiteにゆずる。
意外だったのは、ギャロ扮するビリーの振舞いである。あれだけ人気を博したのだから、もっとかっこよさが出ているのかと思った。しかし、ビリーは猫背で神経質で虚栄心丸出しで気が短くて気が小さくて要領が悪くて声色が高い、完全な三枚目の役回りだった。一方意外ではなかったのは、リッチ扮するレイラの振舞いである。ギャロに対する凄まじい名声のために、リッチの素晴らしさはやや霞んだような印象があったが、想像どおり、レイラなしでは成り立たない映画だった。レイラは司馬遼太郎著「功名が辻」に出てくる千代のような役回りだった。ってどんな奴かと言うと、男を上手くコントロールしてあげるキャラクターという感じである。とにかく、レイラなくして、ビリーはいないという感じのキャスティングであった。
それからスクリーン。冬のバッファローの寒さが滲み出る、寂しいアメリカの中都市振りが全編に渡って映し出されている。一番アメリカらしい舞台設定だった。って、アメリカを地上で旅した人しか分からんだろうが、地上で旅した人ならば、ひび割れた舗装、一泊30ドルくらいのモーテル、ファミレスに、無性に「あー、懐かしいなあ」と思う筈。あの肌寒そうな雰囲気や、アメリカ東部の冬の灰色な空などは、郷愁に似たもの(俺はアメリカが故郷じゃないが)を感ずるはずだ。とにかく、近年見た中で、一番アメリカを感ずることの出来る映画だった。
以上、全体の感想はこれくらいにする。で、この映画を見て私が感じたのは、ギャロ、いやビリーのキャラクターである。上で書いたように、確かにレイラは素晴らしい。しかし、やはりこの映画の主人公はビリーである。
ビリーを見て、イライラする女性は多いかもしれない。猫背で神経質で虚栄心丸出しで気が短くて気が小さくて要領が悪くて声色が高いから。だが、これほど「男の真の姿」を演じている役回りは、珍しい。本来、男はこういうものだと、見ながらずっと思っていた。「男らしい」というのは、実はどの男にとっても、多かれ少なかれ自分に無理を強いた姿である。その、自分に無理に強いた姿を取ろうと努力するのが、男のつらい所というか、まあそんな感じだろう。強く見せる、頭脳が優れているように見せる、とにかく自分が凄いということを見せようとする。私にも私の友人達にしても強く見られる性質で、どれも女にはあまり見られない特性だ。特に「虚栄心」が、男を語る上でのキーワードだ。
ビリーを見て、かっこいいとは思わなかったが、これこそ男だと思わされた映画だった。この弱さこそ、正に男。これだけ男の弱さと情けなさを出したビリーは、近年稀に見るキャラクターだった。
そして何故か、ビリーには負けたと思わされた。