同世代の旦那に聞いてみた。
「BCGの痕ってある?」
「あるよ。」
「どこにある?」
「左腕。」
 こんな具合の短い会話。
 実際なんの不思議も無い会話のように聞こえるが、これがそう思えなくなってしまった。
 BCG予防接種というのは、かなりの年齢層にわたって知られる結核予防の方法だが、わたしはかなりこの、
BCGには悩まされた口である。私がこれを受けたのは小学校の真ん中あたりだったが、いくつもの針がくっついた、スタンプのようなものを左上腕部にギュッと押し付けられたときには、つよく抓られたていどの痛みしかなかったので、余裕の顔で教室に戻っていった。しかし、悪夢はこのあとからだった。ひとつ断っておくが、この悪夢とは、小学校3〜4年の子供が感じた悪夢であるからして、大人の感覚で読まれぬよう・・・。
 予防接種のあと、いつまでたっても針の痕がふさがらなかった。大抵の子供は、ポツポツと赤く小さく腫れて、1ヶ月ほどでそこが瘡蓋になってしまうのだが、私の左上腕部には、赤いポツポツは現れず、ちいさい穴がいくつもあいてしまったのだ。血は出ないが、皮膚組織が無いままの小さい穴がいくつもあいているのである。
 こいつが空気に触れると、いいようのない重くだるい痛みが左腕全体に拡がる。だからといって、ガーゼで塞いでしまうわけにもいかず、他人よりも治りの遅い自分の左腕を呪いながら過ごすしかなかった。
 今でもその、穴の開いた異様な光景は目に焼きついているが、他人より遅かっただけのこと。無事に瘡蓋に変わり、大人になってから上に記したような会話が出来る傷痕が残ったのだ。

 さて、実はここからが本題。
 しつこいようだが、
「ねえねえ、BCGって覚えてる?」
「ああ、左腕に痕あるよ。」
「やっぱり同じところにあるね。」
「そうそう。」
などという会話を、今までに一度はされたことがあるのではないだろうか?それだけでなく、ちょっと自分から見えづらい左上腕部の外側が鏡に映ったとき、そこにある点々とした傷痕に何気なく目がいくことはないだろうか?
 当然のように受け止めているが、考えてみれば、生まれたときには無かった傷痕が、公然とつけられてしまっているのである。
 ピアスの穴をあけるときなど、「親からもらった大事な体に穴をあけるなんて!」と怒られたかたも多いだろう。
 しかしこれはそんなもんじゃない。
 予防接種を受けたときには、そんな傷痕が残るなど思ってもいなかったし、皆同様にあるから、それを傷痕として認識しなくなっただけなのだ。だが、これは立派に傷痕である。
 まるで子供だった証明のように、医学的な理由を掲げられて、日本人の左腕には傷痕が残され続けているのである。
 これだけ医療が発達して、再生医療なんてものも発見され研究されている世の中で、なぜ予防接種には傷痕が残るのが当然とされつづけているのだろう?
 しかも、BCG予防接種は去年あたりから生後6ヶ月以内に受けるように改正されている。つまり、なにも傷痕の無い左腕は、産まれてからたった半年で消えうせてしまうのだ。このまえ電車のなかで見かけた赤ちゃんの左腕も、最近受けたらしいBCGの生々しい赤い点々があった。
 未来の麗しい少年少女たちの左腕のために、なんとか痕の残らない予防接種を考え出してほしいと思った。
 
 
 あぁ、そういえば日本脳炎てのもあったな。忘れてた。