横浜市西区みなとみらいに勤め始めて、1年と3ヶ月ほどである。高校から大学院までの10年間、都心の学校に通いつづけた私だが、10 年ぶりに「横浜市在住在勤者」になった。そして今後も「横浜在住在勤者」生活は続けようと考えている。何故かと言うと、最近あることに気付いたからである。入社直後から無意識に感じてきたことでもあるのだが、ようやく意識的に気付いたのである。一体何に気付いたかというと、「横浜は田舎である」ということだ。横浜は人口350万を擁し、人口だけ見ると東京特別区に次ぐ「都会」であるはずだが、今働いていて、それが全然都会じゃ無いんスよ、と言いたくなるほど横浜が田舎に感じるのである。と言って、「横浜は東京首都圏の周縁都市の一つに過ぎない」だとか、「人口は多いけど大阪のような自立した都市でない」、という意味ではない。そもそもこのような主張は完全に誤っている。何故なら、横浜は都市でなく、構造的には農村に近いからである。
☆横浜の概要☆
横浜の中心は京浜東北線の横浜駅〜関内駅にかけてである。
横浜駅周辺は商業地区やオフィス街が広がる街で、横浜の経済の中心地である。駅周辺には高島屋から三越、岡田屋、ジョイナス、さらに開業当時は東洋最大だった横浜そごうと言ったデパートが集積している。その他、電気量販店を始めとする比較的大きな商業施設が集積するのも特徴だ。また、少し前に、駅前にシェラトンホテルが進出したのだが、このホテルの収益はかなりいいらしい。理由は会議や商用で相当頻繁に使われるからだ(先輩の嫁さんの親戚が役員らしく、それで聞いた)。横浜駅周辺がオフィス街であることを印象付ける事例である。また、商業地帯に集まるのか、横浜駅西口は若い奴が多く、ナンパの名所でもある。
桜木町はかつてから野毛と言う飲食店街が控えていたが、近年の開発によりみなとみらい21地区が商業・オフィス地区として勃興しつつある街だ。みなとみらい地区は横浜の新名所として、年間2500万人の人を集めるらしい。商業地区としての側面も然ることながら、オフィス街としての側面も特徴の一つだ。私の会社もみなとみらい地区だが、その他に日石三菱や横浜銀行本店、三菱重工の技術系総本山と言える横浜事業所もビルを構える。その他の企業も雑居ビルであるランドマークタワーやクイーンズタワーA/B/C棟に入っている。特に会社の本社が存在するのも特徴だろう。先述の浜銀もそうだが、私の会社も本社だし、その他にSOTECの本社もあったりする。
関内は伝統的に官庁街で、県庁や市役所は勿論、県警本部ほか、国の機関として横浜税関や地裁、それに横浜商品取引所(主に生糸取引)が存在する。伊勢佐木長者町や中華街と言った商業地区もあるが、やはり関内は横浜の頭脳部である。開国から少し経って開港された横浜港だが、関内は今も昔も横浜港と後背地の接点でありつづけている。
その他、横浜を中心にJR以下各私鉄が放射状に横浜市内を走り、沿線に中核地区を持つ。
☆横浜の雰囲気☆
私は昨年の春から、横浜の中心部の一角である桜木町に通い始めた。通い始めて比較的早い時期に、横浜が東京と完全に雰囲気が違うことに気付いた。今まで述べたように、横浜は役割を持った街が存在する。例えば東京の霞ヶ関、丸の内や銀座、それに新宿や渋谷などが持つような役割だ。しかし、双方はまるで雰囲気が異なる。そもそもスケールが違うと言う議論もあるが、そうでなく質が異なるのだ。はっきり言って、東京に比べて横浜の方がまるで落ち着いている。東京のように熱くないのだ。原因はいくつかあると思うが、最大の原因はそこに存在する人間の質である。
首都東京の人間は雑多である。元々東京に住んでいる人も多いが、他から流入してきた人も相当多い。また、周辺の県から週末などに押し寄せる人々も多い。つまり、東京は田舎もんが多いと言える。これを強く感じていたのは高校時代である。高校時代、水泳部に属していた私は、夏休みは代々木のオリンピックプールに毎日のように練習に行っていた。オリンピックプールは原宿にあるが、私は地下鉄半蔵門線を通学に使っていたので、渋谷からプールまで歩くとか、表参道駅から表参道を歩いてプールに行くという日々だった。この時、よく表参道の植え込みの柵に、他県から来たのであろう女の子のグループが、電線に止まる鳥のように座っていたのを覚えている。そして、そもそも私も神奈川県から都心に出てきている「田舎もん」であり、見回すと殆どが田舎もんという風景なのだ。これは恐らく、今でも殆ど変わらない情景だろう。休日の東京の商業地帯は、周辺県や、地方から出てきて東京で一人暮らしをしている若い人間が溢れていて、極めて活気がある。そわそわと高揚感が目に見えるようだ。とにかく、東京に来ているという気合と気負いが感じられる。
ところが横浜である。人の数がそもそも東京より少ないが、歩いている人の殆どが横浜市内や周辺の川崎とか横須賀とかから来た人であろう。つまり、地元民ばかりである。あまり地方から横浜に住み着く人というのも多くないだろうし、実際大学や専門学校などもあんまり無い。あっても例えば横浜国立大学などは、横浜市民が相当多く、地方出身者はそれほどいないであろう。慶応が日吉や湘南台にあるが、それ以外に大きくて全国規模に人を集める大学は無い。専門学校などはもっと無い。つまり、東京ほど若い人を引き付けるものが無いのである。それから他県の人もあまり来ない。埼玉や千葉の人は、横浜川崎の頭の上にある大都会東京で全て済ますからだ。素通りして横浜に来るような人は果たしているのだろうか。確かに新名所のみなとみらいは他県の人も来るだろう。しかし、一番多いのは横浜市民のリピーターである筈だ。上記のような理由より、横浜はそわそわしてたり高揚してたりは感じない。気合も気負いもまるで感じない。理由は明らかだ。みなとみらいだろうが関内だろうが、ここは地元だからだ。つまり、横浜は他の地方都市と同じく、「ジモチーの世界、ジモチーのモノ」なのである。
☆事例1: 会社の名簿☆
年賀状を書こうと思って、部で配られた住所録のエクセルシートを見て若干驚いた。何と、95%までが横浜市民である。あとの5%に都民がいるかと言うと、これがあまりいない。2人くらいだったと思う。横浜以外はだいたい横須賀であった。従って、年賀状は「横浜市」から書かず、全部の住所を「区」から書いたほどだ。この傾向は、協力会社として使っている市内の設計事務所はもっと顕著で、横浜市以外に住んでいる人は殆ど聞いたことが無い。たまに相模原とか鎌倉という人がいるが、殆ど横浜。元々地方出身で、横浜に住んでいるという人も勿論相当多いが、私の目から見るに、彼ら彼女らは完全に横浜に根を下ろした人たちである。
☆事例2: 地元民の生態☆
私の同期は地方出身者が半分くらいであるが、彼らも当初は都内に繰り出していた。今でも確かに都内まで出ているが、徐々にローカルになりつつある。東京に出るのが億劫になり始めているのだ。遊ぶのは横浜中心部で、ちょっとの遠出は湘南などで、キャンプは丹沢、など、殆ど神奈川県から出ないのである。地元民はもっと顕著で、「どうしてわざわざ東京まで出る意味があるのか」と言う始末である。私にしても都内に出るのは、都内でしかやっていない映画を見るために「仕方なく」都内に出るくらいである。現在は買い物などは殆ど横浜市内であるし、飲み会など都内でやったのは今年に入って3回くらいである。
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他にもこのような感想を抱いている人は多く、特に地方出身で都内の大学に入り、ウチの会社とか他の市内の会社に勤めている人は、この「東京と横浜の大きな違い」を感じている。横浜なんて所詮東京の延長線上だろ、と思っていた人は大体その違いに驚くようである(何しろ20年来横浜市民の私にしてもそうだった)。
横浜が田舎であると言う理由、それは人の動態が極めて狭く緩慢で(動態というより静態)、完全に横浜圏内で完結しているという、極めてruralなcommunityだからである。よって、横浜の構造は極めて田舎的であり、東京のように『オラ東京さ行くだ』的なactiveさを持つ田舎もんを集めず、『別に東京まで出なくていいじゃん』というinactiveさを持つ田舎もんが昔から住んでいる、本当の意味での田舎と言える。この定義に従うと、恐らく日本で「都会」と呼べるのは各地方の中核都市で、筆頭は東京・名古屋・京都・大阪ということになると思う。横浜よりむしろ仙台や金沢の方が、人口動態的には都会と言えるだろう。横浜は人口は多いが、全然都会では無い。
確かに、横浜は東京のベッドタウンの一角であり、東京の衛星都市というより、寄生都市という側面もかなり大きい。しかし、横浜は今まで述べた通り、横浜だけで完結するという「極めて田舎臭い」側面も持っており、従って東京とはまるで異質のアイデンティティーも持っている。
横浜は首都圏内に属するが、東京とはまるで異質の空間である。ちょっと足を伸ばして、それを感じてみるのは如何だろうか。住民税の高い市だが、私はこの田舎臭さに最早愛着を持ってしまい、横浜から出ようとは全く思わなくなってしまったほど、安らぐ街である。