きつね
 師がいなくなった。
 私が幼少からピアノをの習い、大人になってからは声楽をご教授いただいた師が、いなくなったのだ。

 自らをきつねに例え、頂くお葉書などには雅号に「狐」の文字を入れていらした。
 歌を愛し、山を愛し、その自然の中に存在するご自身と時間を大事にされていた。

 普通に接したら、恐らくかなり変わった方に見えると思う。
 多岐に渡って興味を持ち、しかし群れることを頑として嫌う姿勢で、どこに行くにも、何をするにも、まず独り。
 御年80歳を過ぎても、1年で登山すること10数回。もちろん独りで。
 服装は英国調で、ハンチングキャップをかぶって颯爽と歩かれる。顔つきは少々とっつきにくい厳しさがあるが、他と交わるときには決して感情的ではなく、穏やかに、紳士的に振舞われていた。
 何より、子供の私を子ども扱いせず、常に丁寧に接して下さり、ちっとも練習していかないド下手なピアノにも、怒ることは絶対にせずに淡々と先に進めてくださった。逆にその穏やかさが、実のところは厳しさなのだと悟るまで、私は随分時間がかかった覚えがある。

 高校生くらいになると、レッスンの前に1時間ほど、お茶を飲みながら様々なお話をさせていただいた。どんな質問にも必ず答えを下さる。またはご自身の考えを聞かせていただける。それは全然堅苦しくない、むしろ女子高生でも面白いと思える時間だったと記憶する。
 本当に、本当に、知れば知るほど深い、または不思議で、そして決して触れさせない部分をお持ちの方だったので、こんな拙い文章の中で言い表すことは難しい。 だが、私の人となりを形成してきた、数少ない大人の1人であることは間違いない。

 そんな師が、突然いなくなった。

 その話を聞いたのは、実際にいなくなってから少し時間が経った後。
 一言でいえば、自殺されたことになる。
 だが、よく聞く 「自殺」 の出来事から受ける感情が、一切湧いてこないのだ。

 師は、晩年になると、山に入り消えることを宣言されていたらしい。
 そして実際に、嵐の日を選んで山へ入り、投身されての出来事だった。

 野生に生きる動物は、自らの死期を悟ると、皆の前から姿を隠してひっそりと死んでゆく。
 それを知ると、われらは 「いなくなっちゃったね。」 という一言で、全てを知り、そしてそれで終わる。

 師は、それを選んだのだと思う。
 自分の人生の幕引きを、誰に委ねることを許さず、看取られることを望まず、思ったそのタイミングで成し遂げたのだ。

 実に、恩師らしい、としか言いようが無い。
 残されたわれらに、「どうして?」 なんて思わせない、勝手に納得させない。ただただ、その事実を受け止めるしかない。
 非常に厳しいが、シンプルな最期だと思う。

 風と雨が吹きすさぶ山の高みで、たったひとり、下界を見下ろして師は何を思ったのだろうか。
 心は、穏やかであったろうか。
 私なら怖い。だが、師はきっとそうではなかったと思う。

 こんなことを考える私に、師ならきっと、
「これは僕の問題ですから、あなたはそんなこと考える必要などないのですよ、さやかさん。ハッハッハ!」

なんて声がしそうである。
 
 って考えてしまう私にも、師はきっと
「ぼくはいないんです。ただそれだけなんですから、声などしません。」
と言い切りそう・・・。
 
 泣いてるとこなんて見たら、
「泣くのはおかしいですよ。さやかさん。」
〜かな?


 ・・・ハァ。きりが無い。
 これは悪あがきだね、先生。

「まだまだ、修行が足りないですねぇ。さやかさん。フフフフ・・・」