パキ日記
9月8日(土) ブットが三度目の政権奪取を狙うと言うニュースを見て更新再開
初の土曜出勤。本当は休みたかったが、計算書のチェックをせねばならず、敢え無く出社。同じ部の日本人(上の人)と一緒に会社へ向かう。昨日、横浜から一人来パして、現在ウチの部からの派遣は3名になった。しかし、再来週にでも2名に戻る予定である。理由は、前からいた人が(私より1ヶ月前から赴任スタートしていた)帰るからだ。
会社に行って、計算書の元ネタを貰い、チェック開始をする。で、10時くらいにチェックを終えて、こちらのエンジニアと軽くチェックした所を話し、修正して横浜に送る手筈を整える。で、その最中に、データを送る旨、注意事項、等をかなり長く書いて、横浜にメールで送る。
まあ後は仕事もあまり無く、計算書の体裁を纏めたりして過ごす。9月12日発行予定の図面(最初のproduct)作成進捗状況を見守ったりしていたが、午後4時には殆ど仕事がなくなってしまう。ドライバー氏には6時に迎えに来てもらうよう頼んだので、インターネット見たり、余計なメール書いたりして時間を潰す。で、余計じゃないメールを弟に送る。送ってもらいたいものを書くためだ。
弟に頼んだのは、菓子(パキ人スタッフに上げる)、爪切り(栓抜きなどが付いている多用途爪切りを買ったが、肝心の爪が全然切れない他用途な爪切りだった)、post it(探せばあるんだろうが)、本の4種。
サウジに赴任している先輩とメールを交換したりしている内に、6時になった。他の日本人の二人は別projectでこちらに来ているのだが、彼らは来週までに絶対上げなければならないproduct仕上げに追われており、帰れる状態ではない。というわけで、私は一人車に乗り込んで帰る。
ホテルに着いて、新しいホームページを作り始める。公開は帰国後だが、一応企画第一弾は、このパキ日記とした。
9月9日(日) 日本人に生まれて
今日は休んだ。最初、いつもの通りに6時半に目が覚めてしまったが、また眠る。で、ダラダラしていて気がつくと正午。寝すぎた。しかし、何か外に出る気も起きず、部屋の中でゆっくりする。
午後2時半、流石に腹が減ったので外に出て昼飯を食べに行く。
先週の日曜、街を歩いていて殆どの商店が店を閉じているのを見て、ああパキスタンは日曜は完膚なきまで休むんだな、と思っていた。というわけで、日曜の昼飯はマックとかホテルの店で食べると言うパターンなのだが、本日は近くにあるHoliday Innの飯屋に行こうと思い、まだ暑さがかなり残る(残暑と言っていいのか?)道をとぼとぼ歩いていく。
ラホールには高級ホテルが3件ある。筆頭はperl continental(PC)と言うホテルで、これはインターコンチとは多分全く関係ない、民族資本のホテルである。パキスタン国内に展開しているが、ラホールのPCはパキスタン随一の最高級ホテルらしい。確かに、よく出張に行く知り合いの日本人は「パールコンチネンタルは素晴らしかった」と言っていた。で、もう二件は私の泊まるAVARI LAHORE、それからHoliday Innである。AVARI(アヴァリでなく、アワリと読む。経営者の名前)も民族資本であるが、ドバイ(UAE)とトロント(カナダ)にも展開している。Holiday Innは説明する要も無しだろう。
AVARIはレストランが数件あるが、どれもはっきり言って今ひとつである。ラホール唯一の日本料理屋もあるが、まあ海外の日本料理屋の味と言う感じで、どうもイマイチである。だから、今日は他で食べようと思っていた。で、私の部屋の窓から見える、Holiday Innに行こうと思ったのだ。
Holiday Innは外見はそれほどパッとしないが、中は明るく清潔な感じがする。で、入口すぐ左のレストランに入り、案内されるままに席に座る。周囲は殆ど上流と思えるパキスタン人たちで、ビュッフェ形式の昼飯を楽しんでいる。私も皿を取り、ビュッフェに向かう。種類はそれ程豊富でないが、何となく質は良さそうである。で、パキスタン風の料理を取っていって、席で食べる。「ん、美味い」と思い、同時に「これ結構高いだろ」と思う。まあなんでもそうだと思うが、どの国に行ってもその国の料理が一番美味いと思うのだが、ここでもパキスタン料理が一番美味い。だが、Holiday Innの昼飯はそれを勘案してもさらに結構美味い。まあ腹が減っているせいかも知れないが、小食な私でも数回ビュッフェに立ったほどである。
腹が膨れて、コーヒーを頼んでくつろいでいる時、海外にいていつも思うような感情が沸き起こってきた。それは、「もし日本人として生まれなかったら、こんな所でメシ食うなんてあり得ないだろうな」という感情である。
学生時代、私は十数回海外旅行をしてきたが、それは他でもなく私が日本人だから出来た芸当である。日本では大して辛くない学生でも出来るバイトを3ヶ月も続ければ、遊びの貧乏旅行が出来てしまうのである。しかも海外である。「貧乏」旅行と言うが、この「貧乏」旅行は完全に幸福で贅沢な旅行である。何故かと言えば、その個人は全く上流階級でなく、特に能力が優れていなくても、誰でも出来るバイトで「海外」に行ける旅行だからである。これは先進国に生まれた人間にしか絶対出来ない行為である。そもそも上流でもエリートでも何でもない、言ってみれば「クソ庶民」でも、海外に遊びに行けるのである。だから、私がやって来た「学生貧乏旅行」は、今でも最も贅沢な形態の旅行だと思っている。言うのも何だが、「本来なら海外に遊びに行けるような身分に無いのに、行ってメコン河に出会ったり岩のドームを見る」ということが可能だからである。凄まじく幸福な行為を続けていたと、今でも痛切に思っている。これも、ある非常に低い確率で、たまたま日本に生まれたと言う、運命というレベルの問題で享受できたことであり、別に私の才能や能力とは全く関係ないことである。
本来ならそのクラスの人間じゃないのに、そのクラスの行為を出来る。それは今でも当てはまっている。大学院を修了して、私は日本の会社に入社した。で、こうやって海外に派遣されて働いているわけであるが、もし日本の会社員じゃなければ、こんな所に泊まってこんな所でメシ食うなんて行為、絶対出来ないはずである。例えば私と同じ経験レベルの当地のエンジニア、彼らの月給は2万円であるが、2万の給料でお気軽にHoliday Innでランチなんて絶対取れないはずである。私は会社から海外赴任手当てのようなものを貰っているから、こんな所で飯が食えるのである。日本での私の生い立ちを考えると、恐らく私がパキスタン人で生まれたなら大卒なんてとんでも無く、国民の70%を占める中学卒業程度の労働者であっただろう。私にとって最も身近な人は、毎日会社まで送ってくれるドライバー氏だが、彼の月給は4000ルピー。これは日本円で8000円である。これで彼は奥さんと6人の子供を養っている。国民一人あたりの国内総生産が400ドル程度のパキスタンにおいて、これは結構いい方の給料だと思うが、私がパキスタン人だったら、恐らくこの以下の給料取りとをして生活していただろう。
それが日本で生まれたから、こうやって大学院(これは流石に両親に甚大な負担をかけたが...)まで行って、日本の会社に入ったわけである。日本では給料安いほうの会社だが、そんな給料の安い会社でも、海外ではこんな生活を出来るのである。これは私の能力でなく、会社の能力、もっと言うと日本の能力の恩恵を受けているに他ならない。
会計を済ますと、500ルピー弱だった。1000円である。あ、やっぱ高いなと思ったが、だからと言って目玉が飛び出るほど出ない。しかし、パキスタン人の感覚を日本人のそれに換算すると、恐らくこの昼食は3万円くらいであろう。
今、冷房の効いた高級ホテルの一室でこれを書いているが、改めて日本に生まれたと言う運命の数奇さを実感している。同時に、AVARIの店がイマイチ等と言ったことに対し、「それはお前が運良く日本に生まれたからだろ」という、別の声を聞いた気がする。
9月11日(火) 一寸の虫にも五分の魂
一緒に赴任している先輩の話。
先輩の机に、結構な数の蟻が登ってきたらしい。不快に思った先輩は、日本から持ってきた殺虫剤で蟻を皆殺しにしたそうだ。そしたら周囲のエンジニアから白眼視されているのを気付き、そして一人のエンジニアが先輩にこう言ったらしい。
「別に蟻は害虫じゃないんだから、無駄な殺生は止めてくれ。」
自分にとって害のあるものは追い払う、というのは生物の本能としてあると思うが、害の無いものを殺すと言うのは聞いたこと無いな。他の動物でも無駄な殺生をするというのはあるのでしょうか。
9月12日(水) 一万の命普段殆どテレビを見ない私は、昨日の惨事の凄まじさを、今朝先輩に聞くまで知らなかった。世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだのはmsnのトップページで見たが、その際は「小型機が突っ込み、6名が死亡」というニュースだった。原理主義者が小型機で自爆激突した、と思っていた。帰ってからはテレビをつけず、そのまま眠ってしまったのだ。
「突っ込んだのはボーイング757らしい」と聞いて、「全然小型機じゃないじゃないですか」と言うと「ハイジャックされた旅客機だ」と言う。開いた口がふさがらず、さらに先輩が「4機ハイジャックされて、2機は世界貿易センタービルに激突して、1機はペンタゴン、それから1機はどこかに墜落したらしい」と言うのを聞いて、訳が分からなくなった。
会社に行くまで、ホテル滞在する3人の日本人スタッフはずっと車の中で新聞を読んでいた。こちらの現地英字紙によると、報道されている内容は殆ど同じだが、パキスタン政府が公式に非難声明を発したことと、隣のアフガンのカーブル(が正式な発音らしい)が爆撃されたが、アメリカ政府は関与を否定している、というニュースが目に入った。
ラディンか?
この時点では現地紙に出ていなかったが、どうせすぐにこの名前が出るのだろう、と思う。
パキスタンを始め、イスラム国家における対米感情は頗る悪い。従って、今回のこの惨事に関し、こちらでは歓迎すると言うムードを持っている向きもいるようだ。ウルドゥ語だかパンジャビ語だかで彼らが話す内容は分からないが、彼らの今日の話題は殆どこれだったみたいだ。だが、私は何故か、この話題をスタッフと話すのは憚れた。理由はよく分からない。しかし、彼らが我々日本人とは、アメリカに対する感情があまりに違うことが原因だったと思う。
昼飯を食べて、机に戻り、家にメールを打っていた。別にこちらは異常が無いから心配無用、というメールだった。しかし、私の横にこちらの責任者の人が来て、本社からの帰国命令が出たことを聞いた。2時に会議室に日本人スタッフ8名、および現地マネジメント陣が集まり、本社からの通達を読み上げ、明日帰国する旨が確認された。隣国アフガンの状況と、これに乗じた隣国インドの動き、ならびに容疑を受けているイスラム原理主義組織のパキスタン潜伏部隊の可能性などの説明も受けた。日本人スタッフは帰国後、最低1週間は日本に滞在し、その後の状況を見てパキスタンに戻るかの判断を下す事になるらしい。
書きかけだったメールは全てクリアにし、明日帰る旨を書き、そのまま送信。その後、会社の上司や知り合いにも送った。全く無念だった。最初、非常に不安な気持ちを抱えながら、こちらに私は乗り込んできた。今回の仕事は、国内の協力会社の力を全く借りず、海外の子会社のみを使ってやり抜くと言う、初めての仕事だった。この試みに、誰もが成功を疑っていた。さらに、乗り込むのが2年生の私である。誰からも「大丈夫なのか?」と、冷たい視線で言われたのである。この訳の分からないプレッシャーの中、こちらでの仕事を始めたのである。しかし、こちらのエンジニアは経験がなくとも有能で、しかも全く私を馬鹿にしたり、私の言うことを聞かないという点が無い。ディスカッションをして、ロジカルだと判断すると、いきなり動き出すという状況である。私はこの状況を見て、非常に遣り甲斐を感じ、毎日会社に行くのが楽しく思えたほどだった。
それが帰国命令である。状況が状況だけに仕方が無いが、やはり無念さは滲み出てしまった。スタッフに帰国しなければならない旨を伝えたとき、落ち込んだ私の様子を見て、「何か私に出来ることは無いか」などと言われたりもした。
私が机で仕事をしていると、スタッフの一人(こちらの責任者)が、包みを持ってきた。見ると、こんなことが書いてある。
Happy birthday to IWATA-SAN
今日は私の誕生日だった。彼らは、私に誕生日プレゼントをくれたのである。嫌な誕生日だと思っていたが、これは救われた気がした。スタッフ全員にありがとうを言い、安全が確認されたら絶対戻ってくると言った。
8月26日にこちらに来て、最低でも2ヶ月は張り付く予定だった。が、2週間強で帰ることになる。理由は子会社が上手く回っていないからでなく、私が全く機能していないからでなく、アメリカで起きたテロ事件によって、パキスタンにいる日本人である私は帰らなければならない、というのが理由である。
9月13日(木) ドキュメント91320016:20起床。シャワーを浴びて身支度を整え、少し荷物の整理をする。日本の自宅に電話を入れて、本日帰国する旨を伝える。
7:30ホテル出発。
8:00業務開始。引継ぎ資料の作成と、本日横浜から届いた新しいitemの設計informationをチェック。担当者と打ち合わせの後、横浜へメール連絡。同期や友人にメールを送ったりする。
12:00最終weekly meeting。本日帰る旨、ならびに引継ぎ事項について打ち合わせ。
13:00午後業務開始。横浜との最終引継ぎ事項の確認と、こちらの調整のため、かなりバタバタする。
17:00引継ぎ業務等殆ど終了。身の回りの整理を始める。会社からのパキスタン再入国許可が下りるのを見越し、一応箱に詰めて机の下に置く。もし再入国許可が下りない際は、横浜に送付してもらう旨伝える。
18:00スタッフ全員と挨拶。会社の許可が下り次第、すぐに戻ってくると伝える。こちらのチームトップのK氏に「時間があれば、今回の事件に関してもっと議論をしたかった。だがあのやり方はムスリムとしても容認できないと思っていることは確かだ」と言われる。「どうせすぐ戻ってくるから、そのときに話そう」と言い、会社を出る。
18:30ホテル着。夕飯を取り、帰国準備。
21:30ホテル出発。こちらに駐在しているスタッフの家に寄り、日本人スタッフ7名が全員合流。
22:00ラホール国際空港着。薄暗い空港内で、淡々と出国手続き。ラホールから出国するのは今回が初めて故、これが普段のラホールと比して厳しいのかは分からないが、普通より面倒くさい感じがする。やや強化しているのかは不明。
23:50タイ航空604便でラホール発。脱出組が多いのか、ビジネスが取れずにエコノミーになった。機内は満席であった。