1月1日(月) a happy new ferrari
毎年元旦は、板橋の志村三丁目に住んでいる叔父叔母、それから従兄弟がやって来る。今年も例年どおり、この親戚親子がやって来るのである。給料取りになった私は、彼らにお年玉を用意していた。しかも母親から「おばあちゃんにも上げなさい」というinstructを受けていたため、計4万を用意して。気張りすぎた。
12時前に目が覚めて、机の上でダラダラしていたところ、車が到着したのが聞こえる。が、その排気音が尋常ではない。ウチの両親が外に出たが、歓声にも似た笑い声を上げている。なんだなんだ?
私は下の階に降り、親戚一同に挨拶をしたが、その際母親から、
「フェラーリ見た?」
と聞かれる。
フェラーリ?誰の?
と聞くと、何と叔父さんが昨年末にフェラーリを買ったと言うのだ。
男の私でも、思わず黄色い声が出る雰囲気であるが、実は目を丸くしただけだった。急いで外に出ると、築35年はあろうかという木造の崩れかかった我が家の前に、メタリックブルーの御フェラーリが鎮座していらっしゃる。
この叔父さんは開業医をやっている。親類の中では最も金持ちであるが、学生時代から勉強ばかりやってきたガリ勉君で、趣味と言う趣味が皆無である。酒も嗜なまない。しかし、唯一の道楽が車で、スカイラインのGTRがデビューした瞬間に購入するなどの実績があった。私もかつて、トゥナイトかなんかでGTRを紹介していたのを見たことあるが、車に殆ど興味の無い私でも、加速がポルシェ並みというスカイラインは目に映えた。その年の正月にやって来たとき、既に皮のグローブをはめて叔父さんが、当時国産車最速と言われたGTRを運転してきた時は、目を見張ったものである。このGTRは、今でも使われているし、今日も御フェラーリと一緒にやってきた(何しろ御フェラーリの定員は2名)。
趣味も無いし無駄遣いも殆どしないことから、金が貯まって今回買ったらしい。って、1600万円もポンと払うかね。う〜ん、これが究極の道楽か?それにしても息子は二人とも私立の医学部だというのに(しかもまだ在学中)、どうやってこんなに金が貯まるのか。やはり金はあるところにはあるもんだな。
外に出ると既に弟が観察をしているが、後部座席が無くて、凄まじいエンジンが積まれている。排気量3400CCで400馬力だと、叔父さんはエッヘンと言わんばかりである。そりゃおれだったらウッシッシくらい言いながら自慢するだろう。乗せてくれと言う前に、叔父さんは乗れと言う。車幅は2mということで、4tトラックと同レベルの幅広い車内に乗り込み、シートベルトを締める。叔父さんがキーを回す。しかし、一気には回さない。かつて漫画「ディーノ」で読んだことがあるが、フェラーリは最初にエンジンにオイルを送ってからキーを回さなければならない、とか思った。最新式はそうでもないらしいが、それでもエンジンがかかるまで、少し間があった。
エンジンがかかり、案外静かにスタート。家の前の坂を下って、信号を右折し、ちょっとの直線を走る。途端に、スゲエ加速度が!!!スゲエGがぁ〜。メーターを見ると、なんと表記してあるのが340km/hって新幹線かい君は。「まあ300km/hくらいまでしか出ないらしいけどね」などと言っているが、羽がついていたら完全に離陸してしまうだろう。そんなことないか。
直線の突き当たりは、国道246号線。左折して、さらに加速。音と加速がエクスタシ〜。「これじゃあ第二東名(法廷最高速度が140km/hに設計されている東名の補完道路:現在建設中)の完成が待ち遠しいですねー」などと、土木ネタを振る私だが、加速している時に喋ると、喋りにならない。どうも胸に荷重がかかっているようで、「これじゃあだい二東名の完成が(この後声が出ない)」とかなってしまう(誇張じゃありません)。
次は弟が乗ってきたが、弟も帰ってきたら何かヨロヨロしていた。
かつてたまプラーザに住んでいた時、タマプラではただ一人、赤いフェラーリを乗る男がいた。作家の村上龍だったが、はっきり言って村上龍よりフェラーリの方が知る人ぞ知るだった。大体庶民の間におけるステータスシンボルと言えば「おベンツ」であるが、まさか親戚がフェラーリを買うとは思わなかった。
親戚がくると長津田(東急田園都市線とJR横浜線の交差駅)にある墓に参る。長津田までは何とバーちゃんがフェラーリに乗るが、助手席に乗ったばーちゃんは、まるで有人飛行前の実験的な措置としてソ連のロケットに乗せられたライカ犬のような不安な表情だった。私は従兄弟とGTRで墓に向かう。
墓に向かうまでは、従兄弟と会話をしているが、弟は下の従兄弟と後部座席で会話をしている。弟が「譲ちゃん(下の従兄弟の名前)、三田とかって行くの?」と聞くと、「たまに行くよ」と言っている。「あそこにさあ、美味いラーメン屋があるよね」などというネタ振りをしている。
ウチの弟の「ラーメン」というネタ振りに、下の従兄弟は極めて普通に会話を楽しんでいる。従兄弟の家は完全に上流なので、我々のような人間と話すのを非常に楽しみにしている。血は繋がっているが、完全に違う種類の人種なので、彼らにとって私たち兄弟の話は面白いらしい。上の従兄弟も、かつて私に何度も東南アジアでの貧乏旅行の話を聞いてきて、親に行きたいとせがんで叔父叔母を困らせたようだ。そう言えば、かつて私が将ちゃん(上の従兄弟の名前)に誇張も交えて東南アジアの話をしたとき、将ちゃんは興味津々目を輝かせて話を聞いていたのだが、叔父叔母は顔が引きつっていたのをよく覚えている。
長津田についた。前からばーちゃんがフェラーリから降りてきたが、降りた途端にヨロヨロしている。もう80に近いばーちゃんには、400馬力は無理である。
で、墓参り。この墓にはじいちゃんが眠っているだけである。1983年の3月に、このじいちゃんは胃癌で死んだ。享年は72だったが、生きていればもう90である。病弱なじいちゃんであったが、72も生きたとは遠藤周作並みである。このじいちゃん、恐らく私が影響を受けた初めての存在だったと思う。
祖父は東急で電気技師として働いていた。東急の社員だったから、現在ウチは分譲を開始した多摩田園都市地区の家を買ったのである。と言う訳で、現在でも残る我が家は、掛け値無しのボロボロである。祖父は私の父親とは犬猿の仲で、まともな会話は一切無かったが、その分孫のことは可愛がった。よく野毛の動物園などに連れて行ってもらったが、電気技師だった祖父は、私の素朴な疑問に確か殆ど答えていたと思う。現在でも覚えているのは、「炎は外縁が一番熱い」と言うのを祖父の実家に行ったときに教わったくらいであるが、今家族で唯一理系なのが私というのは、幼少期に祖父から受けた影響が少なからずあると思う。何しろ、私は今まで文系に行こうと思ったことは、本当に一瞬たりとも無かったのだから。
墓前にて祖父に報告。「いやー、今年はダメダメだったよ」。来年はもう少しマシになって、墓前報告をする予定である。
檀家になっている大林寺に移動し、お参り。「とにかく体壊さないように」と三回くらい念ずるも、こんなのは自己管理の問題だよな、と自戒に変わる。おみくじ。最近、ここでのおみくじは調子が悪い。しかし、今日は「吉」!いろいろ書いてあったが、旅は良し、仕事では「勇んで自分で考えるのではなく、上の人の意見を聞け」と書いてある。あとは待ち人。「来るが遅し」。よしっ、来ることは来るんだな。anyway来る。
正月、何故かこの親戚とはレッドロブスターで飯を食う。向こうの奢り。皆さんはレッドロブスターに行ったことがあるでしょうか。私はただのファミレスだと思っていたのですが、スゲエ高いんですよ。だから年に一回、この日にしか来ない。向こうの奢り。
セットを頼んでいる時、従兄弟がガーリックトーストを頼んでいた。そこに間髪入れずに弟が「ガーリックライスってのは無いんですか」と聞く。「あいにくございません」と答えられるが、ここはキッチンカナリヤじゃない。
今年は正月からフェラーリに乗ることが出来ました。私の嫁に来てくれる方は、漏れなく叔父のフェラーリに乗ることが出来ます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
1月15日(月) 日記
また長い1週間が始まった。長い一週間は、劇寒の朝からスタートである。
朝、すさまじいネグセをつけている私は、必ず風呂場でお湯をかけなければならない。で、風呂に行くと、何と窓が開いているではないか。まあ風呂から上がると、湿気抜きで窓を開けるが、ウチは開けっぱなしなのである。寒いよクソ、と思って窓を引く。
ビクともしねえ。
あれ、おかしいな。んっ。んっ.......んなぁ〜〜〜〜〜!って全然開かねえ(力を入れている描写でした)!レールから外れているのかと、上に引き上げる。んっ。ってしつこい。やはり動かない。凍っているのだ。熱水をかけて窓を引くと、じゃりじゃりじゃりっという氷とサッシの擦れる音ともに、窓が右側へ動いていく。やはり凍っていたのだ。
ネグセを寝かせ、今度は階上へ。歯を磨く。蛇口をひねる。
出ない。
おいおい、お前もか。んっ。んっ、.....んなぁ〜〜〜〜〜!ってそんなことやっても全然出ねぇ(力を入れても出るわけありません)!仕方ないから、階下で歯を磨く。冷たい水で洗顔。目が覚めると言うか、何か凍りそう。
いつもより長めにストーブの前に座り、って小学生の登校前じゃあるまいし、懸命に身支度を整え、外に出る。すると、
ここはソ連か(注;前にもこの描写やったことある@長谷川のHP掲示板)
1月30日(火) 先物取引
:futures trading 三ヵ月後とか六ヵ月後というように将来の約束の日時に、商品の受け渡しと代金の決済をすることを現在時点で契約する取引。商品の受け渡しをしないのであれば、転売または買戻しをして、売買差額を清算することが出来る。商品の大量生産、大量販売が進むにつれ、価格変動に伴って受ける恐れある損失を防ぐこと目的としたもので、商品取引所はこの取引を専門に行う市場。定期取引とも言う。
何か本日、先物取引の勧誘をしに、謎の会社の人が私の所にやってきた。石油の先物取引である。「先物取引って知っていますか?」と問われ、「よく分かりません」と言うと、「あ、大学で経済などはやりませんでしたか」と、丁重に言われた。俺はコンクリしかやっておらん。経済は自習でやっている。が、当然そこまでは言わなかった。市場での専門技術はさすがに素人にわかりやすく説明できるほどだったが、石油関連のことは日経に書いてあること以上の説明は受けなかった。この程度なら、松本清張の「白と黒の革命」を読んだ後の私のほうが詳しいぞ。うーむ、説得するには明らかに材料不足。日経だけに頼るとは、ちょっとお粗末である。さらに、1ガロン何リットルくらいか分かりますか?などと、石油業界に身を置く理系な私に無礼千万な質問。小学生に1リットルは何デシリットルですかと聞くようなもんだぞ。「1ガロン3.8リットルくらいですか?」と返すと、「よくご存知ですねー!」と、不機嫌になるくらいのオーバーリアクション。こっちがどうリアクション取ればいいか分からんだろうが。
それから、今後の原油価格の見通し。これもマテは全て日経。浅過ぎ偏り過ぎだぞ!あとは石油価格の経時変化を示した数年間のグラフと数ヶ月のグラフと、それから一日の変動を表したグラフ。このグラフから見るに、今後は下がるに決まっている!と、No根拠。根拠は何ですかと言うと、また日経の切り抜き。いい加減にしろ!
とか色々書いたが、結局追い返しの殺し文句が「何を言われても最低で160万も運用する金など持っていない」の一言。かなり簡単に立ち去りました。どうやら私を日本企業の1年生とは思わなかったようです。「空売り」というのが何なのかを分かっただけでも、まあ収穫はあったのでしょうかね。でも、ああいうのやっていると、確かに面白いだろうな。年収が1億を超えたらやってみようかな。
超えません。
2月5日(月) long way home
昨年の2月10日、朝は実業の入試応援に出かけ(2月1日分の日記参照)、そのまま研究室に戻って卒・修論発表の最終準備をして、研究室の修論発表を行った。二日前の2月8日には修論発表をやり、10分の枠に20分のプレゼンで先生に「二人分発表してるよ」とどやされた反省を込め、この日は時間内に終わるように努力する(ちなみに8日の修論発表ではウチの研究室だけで40分の予定が、午前中全部をつぶすということになった。気合入ってんだか準備不足なんだか)。
って、メインは修論発表ではない。その後が今日のメインである。その後、打ち上げってことでまず魚民で先生を囲んで飲み、さらにその後は学生だけでカラオケに行った。修論生がフィーバーであったが、私は実業の入試応援が早かったこともあり、やや疲れてきた。で、散会。さらば友よ、となる筈だった。
「お前は当然帰れねえだろ」
と、関博と舘ひろしを崇拝する、若過ぎない若杉が私を止める。いや、まだ11時半だから帰れるって。と主張するも、健一と太田に引っ張られ、私は研究室に向かう羽目になった。帰りてえよう。
深夜の研究室についたものの、発表が終わっちまって何もやる気が起きない。何にもすることねえじゃねえか、と思ってたら、横で踊っている奴がいる。いや、正確には踊りの練習をしている奴がいる。後輩の太田である。何をしているのかと覗き込むと、パソコンの画面にて蠢いている、SPEEDの"long way home"のPVを見ながら、その踊りをマスターしようとしているのだ。何やってんのか、と聞くと「健一さんの真似をしているんです」と言う。そういえば、さっき健一はカラオケ屋でこれを踊っていた。その直後はどうなったのか覚えていないが、記憶は研究室のテーブルを全て左に寄せて、パソコン画面の前で4人(健一・決して若過ぎない若杉・太田・私)が、健一をinstractorとして踊りの稽古を始めたのだ。
「だから、前・後ろ・前前前・後ろ・前・後ろ」
と、みんなが必ずつまづく、朱記した3連続の最後の前を強調しながらレッスンは続く。その内、だんだん研究室では飽き足らなくなり、もっと広い空間で出来ないかと思い始めた。と、そのとき、土木会議室の鍵と、発表用に借りていたプロジェクターおよびスクリーンの存在に気付いた。数秒後、我々は解析用のパソコンを搬出し、土木会議室に侵入、プロジェクターとスクリーンをセットし、机といすを全て除ける。そして、重低音を響かせながら、深夜のlong way home大舞踏会が開催されたのである。さっきの4人で。スクリーンにはSPEEDの4人が大映し。その前で汚い4人の男が汗だく(しかもかなり)で踊りまくる。一応確認するが、ここは大学で普段教員が会議に使う会議室である。って、先生が飲み会を会議室でやっているのを何度も見たが、とにかく、こんなもののために使うスペースでは絶対無い。しかも午前3時なのである。
このおかげで、入社後の私の新入社員パフォーマンスは、全てspeedだった。
ということを、今日出勤途中でふと思い出した。いや、思い出したのではない。新聞でこんな記事を読んで、思い出したのである。
「学生がほうきの使い方を教わりながら、キャンパスに散らばる吸い殻や空き缶を掃除する――。昨年4月の早大理工学部の入学式。問題を起こした学生が奉仕活動をする風景がビデオで映し出された。
席上、梅津光生教授は「学生は大学のスポンサーだが、王様扱いはしない。常識のない学生には厳しい態度で臨む」と強調。参列した父母から拍手がわき起こった。」
-本日付日本経済新聞1面特集
記事は続く
「対象はカンニングやインターネットで他人を中傷した学生。問題の重さによって3日から7日の間、朝5時に登校して3時間かけて学内を掃除する。1998年末の制度導入以来、15人が対象になり、「社会性のなさを痛感した」といった反省文を出した。」
こんな罰則があるとは知らなかった。
「ビデオは個人の顔がわからないように撮ってある。学内テレビでも放映して周知したら、今年度は違反者ゼロ。『き然とした態度で指摘すれば学生も常識がないことに気付く』と梅津教授は話す。」
大学の取り締まりのあり方以前に、常識が無いことに気付くだろう>俺たち4人
間違いなく社会性が無いもん>俺たち4人
禁止じゃなければ何をやってもいい。これが常識の無さだな。
2月20日(火) 君にこんな経験は無いか?
今日の仕事も疲れた。迂達の上がらない私は本日も部で2番目に遅かった。最も遅いのは私の教育者である迂達の上がらないOさんである。Oさんを置いて、私は帰路に就いた。
あー、今日も疲れたな、とスーツのボタンを開けてだらしなく市営地下鉄に乗っていた。ふと体を伸ばしたとき、左胸に違和感を感じる。で、左胸を見て「あっ」と思う。一体どうしたのか。血でも噴き出しているのか?ってそんなことはなく、何とYシャツの胸ポケットに、カラフルなペン6本ほどがささったままである。うわぁ〜、恥ずかしい。
まあ私のような仕事をしている人間はですね、図面を見ながらその内容をチェックすると言う日常があるわけです。で、図面なんて書(描)いてあることがたくさんあるから、どれをチェックしたのか分からなくなるんですよ、もう歳だし。だから、常にYシャツの胸ポケットにペンをさしているのです。これがかっこいい万年筆ならまだしも、万年筆なんてチェックに合わないのです。合うのはやはりこれ、蛍光ペン・水性フェルトペン(赤と黒)・そして何かを書き込むシャープペンです。
もう本日の胸ポケットには、蛍光ペン赤・黄・青って、俺の「OKの場合は青ペンで塗りつぶし、ちょっと上司さんに確認しなきゃいいけないところは黄ペンで塗りつぶし、これは完全に誤っているところは赤で塗りつぶし」という信号機作戦がバレバレのラインナップ。しかも情けないことに、赤というのは誤りで正確にはピンク色、青は水色なのである。これらをグレーのYシャツの胸ポケットに並べて、気取って立っている私の姿を想像して欲しい。さらにその上、「お前は先生か」と言わんばかりの、テスト採点ご用達の赤ペンまで。かつて塾の後輩だった森先生(商学部)が、バイトが終わってゼミの飲み会に行ったとき、内ポケットにこの赤ペンが入っていて「本当に先生やってるよー」と大爆笑で馬鹿にされたという、あの胸ポケットの赤ペン。しかもこれに黒ペンとシャープペンが入っているのだから、もう胸ポケット大賑わい。
疲れてるな。戦士には休息が必要である。というわけで、明日は休む。
って、そういう訳には行かねえんだよなぁ
2月24日(土) バガボンド
コミックの文庫版というのを買うってのはあったが、普通の新刊マンガ本を買うという行為は恐らく浪人生時代以来の経験である。買ったのは表題にもあるバガボンド。
昨日、神奈川県のコンビニで最高額の売上高を誇る「スリーエフ・ランドマークプラザ店」で立ち読みをしていた。最近の私は午後7時くらいになると腹が減ってきて何かを買いに出かけるのだが、そのついでにコンビニで雑誌(週プロなど)を立ち読みする癖が付いてきてしまっているのだ。で、昨日手にとったのがバガボンドの1巻。気がついたら半分くらい読んでしまっていて、慌てて会社に戻って業務再開したという、何とも情けない状況であった。しかし、どうも気に入ってしまったらしく、本日発作的にセンター南で途中下車してしまい、1巻と2巻を駅傍の有隣堂で買ってしまったのである。
センター南からあざみ野駅までは3駅であるが、その3駅で1巻を読み終わりそうになってしまった。これはマズイと感じ、さらに江田駅の本屋で3巻と4巻を購入。現在9巻まで出ているようだが、このままではあの寺沢武一の「コブラ」以来の全巻購入になりそうである。尚、コブラ全巻揃え達成は高校2年次である。
そもそも私は、字ばかりの本は好きではなく、高校卒業まではマンガばかり読んでいた。一番の苦手科目が国語で、これは小学生のときから一貫してそうであった。いや、苦手というのは正確ではない。もっとしっかり表現すれば、まるで国語に対して興味が無かった。だから勉強も全然しないし、それでいて国語のセンスらしきものも無かったと思うから、勿論成績も悪かった。国語の点はクラスで下から4番というのが最低成績である。最低偏差値は38だったかな。
転機が訪れたのは浪人してから。国立理系志望(でも結局私立理系進学)だった私は、苦手だからといって国語を避けるとは言っていられなかった。だから予備校までの通学時に、理系のくせに「土屋の古文単語222」とかを読んでいたのを覚えている。全然身につかなかったけど。だって英単語も古文単語も、文を読んで知らん単語の意味調べていくうちに勝手に身につくものであって、こんなもんで身につけるなんてしないだろ。え、そうでもない?
話が逸れた。で、その転機というのが河合塾の「第一回全統マーク模試」の第二問。小説という、私が極めて苦手なジャンルだったが、そこで題材に上げられていたのが宮本輝の「星ぼしの悲しみ」という小説だった。最初問題文を見た途端「うわぁ〜、長ぇえ」と辟易した私だが、読んでいるうちに引き込まれてしまった。で、最後の教科である物理をさっさと上げて、帰りに代々木(千駄ヶ谷校で受けていた)の本屋で宮本輝の本を購入し、ようやく生涯で本を読むということに触れたのである。まあ「星ぼしの悲しみ」の主人公たちが浪人生であり、従ってその浪人生に感情移入してしまったという単純な理由によるものかもしれないが、「本気で国語を勉強せねばならん」という気概を持ってあの模試を受けていなければ、大学に入った後もマンガしか読まない学生になってたかもしれない。まあそれでも別に問題は無いような気がするが、明らかに損はしていただろう。尚、国語の偏差値は最終的に闘える程度になった。って、勿論数学とかよりはダメだけどさ、明らかに化学よりは良くなったね(ってそれの方がダメじゃん)。
大学に入ってからは何だかんだで無限にある時間を利用して、結構本は読んだ。「趣味:読書」というのをもうかれこれ十数年続けている人ほどじゃないと思うけどさ。で、本を読んで考え方に非常に影響を受けたということもある。
社会人になってからはしかし、本を読む量がかなり減った。理由は時間が無くなったからと言うのと、読書に充てていた通勤電車の中では疲れきって活字を追えないという状況に陥っているからだとも思う。よく社会人になった人が「もはや軽めのエッセイしか読めない」と言っているのを学生時代に聞いたことがあったが、それは確かに納得である。何しろ疲れていて、重いのを読むのは結構疲れる。今も通勤中に本を読んでいるが、学生時代と比べ物にならないくらい読むのは遅いし、理解も浅い。本HPのかんそうヴんコーナーがまるで更新されないのは、読む本が減少しているのとともに、感想文を書けるほどの理解がなされていないというのもある。
だが、だからといってエッセイを読むのは私は嫌だ。少ない記述で偉そうな物言いがカチンと来ることが多いからだ。好きなエッセイストってのもあまりいないし、とにかく文章が語り口調になっているのが好きでない。って今書いてるのが完全に語り口調だろって。しかも少ない記述で偉そうな物言い。
軽めのエッセイにするくらいなら、もっと軽くしろ。その答えが「マンガ回帰」だったのである。
....う〜ん、そうなのかなあ。
2月25日(日) バガボンドU
結局9巻まで買っちゃったよ〜。しかも通読二回。
この次のパターンは我が友・高橋健一と同じか。つまり、吉川英治。それか、モーニング購読。モーニングか。
俺今の家に引っ越してからさ、全然テレビ見なくなっちゃったんだよね。で、バイト先とかで「モーニング娘。」の話題が飯食ってるときに出たりするんだけど、朝の番組で出てる人たちかな、なんて思って話に加わってたんだよ。「モーニング娘。」の存在を完全に把握したのは、何と「LOVE マシーン」が一斉を風靡してからだったのです。げ、アイドルグループなのか、朝の番組で出てる人たちじゃないんだ、なんてね。
そんな感じなのに今、「モーニング購読か」とか自分で書いといて、モー娘。を即座にイメージしてしまったのでした。月日の流れは速い。一応、週間モーニングという、サラリーマンがよく読むマンガ雑誌です。
3月19日(月) 大豆煎らんかね
みんながみんなこうじゃないと思うが...
先週の木曜日、1月30日に私のところにやって来た先物取引営業氏から電話が来た。元手がまるで無いと言って、結局引き下がった営業氏だが、また来た。一体何を考えているんだ。で、スゲエ早口で「今ですね、大豆の取引が非常に面白い局面に入っておりまして」と説明を開始し、次のような台詞で、私とのアポを取り付けた。
「明日の5時くらいにうかがわせていただこうと思うのですが、よろしいでしょうか、あ、午前の方がよろしいですか」
時間まで決めてアポを取るのである。興味があるかとか、如何でしょうかというクッション無しに、いきなり時間指定。これは営業のテクニックなのでしょうか。咄嗟にウソをつけない人は確実につかまるだろう。私も捕まっているし。確か前回も同じ手口だった。
で、金曜日。とにかく不調が続く週で、夕方は図面の最終段階に達していた。で、ようやくプリントアウト。だが、A1版のプリントアウトは時間がかかる。22枚の図面を出すのだが、上司にサインを貰わないといけないのでちょっと急ぐ。とそのとき、部付の女性から「JAPROの高橋さんと言う方が1階に見えているそうです」と言う。だ〜、すっかり忘れてたぁ〜。あいつかぁ〜。で、打ち出し途中の5時に、1階へ降りて行った。
下に行ったら、何かいない。「おい、いねえじゃねえか、こっちは急いでんだ」、と思ったが、トイレからハンケチで手を拭きながら高橋登場。途端に調子のいいクソ笑顔でにじり寄ってくる。「あ、お忙しい中済みません」と、髪を真中でパックリ分けた頭を上下に振り乱しながら早口でまくし立てる。で、私が「すみませんがちょっと急用が入ってしまいまして」と言ったところで、高橋の目は1.5倍くらいに巨大化し「ン申し訳ありませんすぐ終わりますからすぐ帰りますから」とまたまくし立て、断り無しにテーブルに座る。そして、高橋カバンからロイターの資料のコピーを取り出して、小声になったり早口になったりの超高橋デリバリーで熱心に私にソイビーンズの市況を説明する。どうやら高橋史上稀に見る低い値らしく、「今後絶対上がります上がらないわけ無いんですおかしいんですこの低値はいままで大豆が取れすぎて農家が生産調整するのは日を見るより明らかですし輸出国だった中国が昨年から輸入国に変わったので状況的に絶対に上がります私に任せてください」と句読点無しの超高橋スピードでまくしたてるのである。あまりの高橋の暑苦しさに辟易する私。「まあとにかく、資料だけは頂いておきます」と言って、何とか帰そうとしたのだが、高橋まだ足りないらしく、私も1枚(先物の購買単位らしい)買っているンです、と説得にかかる。だが、いつまでも高橋に付き合ってられない。ようやく15分で帰すことが出来た。
急いで戻ったが、18枚目くらいを印刷していて後ろを見ると、花島さんが珍しい早い帰宅。ガックリ。
で今朝、高橋からまた電話があった。後ろは何やらやかましい。どうやら取引のなんかの場所にいるらしい。「あ、昨日は会議間に合ったでしょうか」と言う。間に合って無えっての。しかも勝手に会議って決めんなよ。で、「実は本日ブラジルの何とかで乾燥による何とかでどうしたでとにかく買うにはまたとない機会だと思うンですよですから元手2倍で止めるなどで結構ですから一度実績を作らせてください」と高橋に言われる。数秒の沈黙が訪れたが、その沈黙から連続性を持った口調で「結構です」と返す私。それまで受身だった私からの「結構です」は意外だったのか、高橋は狐につままれたような表情(のような気がする)で「な、何か分からない点などがあるでしょうか」と、初めてどもる弱気高橋口調になる。「分からないことはありませんが、私にはやはり興味がありません」と答えた。その後、高橋はまるで、そんなのはいつもの高橋じゃない、ような弱い口調で、電話を切った。
最初からこうすれば良かったじゃんと言われそうだが、高橋の口調には抗い難い何かが秘められていた。もし本日、金曜の図面打ち出し遅れによる怒りが無ければ、高橋ワールドにハマってしまった....ことは無いな。そもそも元手が無いんだから。
てゆうか、何故高橋は、元手も無い私に執拗に迫ったのだろうか。営業とは、このように開拓不可能な岩だらけの荒地でも開拓していかなければならないのか。フロンティア精神に溢れているのはいいが、やはり見当違いな顧客開拓は迷惑だな。小学生のとき、タマプラにあった駄菓子屋で100円しか持っていない私が120円の虫取り網を買えなかったように、今の私に先物なんてやる能力が無いことを、そんなことも分からないのか、高橋、お前って奴は。自分の成績上げることは確かに重要だと思うが、この歳でマネーゲームに有り金全部プラス借り金を総動員することに抵抗あるということくらい、どうして分かってくれないのか高橋。
まあ、図面はそもそももっと早くに済ませておくべきだったと言われればそれまでですが、顧客との重要な会議に遅刻か否かギリギリの電車で突然起こった車両故障のような、そんな高橋でした。理由にしたくても「もっと早く出ていれば」と言われればそれまでな、そんな高橋。殆ど天災に近い高橋。営業の天災高橋!
もう来んなよ。
4月8日(日) ブームにより
高校時代から大学院卒業まで、結構よく行ったのが渋谷の旭屋書店だった。地下の半蔵門線の乗り場近くにあるので、何となく立ち寄るには便利だったからである。今日は久しぶりに、何となく立ち寄った。そこの旅行ガイドブックコーナーの前に立って、何となく思ったのは、ああ選択肢が増えたなあ、ということだった。地球の歩き方を見ると、ラオスがコーナーに加えられている。ラオスのガイドブックは私が行っていたときは日本に存在せず、仕方なくlonely planetを持っていったのである。それ以外にも、ソウルのみの地球の歩き方なども発刊されている。地球の歩き方ばかりでなく、他には高級ホテルやレストランの情報を載っけたガイドブックなどもかなり豊富である。NATIONAL GEOGRAPHICの日本語版ガイドブックも出版されていたりして、各方面に対する情報が増え、それに伴い選択肢も増えたと思う。
日本人は熱しやすく冷めやすいとよく言われる。ブームが来るとその製品の消費量が簡単に世界最大になったりする。タピオカが流行ったとき、フィリピンのタピオカ採りはかなり潤ったと言う話である。だが、ブームが引くと急速にしぼみ、タピオカ採りは一気に破産に追いやられることも報告された。だが、日本人は完全に冷めてしまっているのかと言えば、私はそうでもないと思う。
例えばイタリア料理。イタメシなどと呼ばれ、バブル時に大ブームとなってイタリア料理屋は空前の開業ブームを迎えていたのを覚えているだろう。まあ私は高校生だったので、ブームに乗ったのはコンビニですら売り始めた「ティラミス」を食すことくらいでしたがね。
ブームが去って、イタメシ屋は結構な数が潰れたと思うが、では日本人の中で本当にイタリア料理屋が考えから外れてしまったかと言うと、そうではないと思う。昔ほど行かなくなったとは思うが、それでも重要な選択肢として残っているだろう。ブームを通じて、イタリア料理が美味いということを知った日本人は、その後もイタリア料理を「外でのお食事」の重要な選択肢としている筈である。それにブームが去ったとはいえ、昔よりはたくさんのイタリア料理屋が町にはあると思うし、コンビニにだってまだティラミスあるよな。確認したこと無いけど。
Jリーグだってそうだろう。確かに熱は冷めた。でも、それまではサッカーを見もしなかった人で、今でもJリーグを見て手に汗握っていると言う人は多いはずだ。ブームが来たお陰で、その良さというか面白さを知った人は、それがブーム後も楽しみの選択肢として残っていると思う。
ブランド品にしてもそうだろう。ブームに乗じて買ってみたが、買ってみて数年経って良さが分かったりする、なんてケースあるだろう。ブランド品って、デザインが洗練されてて素材が良いだけでなく、スゲエ堅牢なんだな、と良さが分かったりするのである。買い物の選択肢として、ブランド品は日本人の中に結構重要な位置を確保したと思う。
で、元に戻って旅行の話。バブル時の海外旅行ブーム後、「もう海外旅行なんてしない」と言う人もいると思うが、その後立て続けに旅行している人は増えた。特に、私が今日見たガイドブック群の中で、驚いたのがラオスのガイドブックが発売されていることと、もう一つはテーマによるガイドブックが出ていたことである。そのガイドブックは、客家の円楼(:客家の居住建築)についてのみ書いてあるガイドブックで、とにかくそれ以外の目的は全く書いていない。日本から出国して、福建省などに散在する円楼に到達する方法のみを延々と書いてあるのである。とにかく海外に行く、とにかく何処何処に行くとか、そう言った旅行の仕方が支配的だった(今もそうかもしれないけど)時と比べ、何て選ぶ範囲が広がったんだろう、と私は思った。
今は景気悪いけど、バブルを通じて日本人はやっぱり豊かになったよな、なんて思った本日でした。
尚、久しぶりにガイドブックコーナーなどに立ち寄って、旅行したいなとも思いました。
6月30日(土) 社内バレーボール大会
本日は朝から社内バレーボール大会であった。この前の日曜日に練習を行ったのだが、本日は本番である。場所は横浜三ツ沢の横浜市平沼記念体育館。集合時刻は8:30!勿論言い出しっぺのキャプテン谷川さんを始め、全員が遅刻。早すぎるんだって。しかも体育館の開館時刻も8:45、って入れねえじゃん。
まずは予選リーグ。予選リーグ敗退だったので「まずは」もクソも無いんですけど。
第一戦 vs 制御設計部
まあ普段は"計装"と呼ばれる制御設計部、「計装になんか負けるか」と吐き捨てるも、計装のメンバーは僅か3名。とりあえず、私は控えになる。計装には国体出場経験のある人が混ざっているが、やはり3人ではきついらしく、我が部勝利。出番は無かった。
第二戦 vs 同期2001(本年度新入社員)
この試合は出た。上背のある私は、前衛をやる。ただ、要求されるプレイは全然アヴァンギャルドでは無く、役割は返すのとブロック。飛びまくり、前線をウロウロする。汗が吹き出る。とにかく疲れる。さらに、試合の直前にコンビニで買ってきた焼きソバとお好み焼きを平らげた後だったので、胃に違和感を感じる。途中で交代し、戦況を見守る。僅差のまま続いていったが、結局我が部が勝利。二勝目を上げる。
第三戦 vs 機器部
予選リーグ最大の強敵だが、機器部はその前に、何とあの計装に敗れるという波乱を演出している。シドニーのブラジルのようである。しかし機器にとって不運だったのは、その後計装のメンバーが遅刻してやってきて、当初3人の計装チームが5人になったのである。というわけで、機器は我が部とのこの試合を落としたら完全に予選敗退である。全力で我が部を叩いてくるのは間違いない。一方、既に二勝している我が部だが、第二戦で僅差の勝利を掴んだため、得失点差があまり無い。第一戦の制御にしても、3人でも国体経験者がいるのが災いし、それほどの大勝をしていない。我が部も勝たねば決勝トーナメント進出は危うい。
前半は我が部リードで進んだが、徐々に追いつかれ、そして逆転されてしまう。さっきの試合だけでなく、練習時も飛び続けていた私だが、お陰で背中が痛くなってきた。イテテテとか言いながらプレイする。
こちらの単純なミスで機器部マッチポイント。で、機器のサーブをレシーブ。が、私ここで痛恨のサーブレシーブミス。自陣を超えてネットの奥に飛んでしまった私のレシーブは、機器にとって最高のトスとなり、叩き込まれてゲームセット。叩き込まれたボールを叩きつけて悔しがる私。スポーツで久しぶりに悔しさを感じた一戦だった。
結局得失点差で機器部が決勝トーナメント出場。時刻は午後3時で超中途半端。負けたチームは次の試合の線審をやらねばならず、私はダラダラ線審をやる。で、線審が終わったらみんなと帰ろうかな、と思っていたのだが、既に皆は帰っていた。何て薄情な、と思ったが、まあいいかとも思う。
7月2日(月) カダフィ
今日、臨港パークにおいてメシを食っているとき、同期(システム機械部のH)と話した内容。
H:リビアとかいいよね。
私:仕事あるらしいね。LNG。
H:お、今をときめくLNG。
私:まあリビアと言えばカダフィ大佐だね。
H:おお、カダフィ。会いたいぜカダフィ。かなり怖いのかな。
私:結構やさしい奴だったりして
H:例えば?
私:釣が趣味とか。
H:何で釣が趣味でやさしい人なんだよ。
私:カジキマグロとか釣り上げたのを執務室に飾ってるんだよ。
H:魚拓とかしてたりして。
私:で、横に名前が書いてあるんだろ、カダフィって。
私&H:カタカナで。(声が合った)
私:ガイジンが書くような、汚ねえ筆跡でさ。
H:「はね」とか全然出来てないんだろ。「カダフィ」に「はね」なんて無いけどさ。
私:カダ「フ」ィのフなんて逆に書かれてたりしてね。
H:ああ、多分俺たちがアラビア文字なんて書いたら、結構ある間違いなんだろうね。
私:あー、アラビア文字。ウルドゥ語(パキスタンの言葉)ってアラビア文字なんだよな。
H:お、じゃあマスターしなよ。
私:無理だって。まあlonely planet(ガイドブック)のHindi
& Urdu Phrase Bookは買うけどさ。
H:ああ、ロンプラね。でもさ、俺アラビア語講座受けたことあるよ。
私:え、大学で?理系の大学のくせにそんなのあるの?
H:ううん、アジアアフリカ語学院で。
私:あ、それ代々木の駅のホームで看板見たことあるぞ。
H:何か一日体験講座みたいのがあってさ、友達と行ったんだよ。
私:どうだった?
H:「あいん!」とか全員で言わされてさ、志村けんかって感じだったよ。
私:それは「あい〜ん」だろ。
H:いや「あいん!」だ。
私:まあどっちでもいいけど。
H:あれは苦痛だった。
私:まあ面白半分で行くと大抵ダメな場合が多いよね。
H:まあ何も覚えてないね。
私:「あいん!」って覚えてるじゃん。
H:でも意味覚えてないもん。
私:まあアラビア語なんてアザーン(イスラムの国々でモスクから大音響で流れるコーランの一節:朝のうるささと言ったら)の意味分かるくらいのメリットじゃないの。
H:お、アザーン。「アぅア〜ィィィ」とか何言ってんだって感じ。
私:あれはうるさいよね。すぐ起きるよ。
H:知ってる?アザーンの目覚し時計ってあるんだよ。
私:ウソだろ。
H:あるんだよ。俺探してるんだけどさ。
私:そんなの日本に無えだろ。
H:だからさ、中川(サウジ駐在中)にマジで頼もうかと思ってるんだよね。
私:探すの大変だろ。
H:まあでも日本で探すよりいいだろ。
私:まあな。
H:一発で起きるぜ。
私:起きるね。
H:「アゥア〜〜ィィィ」って。
私:もういいって。
H:お、そろそろ時間だな。
私:ん、ああそうだな。
H:戻るか。
私:うし。
メシは貧しくとも、会話は楽しく。
7月14日(土) 整体に行って来た
入社以来、左に体を捻らねばならないような所にパソコンを置いておいたが、これがいけなかったようだ。慢性的に背骨に違和感を感ずるようになり、左手と左足に若干の痺れを感じ始めていた。そこへきて、いきなりの「電車コーナー居眠りによる左手麻痺」が襲い掛かった。左手は完全に使い物にならなくなった。これが2ヵ月半くらい前。で、だんだんと左手は回復し、その後バレーボール大会に出ても大丈夫なくらいになった。が、バレーボール大会で背中が痛くなり、この痛みが中々取れない。しかも、背中に慢性的に違和感は感じるし、それでもって色々疲れやすくなる。これはマズイと思い、あざみ野の地下街にある、整体屋(正しい表現か不明)に行った。マッサージはタイでやって以来(性感ではありません)だが、このようなしっかりした所は本当に初めてである。
やや緊張して入店(入「店」でいいのか?)。待合室にはおばさんしかいない。最ヤングな私。
保険証(会社の奴)と印鑑(?何で印鑑?)を求められ、素直に出し、簡単な質問書みたいなものを書かされる。大きい病気をしたことありますか>いいえ、みたいにね。その質問書を書き終え、受付の人に渡し、症状をいろいろ聞かれる。で、待合室で待つ。待合室には雑誌などが置いてあるものだが、何故かこの待合室には「氷点」などが置いてある。文庫本が多い。「異邦人」まである。誰が読むのだろうか。
中とはカーテンで仕切られているのだが、中から元レッズ小野と織田無道を足して二で割ったような兄ちゃんが出てきて、私を案内する。段差があったりすると「段差がありますから気を付けて下さい」などと、妙によく気がつく。私は一時貴乃花を洗脳(?)した整体師みたいのが、一人で頑固にやっているのが整骨院だと思っていたので、この小野さん(本名不明)の対応はちょっと意外であった。
奥の広いスペースにカーテンで小分けされた室がいくつかある。それぞれのカーテンの中からは怪しげな声がする訳はなく、色々な話し声が聞こえる。で、私も小野さんに言われ、一つの室に入る。中には整体用と思われる形状のベッドがあり、そこに座る。で、そこで小野さんに症状を話すのだが、話していくうちに「諸悪の根源は先々週にやったバレーボール大会」になっていくのが気がかりだった。完全に「たまにしか運動しないのが悪い」と言う感じだ。私はやや必死でパソコンの位置が云々と話すのだが、問題噴出はバレーボール大会、というところで妥結してしまったような感じがする。もうちょっと頑張るべきだったのだろうか。
取り敢えず、左手と左足の痺れを取るのを優先することにし、首の左側と腰の左側を氷水を入れたビニール袋で冷やす。脳から出た神経は、体内の神経のbroad wayである脊髄を経由して、航空路線のハブ&スポークではないが、各部位に分散していく。で、手に行く神経は第一ハブと言える首の後ろで脊髄から分岐し、手に向かう。先日の左手麻痺は、肘部まで来た神経を圧迫してしまったことから起きたものである。あと脚へは最終ハブと言える腰から脚に向かう。で、この冷やす目的なのだが、要は熱を持った神経を冷やすということらしい。手や足が痺れるのは背骨が曲がることで神経が圧迫されている(粟野さんも掲示板で言っていた)からだが、神経は圧迫されていると熱を持つらしい。というわけで、神経の内圧が上がると熱が上がるゆえ、最初に冷ませて神経の内圧を間接的に下げる準備をさせるそうだ。熱を持ったままあとで矯正するのはあまり良くないらしい。で、背中に低周波マッサージ器を置かれ、ややビリビリしながら数分待つ。
最初は冷たくて爽快だった氷だが、段々痛くなってくるのが分かる。しかし、その内感覚が麻痺してきて、あまり痛みを感じなくなる。低周波マッサージは中々気持ちいい。
時間が来て小野さんが現れ、今度は仰向けに寝かせられる。で、親指の反射神経などを見た結果、違う部屋に通される。そこには人骨模型みたいのがあり、その模型を使っていろいろ説明を受ける(ここで神経が圧迫されて云々)。で、私の姿勢なのだが、背骨が前かがみであるが、顔を上げるために頸部の曲率が急激に変わっていることから、神経が圧迫されている懸念があるらしいのだ。また、骨盤も前に曲がっている。つまり、私の体はCのような形状になっているらしい。と言う訳で、この姿勢を矯正すべく、変な椅子に座って、体がCの形状を何とか自然に治すようにする。まあいきなり本日直るものでもない。
暫くして、背中にテープを貼ってもらう。なんだかテーピングのようなものだが、これで頸部と腰の神経部を何とかするのだろう(何とかするしか分からん)。で、言われたのが「なるべく尾骨を椅子につけないような座り方をして下さい」というinstructionである。で、来週の水曜にもう一度来いと言われ、本日は終了である。
受付に行くと、ラクロスのあの斧のようなラケットを持った女の子が座っている。やはり運動する人はこういうのに悩むものか、などと思う。そう言えば、友人Mの弟は漕艇部だったが、こういうところ行っていると言っていたよな。会計は「初診なので...」と言われた所で若干身構えたが、「1280円です」と言われ、安心する。安いな。
というわけで、なるべく尾骨をつけない姿勢で、今はこれを打っています。
7月15日(日) 車内にて
あの、パームレスト?って奴。パソコンのキーボード叩いているときに掌載せる奴。アレを買いに行った。近所にはパソコン関連の電気屋が無いので、買いに行くのは武蔵溝ノ口にあるノジマ電器とかセンター南に展開しているヤマダ電機とかラオックスである。ただ、何となく今日は新横浜のビッグカメラに行こうと思い、新横浜に向かう。たまには気分転換というか、違う道を通りたいと言う衝動ってあるでしょ。いや、ある筈だ。で、本日は、あざみ野から地下鉄に乗らず、長津田まで行ってJR横浜線ルートで新横浜に向かった。
横浜線沿線は、市街化調整区域だと思うのだが、田園風景が広がっている。田畑が多い。そんな中を、結構急いで横浜線が走っている。そんな中私が車内の端で新聞を読んでいると、目の前にばあさん2人がやって来た。路線図を見ているのである。だが、よく分からないらしい。すると、ばあさんは私に声をかけた「ちょっと教えてくれる?この電車に乗っていれば、横浜まで行けるのかしら?」
私は返答に窮した。もしこの電車が桜木町行きもしくは磯子行きなら、そのまま乗っていれば横浜駅には辿り着く。しかし、東神奈川止まりだと、東神奈川で京浜東北線に乗り換えねばならないのだ。私は、この電車がどこ行きなのか分からない。というわけで、ちょっと返答に窮したのだ。
このような時の私の顔は、はっきり言っていい顔とは言えず、ちょっと恐い形相になっているかもしれない。人相は良い方でない私は、第一印象で好印象を持たれることは少ない。
ばあさんは、この時の私の顔を見て、どう思ったのかは知らない。だが、その時、このばあさん、顔中に満面の笑顔を浮かべたのである。ばあさんの笑顔?気持ち悪いだろ、と思うかもしれない。しかし、この笑顔はどちらかと言うと、子供の笑顔に近かった。その笑顔を見て、難しい私の顔は晴れ、何と私も笑顔になってしまったのである。
もう一人いたばあさんが、「これ桜木町行きらしいんだけど」と言った。即座に「それなら横浜駅まで行きます」と笑顔で答える私。あまり愛想の良くない私だが、笑顔で「どういたしまして」と答える私。
ばあさんの笑顔は、前歯が出ていた。ばあさんの笑顔は、皺くちゃだった。しかし、そのばあさんの笑顔につられた私は、
惚れたのか?
いや違う。違う違う。違うって!
しかし、私の心が妙に和んだのは事実である。その証拠に、新横浜で降りて新幹線の発着表示板を見たとき、「こだま125号」を「こぐま125号」と見間違えたくらいである(マジである)。
可愛いだろ、こぐま125号。耳とか付いてんだよ、多分。
7月19日(木) 腸チフスって知ってますか?
本日、無事に飲み会脱出。いや、今週は前半に相当無理したんで、疲れているのです。だから、2次会3次会は当然パス。便所に行くフリをして逃げました。卑怯者?何とでも言うがいい。
さて、そうは言っても1次会は結構enjoyした私。そこで、最も印象に残ったのは、5年目Tさんの現場赴任時の話。Tさんは羨ましいことに、9月からパリ(おフランスの首都ですよ)に1年間赴任するのです。途上国ばかりじゃありません、弊社の赴任。
そのTさんが初めて現場に赴任されたとき、最も印象に残っているのが、腸チフスになったことだそうです。皆さん、腸チフスの症状ってどんなか知ってますか?知らないでしょう。まあ殆どの日本人が腸チフスの症状を知らずに死んでいくと思われますので、このページを見てくれているあなただけに、そっとお教えしましょう。
--
T:初めての赴任のとき、腸チフスにかかったんだよ。
私:どんな症状なんですか?
T:いや、突然やって来るんだよ。その前の日までは何とも無かったのに、いきなり翌日来るんだよ。
私:ふーん
T:起きたらまず、もう半端無い腹激痛が襲ってきて、兎に角全く動けないんだよ。でもさ、下痢も凄いから、這いながら便所に行くんだよね。でさ、下痢って言うのが真っ白なんだよ。真っ白の下痢。で、便所で下痢しながらもスゲエ痛くてさ、便所で下痢しながら気絶しちゃうんだよね。
私:ほ〜.......
T:で、翌日さ、いきなり元気になるんだよ。お、じゃあ大丈夫なのかな、なんて言って現場の事務所に行くじゃん。で、書類にサインしているとき、サインしながらまた気絶してるんだよね。
私:休めばいいじゃないですか。
T:いやでもね、俺が行ってサインしないと、全く仕事が進まないからさ、何とか行くんだよね。
私:どれくらいで直るんですか?
T:大丈夫、薬飲めば完全に直るよ、腸チフスは。だから、まああんまり心配しなくていいんじゃないかな。まあ、なった時はマジで死ぬかと思ったけど。
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ね、凄い病気でしょ。いやー、世界は広いと思いましたわ。
え、Tさんが腸チフスになった国?
パキスタンなんだよ〜〜〜〜。
7月20日(金) 海の日
海水浴には絶好の天候であるが、日焼けの嫌な人は一生地中に潜ってろという天候でもあった。私は本日出勤。
地下鉄は既に浴衣姿の女の子が結構乗っている。本日は横浜港の花火大会である。毎年海の日に行われるものだが、実際に見たことは一度しかない。首都圏では開催が比較的早い方なので、人手はかなりのものになる。本日は会社から見る予定だ。
桜木町に下りると、まあ既に準備万端であると言う感じ。桜木町駅は人の誘導がしやすいように、柵が既に出来ている。いつもの休日より混雑しているのも確か。
と、目の前にファイヤーの幟が。
「本日自民党比例区候補、大仁田厚が桜木町駅にて街頭演説を行います」
とアナウンスがされている。あの大仁田が、遂に横浜にやって来た。早速、街頭演説の車の近くに行く。大仁田はまだ来ておらず、スタッフが幟を持って待っている状態だ。ちょっとはFMWの事を知っている私としては、ボランティアで参加していると思しき学生と並んで、金髪に眼鏡をかけたミスター雁之助が幟を持っているのが目に入った。「うぉぉぉぉ、雁之助がいるよ〜」と思ったが、当然声は出さない。大阪でデルフィン・鳩山弟と一緒にファイヤーをやっている写真を見たが、雁之助は車には乗らず、下で幟持ちに専念している。
と、右の横断歩道の向こう側から、大仁田登場。青信号になってガッツポーズを作りながら、車に向かって走ってくる。で、車によじ登り、暑い中熱い演説を、厚がする。確かに暑い熱い厚い!!!!ファイヤー!!!!!!!ファイヤー!!!!!!!!
って、すぐ会社に向かいました。いや暑くて....「ファイヤー!!!」を背に受け、私も小声で「ふぃあやー」と呟く。
お仕事。一昨日は整体、昨日は前のプロジェクトの飲み会だったので、本日は平日の残務を黙々とこなす。夕方、ふと西を見ると富士山が見える。おー、珍しい。で、下を見ると、もう黒山の人だかりというより、黒蟻の蟻だかりと言う感じ。とても下には下りれん。
とは言いつつも、午後7時には腹が減ってしまった。仕方なく下に行く。向かいの電気部を覗くと、同期Aが冴えなく出勤している。Aに声を掛けて下に下りる。
コンビニに行ったが、来なきゃ良かったと言う感じである。野戦病院みたい。ビールを買おうと思ったら、回転が速すぎるらしく激ぬるい。とは言っても、ここまで来たからには何か酒を買いたい。まあ多少温くても何とか飲める、白角水割りを購入。Aはよく分からんサワーみたいのを買っていたが、こちらは冷えている。
上に上って、会議室に行こうとする。会議室は横浜港側で、花火にはもってこいのスポットである。しかし、会議室はガキやらおばさんやらで占拠されている。って、どう考えてもお前たちは社外者だろうが。まあこの日は、社員が家族を連れてきたり彼女を連れてきたりするのだが、何か関係者以外に会議室を取られているのは癪に触るものである。仕方なく、違う所に行く。
花火が上がり始めたのは7時半。山下公園沖の海上から上がるのだが、沖合はクルーザーやら屋形船で大混雑。で、眼下は先ほどにも増して黒蟻の蟻だかり。そんな中、冷房の効いたオフィスで、超リラックスして酒飲んでいる私とAは、結構幸せ者なのだろうか。蚊にも刺されないぞ。
とは言いつつも、このような姿勢で見ていると、外で見るのとは趣が違う。ウチの会社は横浜の花火大会を見るにはこの上ないfineな場所にあるのだが、やはり室内で見ていると、見方が妙に冷静になってしまう。
「お、結構大きいね」
「下は盛り上がってるんじゃない。『おおおおぉ〜』とか言ってさ」
と言ったように、冷静と言うか盛り上がりに欠ける。また、花火の音は結構聞こえるのだが、周囲の雑音(人の声とか風の音とか車の音とかその他)は全く聞こえないので、普通に会話が出来てしまうのだ。だから、花火が美しく上がっているのに、
「寮で車荒らしが出てさ、車のガラスきれいに壊されて、中からハイウェイカードが盗まれたんだよ」
「へ〜、1台だけ?」
「うん、今の所ね」
などという会話が可能である。外で花火を見ているときは、絶対に空を見上げて花火を見続ける「きれいだなあ」とか「うおー、これはデカイ」などとやっているのだろうが、我々のいる23階は目線に花火が上がるので、普段の会話をする体勢と殆ど変わらず、「おい、ボーナス何に使ったんだよ」とか話せるのである。
8時半に花火が終わった。「おい、終わったのか?」と言って下を覗くと、蟻の行列が動いている。終わったようだ。執務に戻る。
結局花火を見てしまったので遅くなり、電車は最終電車だった。しかし、今日は来るときから最終近くの電車と決めていた。混んじまってしょうがないからだ。だが、最終でも結構混んでいた。というより、もう電車も無くなる時間だというのに、桜木町は人がまだたくさん残っていた。まあ、明日も休みだから、夜通し遊んで帰るのだろうな。もう夏休みだろうし。
ああ、もう夏か。
7月27日(金) パラダイス銀河
よーおっこっそー、ここえー
あそぉっぼぉーよ パラッダーイス
ゆめぇのー りんごー 剥いぃてぇー
おーとっなっわー みえっなーい
しゃかぁりぃーきぃ ころんぶーす
ゆめぇのー しぃーままーあでわー
さあーがせーなーいー
8月8日(水) 指令
午前中は上大岡に出社したものの、午後はみなとみらいへ移動。健康診断を受けるためだ。
まずは健康診断。17階にある会社の医務室に行く。取り敢えず最大の難関は採血である。検尿・視力検査・聴力検査・そして血圧測定をした後、採血。何と、瓶が6本もある。
「採血弱いんですけど」
と情けなく言うと、ベッドのある部屋に通され、寝たまま採血。採血の何が嫌いかと言うと、血を見るのが嫌なのである。自分の血が凄い勢いで試験管に満たされていくのを見ると......あー、ダメだダメだダメだ。
看護婦さんに「赴任の度に採血あるのに、困りましたね」などと言われる。ほんとに困ったものである。
兎に角、採血を終え、これで終わりかと思いきや、会社の担当医から「胃の検査を受けてください」と言われる。
胃の検査?
ひょっとして、あの酢酸バリウムを飲むアレですか?と問うと、そうだとの返答。飲んだ後、便が白くなると誉れ高い、あのバリウムか。健康診断なのに逆に気分悪くなることばかりです。しかも、胃の検査は会社の医務室では出来ないらしく、ランドマークタワー内にある企業向け医院に行かねばならないとのこと。その名も「ランドマーク医院」っておいおい。まあ観光地であるみなとみらいですが、観光地は下だけで、上は殆ど会社の雑居ビルなんですよ、あの辺は。私の会社もその一角。で、ある階は全部勤め人向けの病院になっていたりするのだが、ランドマークタワーの7階がそれにあたる。あとはクイーンズタワーのC棟(インターコンチに一番近い棟)に「クイーンズクリニック」って、お前もいい加減にしろ。
胃の検査は予約制で、明日の8時50分に行けと言われる。
もう一つ、まあ予想通りだが、A型肝炎と破傷風の予防接種を受けるよう言われる。パキスタンは国の決まりだと予防接種の要求は無いのだが、会社としては義務付けているらしい。メンドくさいが、備えあれば憂い無しであろう。肝炎なんて流石に冗談じゃねえよ。で、どこで打てるのかと言うと、産業貿易センター。と言っても神奈川県民しか知らんと思うが、神奈川県のパスポートセンターがあるビルで、神奈川東部に住んでいる人はここにパスポートを取りに行かねばならない。神奈川県のはたしかもう一つ、厚木にパスポートセンターがあったような気がする。神奈川中部以西に在住の人は、本厚木に取りに行くのかな、知らんけど。で、パスポートセンターは産貿センターの2階にあるのだが、予防接種を打つのは3階にある。出国は26日だから急いでいく必要は無いと思いきや、肝炎の注射は2週おいて2回接種せねばならんとのこと。となると、今週中に行かねばならない。せっかく桜木町にいるし、今日行こうと思って会社を出る。産貿センターに前に行ったのは、今持っているパスポートを取りに行った日である。ということは、1996年12月6日以来である。あの日は冬なのに雨上がりで蒸していた。南からの湿った風が吹き続け、ぬるいくらいに暖かかったのを覚えている。尚、その翌日の1996年12月7日、私はサークルを引退した。懐かしい。
産貿センターは山下公園の前にある(つまり海沿い)のだが、ここは交通の便が悪い。桜木町から京浜東北線で関内まで行き、そこからかなり歩く。だったら会社から歩いた方が良いという立地である。だから歩いていく。結構疲れる。
で、どうやって行こうかなあとみなとみらい地区の観光地図を見ると、汽車道を通ってワールドポーターズの前を越え、海沿いに歩くのが最短距離のようである。というわけで、夏休みで賑わう汽車道を、とぼとぼ歩いていく。
関内は官庁街で、街並みの雰囲気は桜木町とはかなり違う。官庁街と言っても、霞ヶ関とは異なり、まあ文明開化な建物が多い。日本郵船の横浜支店とか、神奈川県庁とか、横浜税関とか。落ち着いた雰囲気は散歩にはもってこいである。途中のampmでマガジン立ち読み。
産貿センターには4時前に着いた。3階に行き、予防接種を受ける医院みたいのに行く。何か昭和30年代に出来た医院みたいな風情である。壁には白地図が何枚か貼ってあって、色鉛筆で色が塗られている。可愛い孫が描いた絵を飾る、初老の医師がいそうな雰囲気だが、白地図は「マラリア感染地域」「黄熱病感染地域」など、極めて物騒である。見ていて、「う〜む、パキスタンもすごいけど、世界一凄いのはやはりアフリカ中部の熱帯雨林地帯か」と思う。殆どの伝染病カバーしてるよ。ナイジェリアは確か予防接種20種超必要と上司に聞いたが、何とか赴任回避してえな。
申し込み用紙に希望する接種を書いて、白地図の前の古ぼけた長いすに腰掛けて待つ。で、すぐに呼ばれ、中に入る。おばちゃん医師がいて、二つの注射を用意している。まずは破傷風の注射。左に刺す。破傷風は我々の世代(74年生まれ)は幼少時代に一度受けているそうなので、今回打つだけで10年くらい大丈夫とのこと。儲けた気分。で、次は右腕にA型肝炎の注射をインジェクト!やっぱ体内で混ざるとヤバイのかな。
と言う具合にあっという間に終わり、会計。破傷風は3000円だが、肝炎は8000円!しかも、もう一度受けるからさらに8000円取られる予定だ。まあ会社が出すからいいんだけど、個人で払うのは痛い。個人旅行でナイジェリアとか行ったら、予防接種だけで数十万かかりそうな気配だな。個人旅行でなんて行かねえけど。
帰りも歩き。実は産貿センターの前から桜木町駅経由横浜駅行きバスがあるのだが、来ないからまた歩いて帰る。あー疲れたな、と思って神奈川県警本部の植え込みのところに座り込み、ジョージアを飲む。エメラルドマウンテン。このアクドイ濃さが何とも堪らん。
会社に帰る。Sさん(興奮しまくらちよこ)に「お、もう帰ってきたのかよ」と言われる。「左に破傷風、右に肝炎です」と言うと、「(胸の辺りを指しながら)この辺で混ざっちゃうんじゃねえか、大丈夫なのかよ」と言われる。やはり人は考えること一緒だな。資料室に行く。上司から「みなとみらいに行くなら過去プロジェクトの土質調査報告書を取ってきてくれ」と言われていたからである。しかし、タイトルがフランス語だから分からねえよ。まあ大体同じなんだけど、コンクリートは英語はconcreteだけど、フランス語だとbetonとかだったりするんだよなー。違う単語はまるで違う。
結局見つからなくて、明日バリウムの後に再度探すことにする。
その後、上大岡に戻って執務再開。9時以降は食べてはいけないという指令に基づき、9時前に会社で夕飯を食べる。
あすはバリウムからのスタートである。てゆうか用意とか準備とか本当にめんどくせえよ。
8月18日(土) インドへの道
ラホールは国境の近くの街で、かつパキスタン第二の都市。従って、当然インド領事館などがあって、ラホールでビザを取ることができる、なんて高を括っていた。しかし、これは大間違いで、パキスタン国内でインドビザが取れるのは、イスラマバードのインド大使館だけだと言うのだ(諸ガイドブックによる)。ラホールで取れるのは正反対のイランのビザであるらしい。これには参った。
私が欲しているのはインドのビザである。ラホールで取れると思っていた私は、当然用意していない。このままでは、インドまで10kmの所にいながら、インドに足を踏み入れることが出来なくなってしまう。
何故インドか?その問いに対する答えのキーワードは「ラマダン」である。
私の赴任は恐らく11月中旬から12月にかけてで終わると期待しているのだが、その後1週間くらい取ってよい赴任後休暇に、私はパキスタン旅行をしようと企んでいた。パキスタンはインダス文明を生み出したインダス川流域の他、ガンダーラやカラコルム(K2っすね)など、見所が多い。学生時代から行きたいと思っていた国の一つである。だがしかし、会社で隣の机に座るインドネシア人(彼はムスリム)に聞いたところ、今年のラマダンは何と11月15日から12月15日だと言う。何てこったい。
パキスタンは人口の97%がムスリム。それが一斉にラマダンに入ると言うことは、国内旅行は厳しくなるような気がするのだ。だって、殆どの人が断食してるんだろ....昼飯食う食堂なんて開いてねんじゃねえかな、なんて。
だったら、ちょっと早いけどインドに行こう、と当然思うわけである。ちょっと早いと言うのは、人生の内でインドに訪れるのがちょっと早いと言うことであるのだが。
取り敢えず、取った(もしくは取ろうとしている)諸策は以下の通りである:
@宿泊するホテルに、ラホールでビザ代行取得してくれるagentはあるのかを聞く。
Aバックパッカーなwebサイトにアクセスし、掲示板に「情報求む!」を繰り返す。
B仕方ないから、弟に破格の小遣いを掴ませて、九段のインド大使館まで代わりに取りに行ってもらう。
この中で最も有力と思われるのがBだろう。しかし、出発までもう1週間くらい、ちゃんと取れなかったり、パスポートが手許に戻ってこなかったら、私は出発が出来ない。普通に取りに行く分には「翌日発給」されるらしいのだが、悪いことに私のパスポート、すでに1年間有効のパキスタンビザが貼ってある(パキビザはシールを貼られる)。パキとの仲の悪さは評判のインド。これで難癖が付くような気がしてしまう。さらに悪いことにその1年間有効のパキビザ、私の人生初の商用ビザ。パキスタンに仕事で行く奴が、インドに観光?どんな奴だ!なんて。
まあ実際はそんなにうるさいことは言われないと思うのですが、出発直前なだけに、ごちゃごちゃするのはちょっとなあ、と言う感じ。
このページを見ている希少な皆さんの中で、パキスタンにおけるインドビザ取得の詳細を知っている人、
いるわけねえか。
8月19日(日) 時代は武者ラフ
非常に悲しい休日出勤で、ぐったりして帰ってきた。そして、相変わらずパキスタンでのインドビザ取得方を探る。しかし、どの旅行記も「ラホールからインド行きビザを取るために一旦イスラマバードへ」なんて論調ばかりである。業を煮やし、最近頻繁にアクセスするようになった"Yahoo! INDIA"(yahooにパキスタン版は無いので)に飛び、"visa for india lahore"などで検索する。案外出てくる。で、「パキスタン政府、インド政府に対しビザ発給センターのラホール開設を要請」などと書いてある。をを!いいぞ!どうなったんだ!と当然アクセス。
しかし、読み進めていって幻滅。
...インドのパジパイ首相にパキスタンのシャリフ首相が....
ダメだこりゃ。
11月11日(日) 更新停止中だが、これだけは言いたい
同期との飲み会が金曜にあったのだが、その飲み会はサウジから先日帰ってきた奴の、凱旋飲み会であった。
映画の話になって、そのサウジ帰りの男が言ったのは、「あ、ほらあれ良いらしいよ。何だっけな、えーと『マンドレン大佐の何とか』って奴」という言葉。
言いたいことはよく分かった。
11月13日(火) もういいや、再開
実は数日前に、凄い夢を見た。
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何故か板橋の従兄弟の家に遊びに行っていた私は、従兄弟が買い物に出かけていたときに居眠りをしてしまった。まあ、夢の中で居眠りも無いが。で、目を覚まして窓を見ると、なんとアシアナ航空のB747が、超低空で、というより地面に向かって緩やかに降下しているのが見えた。後ろから自衛隊機(夢の中なので、機種不明。恐らく私のイメージの中の自衛隊機だろう)が牽制しているのだが、何分板橋の住宅街の真上ゆえ、何も出来ない状態である。そのまま、南の方角にアシアナ航空機は墜落して、凄まじい炎を上げて街が燃え始めた。
日本の東京都心で、韓国機(しかも大韓じゃなくてアシアナ)が墜落した、これは大変な事になると直感した私は、慌ててテレビをつけた。テレビでは既に速報が流れており、テロの可能性が高いと報道している。さらにテロと言う変数まで入ってきて、私の頭の中は解析不能に陥った時、従兄弟が帰ってきた。凄まじい爆音だったにもかかわらず、従兄弟はまるで事故を認識していない。窓から巨大な炎の先を指で指そうとしたとき、何故か窓際に置いてあったゴルフボールを落としてしまった。どうも叔父さんのかなり高いゴルフボールだったらしく、従兄弟が不機嫌になって「まずいよこれは」と言う。私は謝って下にボールを取りに行こうとしたのだが、従兄弟が憮然とした表情で、「いいよ、俺が取りに行くから」と下に降りて行ってしまった。
で、目覚めた。
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という夢なのだが、この話を会社でした時、上司は笑えない笑顔で私の話を聞き、「何か憑依してるんじゃないの」と言った。同期にこの話をメールすると、「お前の後ろにラディンが見える」などと言われたりした。
今朝、アメリカン航空機がニューヨークの住宅街に墜落した。別に正夢ではないが、唖然とした事には変わりない。
帰ってきたら、夕刊にカブール陥落と書いてある。各派の一番争いが始まり、またタリバン登場前夜に戻るのだろうか。
ああ、今日はどんな夢見るんだ、俺は。
11月28日(水) ゴメンの一言ぐらいないんかい!
いや、君ねえ、思いっきり人のことを否定しておいて、あとで自分が間違いだと分かった時、ゴメンの一言くらいないのかな。
11月29日(木) クリスマスの過ごし方
クリスマスの雰囲気は、実は結構好きだ。今日は、クリスマスの過ごし方について一考察。
来月はクリスマスがやって来るが、何をやっていたのか全く記憶にないクリスマスはいつかを、頑張って思い出してみようと思う。
取り敢えず、近年で覚えていないのは、以下のクリスマスである。
高3の時のクリスマス
大学院M2の時のクリスマス
以下、何をやっていたのかを思い出そう。
・高3のときのクリスマス
…全く思い出せない。完膚無きまで忘れている。高1、高2時は覚えている。しかし、高3時は…ダメだ、全く覚えていない。いきなり挫折。いや、ホント覚えてないわ。何してたのかな。受験勉強なんだろうけど。
・大学院M2の時のクリスマス
まだ2年前なんだけど、全く覚えてないわ。しかし、9年前に比べれば思い出せるだろう。しばし考える。
(10分経過)
うっひゃー、ダメだ、全く思い出せん。恐らく予想としては、
・バイト先の塾の父母面談(いつもこの時期にあった)
・実験
・もしくは修士論文
・いや、タイミング的に学会論文?
とにかく、覚えていない二大クリスマスの特徴は、寸分違わぬ同じ事の繰り返しの毎日という日々だったため、クリスマスが埋没してしまったのであると思う。それ以上に同じ事の繰り返しの日々だった浪人時代は、一つだけ覚えている事がある。同じ事の繰り返しなのに、その日だけ周りの雰囲気が明らかに違ったからだ。それは、毎日のように通っていた図書館に、24日だけはキレイな女の子、キャーカッコиという野郎が完全にいなかったからだ。凄い雰囲気だった、あの図書館。空気全体が、「俺(私)ってイケてない」という雰囲気だった。だから、凄く鮮明に覚えている。
どうせイケてねえ。
クリスマスは別に我々に必須の目出度い日という訳では無いが、今年の場合は休日と言う事で、カップルは大体会うだろうし、彼/彼女がいない人は平日よりも手痛い一日になるとは思う。というわけで、それだけに記憶に留まる日になるのではなるのでは無いか。クリスマスは雰囲気だけでも結構ウキウキするもんだし、定番と言えるクリスマスソングを聞いて、「あー、クリスマスだなー」という季節感に浸るというのは、中々いいものでしょう。とにかく、今年のクリスマスは、忘れないような過ごし方をしよう。
だけど、今のところ忘れそうだな。ネタが無い。
12月1日(土) アニヴェルセル表参道
初めての挙式と披露宴であったが、披露宴は盛り上がった。しかし、要所は最後の新婦の手紙。読み上げた所から涙声の新婦に対し、さらに感涙にむせぶ両親および新婦の家族を見ているうちに、泣きそうになってきた。既に同期の何人かはもらい泣きの状況に陥っていたが、私は我慢していた。が、そろそろ堰が切れる、と言う瞬間、「そもそも、涙を我慢している意味は何か」という問いが心の中で湧き出てきて、「我慢している意味は無い」という結論に達した瞬間、頬を涙がダー。
披露宴が終わった後で、「あれで泣かない奴は人間じゃない」と言い放った私。開き直ると言うより、私は悟ったと思っている。VIVA解脱。
12月2日(日) 明けて日曜日
本日は部の忘年会の企画をすべく、桜木町に出向いた。企画のために休日に会社に行くなんて、まるでサークルの行事準備のために早稲田のマックに行くみたいだ。
現在上大岡にて執務中の私にとって、休日の桜木町、というよりむしろみなとみらいは久し振り。相変わらずの人出で楽しくなってくる。今日は仕事じゃないし。
会社の前で同期と待ち合わせて、昼飯を買って会社へ。使うのは会議室だ。
忘年会の企画はゲームを考えるだけになっている。先日、ぱぱぱぱぱふぃーをたまたま見ていて、絵スチャーゲームというのをヒントにサークル時代にやったゼスチャーゲームを思い出し、それ以来忘年会はビンゴでなく、ゲームをやろうと考えていた。
結局ゼスチャーゲームはやらず、○×ゲームと利き酒ゲームをすることにした。内容は
1. ○×ゲーム
○○さんは、インドネシアに家族が2つほどある、○か×か?
という問があったとして、会場を割るロープを境に○エリアと×エリアに分かれてもらい、7問やって勝ち抜いた人に豪華商品が!
2. 利き酒ゲーム
別に利き酒でも何でもないのだが、液体を飲むのは私と同期である。例えば私か同期が持ったコップにコーラが入っていて、飲んだ後の表情でどちらの人間のコップにコーラが入っていたのかを当てるゲーム。因みに、決まった液体は
青汁+タバスコ 青汁+酢
飽和食塩水 飽和砂糖水
ビール+わさび ビール+からし
青汁+苺ジャム 青汁+マーマレード
以上二つずつの液体を飲み干し、どちらが青汁+タバスコでしょうか?どちらが飽和食塩水でしょうか?を競う。液体の性質が結構近いため、これは解答が割れるゲームだ!全問正解者は豪華商品が!
以上を決定し、取り敢えず青汁を買いに行ったのだが、あるのが「全く無理なく飲めます」青汁ばかり。無理なかったらダメなんだよ。
取り敢えず、無理して飲める青汁は同期のかみさんに頼むとして、本日は解散。
あざみ野駅に着いて、先週「"これ"と言うべきベタベタな映画が見たいな」と言って借りたスターウォーズエピソードTを、結局見られなくてしかも延滞料金を払って返した後、BOOK
OFFで
U2のTHE BEST OF 1980-1990 (1550円)
TOTOのMINDFIELD (1250円)
パフィーのjet CD (250円)
などを買って帰宅。パフィー安いな。JET CDは卒論時、研究室でよく流れていた奴なのだが。因みに、大貫亜美は私の家から最近所の高校である、県立荏田高校出身。どうでもいいが。
12月6日(木) 部の忘年会
お陰さまでかなり盛り上がりました。
12月9日(日) 忘年会シーズンも終わり
今週は忘年会が月木土という感じだったのだが、赴任帰りの先輩と飲みに行ったり、他のプロジェクトに移る同期を上司と送ったりで、結局月水木金土が飲み会であった。しかも月曜と土曜の夜は同期宅泊。新婚宅に週二度泊まっている。
昨日は同期の忘年会。1次会は関内のちゃんこ料理屋で午後6時から、2次会は桜木町の魚民で午後8時半から、3次会は桜木町の中華料理屋(よく行く所)で午後10時半から、で終了は午前1時半くらい。タクシーで同期宅へ4人で押しかけて、午前3時就寝。
3次会(参加人数7名)において、興味深いネタがあった。
同期HとSのドライブの話
同期Hは、ちょっと狙っている女の子をドライブに誘った。向こうが友達を連れてきたので、こちらも友達を連れて行こうと言う訳で、S(彼女いない歴26年)を誘ったらしい。
1. サングラスについて
「こいつ(Sのこと)、合コンとかでもあんまり話さねえんだけどさ、その日はいきなり助手席に座ってきて、おもむろにサングラスをかけて腕を組んで、一日中その姿勢で口を利かないんだよ」
という、Hの報告がなされ、サングラスについての意見が飛び交った
意見と議論
同期A:多分S一流のカッコつけだったんじゃないのか
同期B:照れ隠しか?
これが二大意見であるが、S自身は酔いまくっていて何を言っているのか判別できない。取り敢えず結論流局。
2. ガンズのCD
Hはそれでも、女の子たちと運転をしながら会話を続けていた(その間もSは腕を組んで無口)。その中で、女の子の一人が高校時代にバンドをやっていて、ガンズアンド ローゼスとかをコピーしていたらしい。しかし、ガンズのことを殆ど知らない同期Hは話題に詰まり、困ってしまったらしい。相変わらずSはサングラスをして、一言も口を利かない。Sもガンズを知らないのだろう。
話は進んで女の子たちを帰した後、Sが衝撃的な言葉をHに向かって浴びせた。
S「俺、今日ガンズのCD持ってきてたんだよね」
H「.....!何で出さねえんだよ!」
意見と議論
同期A:Hがガンズを知らねえのに、SがいきなりガンズのCDを出したら、Hの立場が無いとSは判断したんじゃねえのか?余計な判断だが。
私:それまでサングラスして腕組んで何も話さねえ奴が、おもむろにガンズのCDを出したら、俺ならみんなが引くと判断するね。第一、何でドライブにガンズのCD持って行くんだよ!
取り敢えず同期Aの意見が統一見解になりかけたのだが、Sは相変わらずの状況。紹興酒のビン蓋を私がSに投げつける。
3. JR横浜駅の改札口
あんまり楽しくないドライブも終わり、彼女たちを横浜駅で降ろす事になったHとS。だが、Hは車を止める良いポイントを見つけられず、仕方なく相鉄横浜駅側に車を止めた。「ちょっとJRの改札まで遠くなっちゃったけど、ごめんね」と彼女たちに軽く謝るH。その際はSも「じゃあね」という声を発したそうである。彼女たちは、横浜駅の周りをぐるっと回って、西口の改札から帰っていったらしい。その際のSの一言。
「西口まで回らなくても、相鉄側にJRの改札あるんだけどね。」
意見と議論
同期A:これもHが知らないのにSが知っていたらHに悪いと思ったんだろう。
同期B:もはや救う余地無しだ。
そこへ来て正気を保ち始めたSの一言
「いやあ、あそこから西口まで歩いて行ったって、数分しか変わらねえだろうから、いいかなと思って」
参加者全員からおしぼりが飛ぶ。私は最大級の「死ね」という罵声を浴びせ掛けた。居酒屋じゃねえっての、ここは。
そのSだが、来週合コンで知り合った女性と初デート。結末や如何に。クリスマスはもうすぐそこに!
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と言う訳で、忘年会シーズンの締め括りに相応しい1日でした。
12月15日(土) どんてん生活
私の数少ないメル友に、会社の受付嬢がいる。一応同期(一般職でなく、分社した子会社採用)ではあるのだが、彼女は高卒なので、歳は7つも下である。確かに若い。例えばメールの件名が
「☆☆☆」
だったりするのである。
「♪」
だったりもするのである。
挨拶では「こんち☆」とかだったりするのである。マズイだろ。
で、最近の話題が、この受付嬢の彼氏がフリーターであるということだ。そろそろクリスマスだが、「私のカレはフリーターなんで、あんまり高いものでプレゼント交換は出来ません」という感じで書いてきて、彼氏がフリーターであることを知った私が、どんてん生活感想文で書いたようなことをメールで送ったのである。そしたら、何だか反響が大きかった。
私はフリーターっての、否定的な存在としてはあんまり認識していない。まあ、肯定的にもあんまり認識してないんだけど。つまり、どちらでもない、晴れでも雨でもない、曇空な認識である(どんてん生活感想文より)。受付嬢とその彼氏はまだ二十歳前後という、私の定義からすると「若い」世代なので、フリーターに対する考え方も私のそれとは異なると思う。どちらかと言うと、まだ漠然とした変な不安みたいのが殆ど無くて、生活を楽しんでいる状況かもしれない。実際、受付嬢のメールからは、その雰囲気が漂っている。彼女らは私以上に、「人生どうこうするのは、まだまだ余裕がある世代」と自覚している様がよく分かる。確かに彼女らの言う事は当たっている。何しろ、私の世代のフリーターにしても、まだまだどうとでもなると私自身が思っている訳だし。
では、もし自分が大学を終わって社会に出ることになった時、果たして自分がフリーターの道を選んだだろうか、と思うと、少し立ち止まってしまう。答えは多分否であろう。
私の場合、大学院を終えて就職した訳であるが、今の仕事は高校2年の二学期期末試験の直前に、江戸城の城壁と対峙して決めた仕事である。つまり私の場合、やりたいことは高校2年時に決定しており、建築土木のある大学を上から順番に受けて行って、そのまま受かった大学に入って、それから大学院に行って、結局希望した今の仕事に就いた訳である。だから、フリーターという選択肢は、現実的には有り得ない話であった。だが、もし自分が特に将来の展望が無くて大学(しかも文系の経済学部とか)に入って、いざ就職を考えた時、「やりたいことが無いからフリーターでもやるか」と果たして思ったのだろうか?いや、何となく後ろめたいものがあるから、結局漠然と就職活動をして、適当な会社に入って、そこで適当に仕事をしていったと思う。
定職に就く事で不安は取り敢えず無いのかも知れないけど、どうもそれが真実じゃねえような気もするんだよな。やりたいことが見つからなかった自分の、適当な人生。それはフリーターより妥当な人生なのだろうか?単に妥協な人生なんじゃねえかな。
妥協が悪いとは言わないけど、良いとも思えない。あ、結局それだって、曇天な生活じゃないのか。
まあそれでも、フリーターを選ばない「もしも〜〜だった」俺は、フリーターよりはマシだと思っているんだろうな。
うわ〜、何だかんだ言って、現状の自分を全然悪く言ってないよ、俺。いや、やっぱ痛いかなと思って、現状の自分をどうこう言うの。今の自分には否定的じゃないですよ、私は。ただ、安易に素晴らしい人生とも言いがたい。結局曇かよ。
12月17日(月) 寒い
今朝は寒かった。暖かいかなと思っていた今年の冬だが、今朝は寒かった。「いつもの年よりかは暖かいよ」と言う人がいるかも知れないが、じゃあお前は寒いと思わないのかと言いたい。寒さは相対的なものではない。寒いと絶対的に感じた時点で、寒いったら寒いんだ!
俺の先輩の言葉を聞け。
「いやー、俺なんてトルクメニスタンの現場とか行った時、マイナス40度とか言って寒いと思ったけどさ、日本に帰ってきて冬の気温5度とか言っても、やっぱ寒いもんは寒いよ。」
ほら見ろ!やっぱ寒いもんは寒いんじゃボケ!
例年なんかと比べるなってんだよ、寒いと感じた時点でそりゃ寒いんだよ!
と言う程度の寒さじゃありませんでしたか、今朝。
突然ですが、クリスマスイブに寿司食い放題行きませんか?
イブなのに一人っきりの方、一人じゃないけどイブは暇だよって方、大募集です。
(ひやかしMailはやめてください)
日程確認の上、参加できる方は以下ボタンを押して下さい。
日時 :12月24日(月) PM6:15 JR関内駅北口集合
PM6:30〜食べ放題スタート
場所 :雛鮨関内店(詳細は後日参加者に地図を送ります)
会費 :4000円程度
一応予約を取りますので参加できる人は12月19日いっぱいまでに返事下さい。
多数のご参加お待ちしております。
電気部 A井
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今朝、会社のメールを開けたら、今年の夏に一緒に会社から花火を見た同期から、上記のメールが入っていた。
(ひやかしMailはやめてください)
と言うのが寒い。
12月25日(火) こんなイブの過ごし方
まあハッキリ言わせて貰えば、日本でのクリスマスは、子供たちとカップルたちのものである。彼/彼女がいない人に、クリスマス独自のプレッシャーとか無いじゃん。プレゼント何にしようとか、どこに行こうとか、何食おうとか、全然関係無いじゃん。可哀相とか寒いとか痛いとか言う意味で、彼/彼女がいない人にとっても意味のある日という意見もあるのかもしれないが、それでも私の意見は「やっぱ意味ねえよ」というものである。だってさ、意味を考える以前に、彼/彼女がいなかったら、その日に生きていること自体に意味は無いと思わないかい。別にベツレヘムに向かってお祈りする訳じゃ無えんだろ。キリスト者でなくて独り者の人に、クリスマスが一体どんな意味があるのか、考えれば考えるほど分からなくなるんだよ。あまりに意味が無くて。
とは言うものの、結局、電気部のAが召集した寿司食い放題に行った私。以下報告。
集合はJR関内駅北口改札前に午後6時。4時半くらいに、本屋に寄ろうと家を出たのだが、その時同期から電話が入る。「1000円以内のプレゼントを買って来い」という指令だった。
おい、男だけの集まりに、プレゼントは無いだろ。
と思ったのだが、一応儀式と言う事で、伊勢佐木町の有隣堂本店で、タイ語会話を買っていく。タイ語会話の理由?
他意は無い(爆笑)。
関内駅前に着くと、建築部のMに「うおーぃ」と声を掛けられる。何か、途端に気持ちが沈んでしまった。その後も、ポツポツと集まり始める同期たち。
忙しいらしくて、結構出社しているようだ。みなとみらい(会社)から来ている奴が多いのだ。いや待て、恐らく調整すれば、この日に出る必然性は無い筈だ。例え忙しくともだ。
寿司屋に向かう。食い放題の寿司屋で、最初は家族連れが多かったのだが、どんどんカップル率が高くなっていく。そんな中、妙に迷惑なくらい盛り上がっている男6人。プレゼント交換の仕方で揉めに揉めていたのである。
最初、「ジングルベル」の音楽に合わせてプレゼントを6人の間でグルグル回し、歌が終わった所で持っているプレゼントを貰う、というものを提案した奴がいた。しかも、「ジングルベール ジングルベール 鈴が鳴る 今日は楽しいクリスマス hey」の「hey」で、その時点で持っているプレゼントを頭上に掲げると言うのである。
寿司屋でだぞ。
本気の大反対勢力が勃興し、結局「古今東西山手線ゲーム」で、負けた奴がプレゼントを引き取るというものになった。それはそれで結構盛り上がったのだが、何しろ周囲の視線が物凄かった。私たちを見ているのは、殆どが女性である。男は見ない。というより、見ようとしない。しかし、女の子は見るのである。それが、もう何と言ったらいいのか、形容のしようが無いのだが、とにかく「凄い視線」と言う他無い。
吐く寸前くらいに寿司を食っていると、先日SとドライブをしたHから電話が入った(12月9日付日記参照)。今会社にいて、これからこちらに向かうと言うのだ。時間制の寿司屋だったし、これで出ることが決定。Hとはイセザキモールの入口で待ち合わせである。
伊勢佐木モールは変なオブジェが入口にあるのだが、それに寄り掛かっている渋く寂しい格好で待っていたHと合流。入ったのは事もあろうか、伊勢佐木モールに入ってすぐ左にある、「かもん」。この時点で7人になった我々だが、時間はもう10時前だったし、日も日なだけに、店も店なだけに、7人でも余裕で入店できた。
色々話していたのだが、その時、今デートをしているS(ドライブでサングラス)の男に電話をしようという提案が立ち上った。
Hがワンギリで切る。
その数十分後、Sから電話が入る。電話の内容は「今から送っていくんだよ」と言うもの。Hが言うに、「何か完全に余裕のある語り口調だった」とのことで、それはそれで盛り上がる。数人以外。
彼女を送ったSが、その後この関内の「かもん」にやって来た。いや、横浜ってのは結構狭い街で、こんな風に出来るんですよ。俺だったら絶対来ないけど。
Sは先週の初デートで成功を収め、このイブの夜に一緒にいることにも成功したのである。まだ付き合っている云々の段階ではないと言うSだが、常識的にイブに一緒にいれば、殆ど当確である。しかも、来週のカウントダウン(@石川町)の約束までしているらしい。コリャ決まった。大体、「かもん」に来た時のSの服装は、いつもと全然違うのである。今日のために5万を叩いて、服を揃えたそうだ。
しかし、ドライブ中にも一言も声を発しないSは、やはり奥手であり、まだ踏み切れないものを感じていたらしい。そんな中、HがSに詰め寄る。
「もう言っちゃえばいいんだよ、殆ど決まりなんだから(そうだそうだの外野の声)。大体お前は何でそうハッキリしないんだよ。いつもそうだよ。だから、来週で決めるんだよ。向こうだって行こうとか、この前楽しかったね、また行こうねとか言ってんだろ?いいからさ、こうやって…」
愛してるぅ〜 ってさぁ〜いきん 言わなくなったのは
有線で流れるゴスペラーズ「hitori」。滑って立ち上がれないH。
本当にあなたを 愛し始めたから
瞳の奥にある 小さな未来のひかり
切なくて愛しくて吸い込まれてく
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たった一つのこと 約束したんだ
これから二度と 離さないと
たった一人のため 歩いてゆくんだ
あなたに二度と 悲しい歌
きこえないよぉにぃ〜
結局、私は電車で帰れなくて、タクシーで家まで帰りました(7000円)。
本日、不愉快な二日酔い。
wish you a merry Christmas.
12月28日(金) 日本人の正月のお決まり
本日、パキスタンから来ているエンジニアから、「新年に向けて何かオススメはあるか」という質問を出されて、次の3つに焦点を絞って答えてみた。
1. カウントダウン
どの国でもそうかもしれないが、日本人にとってカウントダウンは重要なものである。理由はよく分からないが、何だか凄く盛り上がる。テレビを見ながら年を越すというパターンが結局一番多いと思われるが、町に繰り出して街中で大盛り上がりで新年を迎えるというパターンも中々有力である。また、新年が明けた瞬間にジャンプして、「私は2001年から2002年に変わる瞬間、この地球上にはいなかった」と言うギャグもいまだに健在である。やってみることをリコメンドする。(何故かウケた)
2. 初日の出
イスラム教と異なり、日本人は古来から太陽崇拝をする傾向がある。農耕民族だからかは知らんが、取り敢えず太陽を神として崇めるわけだ。その中でも最も神聖なのが旭日であり、1年の第一旭日は出来れば拝むべきものである。傾向としては、高いところから拝む旭日、海から上る旭日などが人気が高く、私も三浦半島の海岸線から見たことがある。三浦半島は海から出なく、対岸の房総半島から上がるのであるが。
3. 初詣
日本人は、正月には神社とか寺を詣でるものである。君達の住んでいる所は港南区だから、地理的には川崎大師か鶴岡八幡宮が近い初詣スポットだ。しかし、私のリコメンドは鶴岡八幡宮である。鎌倉はそんなに遠くないし、狭い区域に見所が詰まっているので、効率も大変よろしい。北鎌倉駅で降りて円覚寺を詣でた後、八幡宮に行ってそのまま若宮大路を突っ切って、shogunが落馬して死んだ由比ガ浜に至るのもいいだろう。江ノ電と言う小さい電車に乗ってハセという駅で降りれば、ビッグブッダを見ることも出来る。さらに江ノ島まで行って、江ノ島神社を詣でて、露店でシーフードに舌鼓を打つのも一興だ。というわけで、鎌倉はオススメ。
カウントダウン・初日の出・初詣と3連続でやるというのがゴールデンコースであるので、日本の正月を過ごす上で、是非チャレンジして欲しい。
12月29日(土) また寿司ですよ
本日が仕事納めであった。土曜なのに。まあ、本日が仕事納めとなったのは、1月4日を休みにするから、仕事納めは1日ずらして今日にするのを勘弁しろという、会社の命令である。全然オッケイである。と言うのも、仕事納めは業務が午前中で終わるし、しかも下っ端の私は飲み物やら食い物やらを買ってくるので、10時半には机から離れて、近所のマルエツとかヨーカ堂とかに買出しに出掛けてしまうからである。つまり、殆ど仕事なし。配管のNさんに、「ここの梁せい、440mmじゃまずいですか?」と聞いたのが、本日の唯一の仕事である。
12時から会議室で納会が始まり、ビール飲んだりして過ごす。で、3時、納会から抜け出した。本日はOに会うのである。
実は先日の寿司食い放題ネタをOにメールしたら、「じゃあ今度行こうか」ということになって、本日寿司食い放題に行った訳である。別に食い放題じゃなくてもいいんだけど。場所は築地。
待ち合わせは大江戸線の大門駅。大門に向かう途中「悪い、15分ほど遅れる」と言ってきた官僚は、結局25分遅れて大門到着。「参った25分も遅れて」と取り敢えず突っ込む。
築地市場下車。途端に鼻につく魚の香。何て分かりやすい駅なのだろうか。まあ匂ってくるのは当然で、何しろ駅の直上が魚市場になっている。暮れで比較的活気のある築地の街を歩きながら、寿司屋に向かう。
この男とは学生時代、よく食い放題の店に行った。当時から小食だった私と異なり、Oは大食漢で、とにかく食い放題の店では会話も殆ど無く、ひたすら食いつづけるのが彼のスタイルだった。それにつられて私も、私の規準からすると食い過ぎるほど食べるのである。腹がパンパンというより、胃がパンパンという状況で帰るのが常であった。
Oのバイブルはhanakoの「食い放題の店」特集の小冊子で、よくこのhanakoの小冊子を小脇に抱えて、都内を行脚したものである。ただ、最も多く行ったのは神田の「みつばち」というお好み焼き食い放題屋で、ここでは二人で15枚食べると言うのがスタンダードであった。もんじゃだけなら月島にも行ったが(ムーの子孫)、味はみつばちの方が上で、個人的にはこちらの方が私のお気に入りだった(値段は1.7倍くらいしたが)。
ただ、大学卒業後はOと食い放題の店に行くことは無くなり、卒業後初めての食い放題が本日であった。「そう言えば、寿司の食い放題は初めてだね〜」と私が言うと、「まあ学生にはちょっと豪華すぎるきらいがあるからな」と言われた。そういう風に言われると、何かリッチになったような気がする。って、本日の出費、高々3700円なんですけど。
もう20代も後半に入っている二人なので、学生時代のように無言で食べつづける事は無く、お互いの仕事の話などをし続ける。仕事の話をするなんて、俺たちも大人になったなあ、とは言うものの、実は双方とも変わったと言う感じは無い。何か、学生時代と殆ど変わらないような気がする。理由はよく分からないが、結局この二人、外見と内面が学生時代から現在に至るまで、殆ど変わっていないと言うのが原因なのかもしれない。確かに、「こいつは変わった」という印象は、多少なりとも持っていない。と言う訳で、半年に一度くらいのペースでしか会わない二人だが、この会合は今後も続けて行きたいと思っている。殆ど昔話をしないのに、何か懐かしいのである。
来年の夏、Oは定期的に行かされる「地方税関」への転勤がある。私も夏ごろまでには、またパキスタンに行ってしまう事になると思う。というわけで、半年後くらいにもう一度会合を持とうと約し、今日は別れた。次は食い放題じゃなくても良いだろう。本日知ったことだが、Oの胃袋は確実に縮小しており、元を取るという程では無くなってしまっているのである。これが唯一、この男が変わった事であろうか。
12月31日(月) 2001年を終えるにあたり
2001年に起きた印象的なことベスト2(2つしか無い):
第二位 ニューヨーク貿易センターとペンタゴンに飛行機が突っ込んで以来続いている様々なこと
私が憎んでいるのは、あのテロのやり方である。その後の事も、まあ許せないことはあるが、ああなってしまった以上、あのような措置が取られるのは致し方ない、と言うようなテロのやり方だったと思う。もう止めて欲しい。
第一位 ヤクルトスワローズ日本一
やっぱり、1位は嬉しい事に限る。
良いお年を。