山陽新幹線のトンネル内で、コンクリート塊が落下した事件は、少なからず市民に衝撃を与えた。冷静を装う人々もいたが、原因が明るみに出るに従い、そのような人は減っていったようだ。一時期、この話題が新聞紙上を毎日賑わすほどにもなった。問題の解決のためには、工事業者の徹底管理と、維持管理基準の改定などが重要である。しかし、これに関してはここで書く必要もあるまい。現在は関係書籍も多く出ている。
それよりも、もっと深刻な問題があると思う。それは、「果たして規制を強化しろとかの声が上がるのか?」という疑問である。それについて、以下で述べたいと思う。
さて、コンクリ落下事件が立て続けに起きたとき、私の印象はどうだったか。正直驚いた。ここまで被害が出るとは予想外だった。しかし、アジア危機が起こったときと同様に、起こるべくして起こったこととして、メディアに比べるとかなり冷静であった。それは私の研究室の同期も同じで、コンクリート構造物の維持管理システム構築の研究をしていたI庭(概要参照)と「ついに来ちゃったね」みたいなテンションで話したのを覚えている。つまり、このような状況を一番危惧していたのは、なんとコンクリ当事者達であったわけである。これは、様々な意味で問題である。
まず問題視されるであろうことは、コンクリ当事者がそんなことを言っていいのかということである。お前らはコンクリ技術の専門家として存在するのに、それが「起こるべくして起こる」とは何事か。そのようなことが起きないように努めるのが使命だろうが、などと言われそうである。確かにその通りである。我々は、インフラが安全に使用されるために、日夜働くのが使命である。この批判は真摯に受けなければならない。また、「そんなに事前に分かっていたなら、何故もっと早くから言わなかったのだ」などとも言われそうである。つまり、この問題の大切なところは、専門家のみが危険性を分かっていて、それ以外の人には全く知られていない危険性だったという、専門家と一般市民との認識の乖離が大き過ぎたという事実である。だが、ここには中々難しい核心があるように思われる。コンクリ問題に関わらず、どの問題にも存在する、難しい核心だ。それは、専門家と一般市民との認識の共有が、必ずしも簡単ではないというものである。
山陽新幹線の事故の後、全国各地の鉄道施設の老朽化が報告されたが、その際にテレビによく登場したのは、千葉工大の小林一輔教授である。この人は、コンクリート工学における重鎮で、元東大教授である。コンクリートの物性と言う、コンクリートそのものの材料特性(水セメント比が低いとどうだとか、セメントと水の化学反応がどうだとか)の権威で、コンクリやっている人間に知らない人はいない。この人を知らない人は、それだけで勉強不足というレベルである。小林教授は、今回の事件で一躍時の人(まではいかないか)となったが、今回の事件のかなり前から、コンクリートの老朽化について声をあげていた。
小林教授が最初にコンクリ構造物の危険性について声をあげたのは、80年代の中盤である。当時はまだ東大教授だった小林教授の直面した問題は、マンションの早期劣化であった。先日のNHK特集でも取り上げられていたが、公団住宅の雨漏りがひどいという事実から、この人の、ひいて言えば日本のコンクリ学界の方向性が決まってきた。当時の問題は「アルカリ骨材反応」というものである。詳しくは述べないが、内部である反応が起こることによってコンクリートが膨張し、それに伴ってひびが入ってしまう問題である。ひびが入る程度ならまだいいものの、そこから雨が漏ったりする。耐力も低下する。これに対し、小林教授は大衆メディアに初登場、物議を巻き起こした。
この問題は、国会の論戦のTopicにもなった。小林教授と共産党の議員(誰か忘れた)組と建設官僚と公団関係者組で論戦が組まれた。だが、この問題が後に市民の殆どから忘れ去られてしまったということは、この時建設官僚側にいた自民党の建設大臣(誰かは忘れた。でも有名な人)の一言がよく表わしていると思われる。共産党の議員は、この問題について小林教授の下でよく勉強をし、建設官僚や公団職員に対してかなりのレベルで渡り合っていた。両者の論戦は、共産党側(つまり小林教授側)が痛いところをどんどん突くという形で進んでいった。だが、論戦が深まるにつれて、ある問題が起こる。それは、建設大臣の次の一言である。
「私には専門的過ぎて、ほとんど理解が出来ません。」
議事報告では、特に重視されなかったような気がするが、これは大問題である。大臣が専門的知識を持っていないなんて、全く駄目であるか?正直言って、それは違う。確かに大臣の勉強不足は情けないかもしれないが、問題はここではない。論戦が理解できないほどに専門化し、コンクリに関わった人以外が分からなくなってしまうと言う、問題の霧散化とも言うべき事態が発生してしまったことが、一番の問題点であると私は思う。問題の核心に至りつつあるのだが、普通の人にとっては、難しすぎて、問題が晴れるどころか、逆に霧がかかるように分からなくなり、暫くたったら問題の核心が散り散りになってしまったというものである。
ある問題が発生して、それを議論していくうちに、議論の中心人物だけがどんどん高度化していくが、その周囲の人々がどんどん遠ざかるといのは、比較的頻繁に見られるケースである。これによって、結局その問題が解決できなかったということもよくある。そして、これが当時のコンクリ問題でも起こったと考えられる。証拠は、以下に挙げるもの。一つ目は、ほとんどの一般市民が、あの「雨漏り公団住宅」問題を覚えていない、二つ目は、雨漏りマンションは今でも存在している。これら二つの大きな事実が証拠である。
それ以降、コンクリ学界はコンクリート構造物の早期劣化についての研究が進んだ。研究者達は、これによって近年のコンクリート構造物の寿命低下の事実を深く知るに至る。学術的な進歩も多く見られ、何をどうすればよいかについて、少しずつでも近づいている。だが一方で、一般市民との問題意識の共有は薄まるばかりである。高度に専門化することによって、専門家だけの問題となってしまったわけである。その末路が、私とI庭との研究室の冷静な会話と、一般メディアの大騒ぎとの乖離である。
これでいいのだろうか。これからどんどんトンネルのコンクリートは落下し、マンションは老朽化が進み、橋は落ち、耐震性は低下し、産業基盤と生活基盤が一気に揺らぐ。これでいいのだろうか。この問題は、専門家のみが認識していればいい問題なのだろうか。
ほとんどの人々が、これに"No"という反応を示すだろう。何故なら、自分達に関わりのある問題だからである。自分の毎日通る橋が落ちるのに、専門家だけに共有されていていい筈は無い。
米国の例を出そう。現在、米国は建設構造物の維持管理がかなり進んでいる。これは何故かと言うと、問題がかなり深刻化したからである。全米で毎年100橋落ちるという事実があれば、施工管理(建設中に手抜きなしにやっているか)維持管理(構造物が傷んできたらしっかり補修しているか)に躍起になるのは当然である。市民の方も、しっかり施工管理をしている業者の建物を買うし、維持管理の報告も逐一チェックしている。米国は、ようやくいい方向に進んでいる印象である。
学者が出来ること。それは、市民レベルにモノを言うことである。小林教授が最近著した「コンクリートが危ない」という岩波新書は、かなり平易に書かれている個所がある反面、化学式を用いていたり、電気化学的な腐食構造を解説するなど、やや専門的に過ぎるきらいもある。問題の大切なところは、法整備や維持指針、さらには市民が何が出来るかを書くことである。一般読者が知りたいのは、劣化メカニズムよりも、どうなったら建物が傾ぐか、どんな建物を買えばよいかである。専門的なことを知りたければ、比較的初学者向けの書籍を紹介するで良いだろう。尚、さらに最近書かれた「マンション」という岩波新書の方が平易かもしれない(読んでないけど)。とにかく、まずは学者が市民との乖離を埋める努力を惜しんではならない。
市民に出来ること。これはまだそれほど具体的な方法はないかもしれない。今回の山陽新幹線コンクリ落下では、メディアが大騒ぎしたことで、維持管理にあまり積極的でなかったJR西日本の重い腰を上げさせた。メディアの良い力を見せ付けられた印象だったが、直接的に市民がメディアに訴える方法は、意外なほどに少ない。従って、声をあげるだけでは、何となく具体性に乏しく、それだけに効力に疑問が残る。出来ることは、実際に行動に出ることである。
まあ簡単なのは、不買運動か。これとて、どの程度効力があるかは疑わしいが、例えば山陽新幹線には乗らないとかである。山陽道で地震が起きたとき、乗ってなければ安全であるという、小さなメリットがある(消極的)。尚、神戸クラスの地震がまた来た時、山陽新幹線に乗っていれば即死だと思う。正直言って、山陽新幹線に乗るのは、私はオススメ出来ない。絶対止めるべきだ。危険極まりない。実際、兵庫県南部地震で崩壊しまくった新幹線橋梁をテレビで見ただろう。あれに時速300kmが突っ込むのである。JR東日本は、維持管理にはかなり前から積極的で、今回の事件が起きた際も冷静に対応できた企業だと思う。土木学会などでも、JR東の人は多く研究発表しているが、JR西は見たことが無い。同じJRでも認識の違いがかなりあるようだが、はっきり言って私はJR西日本は信頼できない会社である。利用しなくてよし。JR西に乗らないのは、実際にJR西に行動を起こしてもらうというのが「実現すればいいな」という目標だが、実際は自衛である。山陽新幹線は飛行機より数倍危ない。
それから、マンションを買う際も、しっかり施工記録を見せてくれる、もっと言えば建設現場を見せてくれる業者のものを買うなどの選別は出来る。これは最近、今まで述べてきた「維持管理」に対する認識が高まってきたことに目をつけた企業(ライオンズマンションの大京とかだったかな)が、差別化を図る目的で消費者に売り出している戦略である。つまり、買う前に工事を見てください、ってな感じで。とにかく将来家を買う段階で、工事をあまり見せてくれない業者のものは買ってはならない。見せたがならないということは、まず手抜きしているに違いない。おしゃれなキッチンに眼を奪われるのではなく、本当の質を見極めるべきである。
買われないものは、そのまま淘汰される。変われないものは、そのまま淘汰される。自然の摂理に任せると言う方法以外にも方策はあるのだろうが、とにかくこれくらいしか思い浮かばない。まずは、自衛をして、その後業界や政府の反応を待つ。で、何も起こらなかったときのことを考えて、次の方策を練る。う〜む、ちょっと思想が貧弱か。
---
安藤忠雄という建築家がいる。世界で最も有名な、日本の建築家である。彼の拠点は関西で、彼の設計した建築物も多く関西に存在する。当然、神戸にも多くある。しかし、先の地震時に安藤作品で倒壊したものはゼロである。何故か。それは、芸術美を備えながらも、しっかりした構造設計がなされたこと。特に、現場でのコンクリート打設に、彼は非常に気を遣う建築家である。これは彼の著作にも強調されていることだが、とにかくコンクリート打設をいい加減にやって、いいことは何一つ無いと言う。ひびが入ればみっともないし、それ以上に耐力が低下する。美観にしても中身にしても、何もいい事が無い。安藤忠雄は大学を出ておらず、独学で建築を修めた稀有な存在だが、コンクリ専攻の私にとっても、非常に実質的で示唆に富む言葉を発している。
この言葉は、そっくり現在の建設業に痛く響く言葉である。技術者は品質管理にもっと積極的になり、学者はもっと研究を進め、さらに市民との距離を縮める努力をし、そして市民は自衛を通して、業界に訴えていく必要がある。上手く機能すれば、上手い方向に進むと思う。